かっこ病
みにぱぷる
かっこ病
私の友人の一人に村上という人がいる。明るく、優しく、また医師として近隣住民の評価も 高く、私からしても信頼できる友人である。私はしがない小説家である。デビューした数年前の 本格推理小説で少し名前を知られて以来は遅筆なことや長編、短編ともに苦手であることも あってなかなか今は売れていない。
多分マンションの隣に住んでいる小林か大林か名前は忘 れたが◯林さんという大阪のおばちゃんのような方は私が何の職業なのか知らないだろう。 先日は◯林さんから
「あんたはただただ夜まで電気ついててうるさいだけだが何をやっているんですか。もっと早く 寝てくださいな」
などと言われて、恥ずかしながらムキになって
「小説家です」
と言ったところ大声で笑われてまった始末だ。
とまあ恥ずかしい人生を送っているう ちに 30 を過ぎて、35 歳を過ぎて、40 歳を迎えた。金もなかなかぎりぎりのやりくりで、外食に 行ったのは何年前だろうか。なので村上から”オンライン飲み会”なるもののお誘いが来た時 は真っ先にうなづいた。そしてダッシュで酒を買ってきて今を迎える。こんな便利なものが今 はあるのか。
「おーい、月岡?見えてるか」
村上の顔がパソコン画面一杯に表示された。村上は前に会った 先月より少し太っていて、ひもじい私には羨ましくて仕方がなかった。
「見えてるよ。じゃあカンパーイ」
私は酒を一杯入れたコップをパソコンのカメラに近づけた。彼 も酒をいっぱいに入れた高そうなグラスをカメラに近づけた。そのまま一気に飲み干そうとし たが、唐突に勿体無い、と感じてしまい、私はほんの少しだけでとどめた。
「で、月岡はどうなの?景気いい?」
「まあまあかな」
景気がいいわけないだろ、と言いそうになったがその気持ちは抑えた。医師と してうまくやっている彼からしたらその質問も何気ない質問だったのだと思う。
「それにしてもコロナウイルスやら何やらで世間も忙しくなったもんだな」
「本当に。そっち、割と害受けてるでしょ」
「いいや、別に。むしろ人増えたぐらいだよ」
「羨ましいなぁ」
思わず本音が出てしまい私は恥ずかしくなったが、もうどうでも良くなりため息 をついた。
「大変そうだな」
彼はグラスに入った残りの酒をぐびっと飲み干して言った。
「まあな」
その後私たちは数時間、懐かしい高校時代の話題や、最近の何気ないエピソードな どを語り合い、笑い合った。もう明日になろうとする時刻になって彼が唐突に 「普通に会話するのもいいけどチャットしてみない?」
彼の顔は若干だが赤みを帯びていた。 私もちょうど声を出すのに疲れてきた頃だったので面白い提案だ、と頷いた。この通話サービ スには文字で会話する機能もついており、それを利用することで通話はしたいが声を出したく ない、という人も通話に参加することができる。
『かと言って何もすることないな』と彼がメッセージを送ってきたので私はそれに『何する?しり とりでもするか』と返した。
『そうだな。まずはりんほからで』
「りんほって何だ?」
唐突に出てきた意味のわからない文字に戸惑って私は尋ねた。
「りんごの打ち間違い。書き換えとくわ」
と彼が言って、先程のメッセージを確認すると 『そうだな。まずはりんごからで』と修正されていた。すでに打った内容を書き直すこともできる のか、と感心していると彼が
「酒回ってぼーっとしてるのかぁ」
と言ってきたので慌てて
『ゴール』と返した。その後、ゴール→ルーマニア→顎、ときたとこで彼が 『(胡麻)』と返した。
『謎の括弧(笑)』笑、を使うと気分だけ現代人になれるな、とまたどうでも良いことを考えている と彼が不思議そうな顔をして私を見つめてきた。私は思わず声を出して言った。
「え、どうしたの?」
「いや、括弧が謎って?」
「へ?」
「括弧に意味知らないの?」
「え?」
私は驚きというか戸惑いで何とも言えなかった。
「括弧をつけることでどうなるか、知らないの。流石に作家でそれはまずいだろ」 初めは冗談 かと思ったが、彼の表情を見る限り、真剣にそう言っているようだ。
「は?」
「え、ごめん、まじで言ってる?脳検査とか安くでやってくれる医院知ってるから教えようか?」
私は腹が立ってきたがどうも理解できない。彼はなぜ真剣にあんなことを言っているのか。酒 で酔っ払ってしまったのか。そうかもしれないが、いやしかし。私はとりあえず彼に合わせてみ ることにしてしりとりを継続した。
『じゃあ胡麻から続けるな。(魔物)」何となく彼の真似をして括弧をつけてみた。その時、突 然、彼が大声で
「え、やばいって。え、お前、それは、え?え」
やはり酔っ払っているのか、と考えていたら突然 私の下腹部が猛烈に痛み出した。私は耐えれなくなりその場に倒れた。
ーーーーーうぐぁぁぁぁああぁぁ..............
私は喉の奥底から叫び声を上げた。まるで何者かが私の腹を蹴り続けているかのような。 私は死ぬのか、と一瞬だけだが思った。それだけの痛みに私の衰弱した意識が勝てるはずも なく....私の意識は泥沼の方へとズブリズブリと沈んでいった。心配するのではなくただただ困惑し続ける彼の声を聞きながら。
目を覚ましたのは病院だった。この見覚えある風景は....「村上内科」だ。あの痛みは....消え ている?私はとりあえず起きあがろうとしたが、またあの痛みが戻ってきた。
ーーーーーうぐぁぁぁぁああぁぁ
またとてつもない悲鳴をあげてベッドに倒れた。その声を聞きつけてか村上が病室に駆け込 んできた。
「大丈夫か」
私は痛みで返事をできず、ベッドの上でもがいた。村上の白衣姿を見るのは初め てでとても違和感があったがその時はそんなことどうでもよかった。まるで怒った猛牛が吠 え、腹の中で暴れるような腹の痛みはどんどんひどくなっていく。うっすら彼とその隣にいた看護師の会話が聞こえてきた。
ーーーーこれはひどい........ですね
ーーーーそうだな。しかし、よかったよ
ーーーー何がですか
ーーーーチャットで打ち込んだからこの程度で済んだんだ
ーーーーでも流石に括弧の発音を正しくすることは無理ではないかな
ーーーーま、それはそうだな。彼の命に別状がなくて....
何を言っているのだろう。私は二人の会話を必死で聞き取ったものの、何について話してい るのか、括弧の発音とは何なのか。まったく見当もつかなかった。
「なかなかだな。とりあえず麻酔を打つが、この病状には効果はないんだよ」
私はベッドでもが きながら彼の話を必死で聴いた。彼は私の体を看護師と共に取り押さえると注射針を私の腹 に刺した。私は注射針を刺された瞬間、まるで腹の中にいた何かが、苦痛で倒れるような感 覚がした。
「あ、ありがとう」
痛みは若干ひき、私は何とか声を出せた。
「うん。でも、この病気は手に負えないんだよ。まあ病気ではないか、これは....」 彼は意味ありげに言葉を切った。
「じゃあ、どうすれば?」
「それはな....」
彼が説明するのを面倒そうにしているので看護師が説明を始めた。 「上本医院って知ってますか」
「いえ、知らないです」
聞いたこともない名前だった。そして、いつの間にか体の痛みは消えて いた。
「ここら辺の近くにある小さな病院なのですが。そこでこの症状の手当てを受けることが可能 です。予約は取っておきましたので、今日の午後 2 時に行ってみてください」
「え、ということは退院ですか」
「まあそういうことになりますね」
「手当はしてくれないんですか」
「上本医院に行けば手当てをしてくれます」
「は、はあ」
私は何を言っているのか理解できず曖昧に頷いた。彼は申し訳なさそうに頭を下 げた。
「すまない。あ、あとお前が倒れた時に使っていたのはパソコンだよね?」
「そうだけど」
「じゃあそれを持って行ってくれ。治療にはそれも必要だから」
私は未だに彼が何を言っている のか理解できなかったが、とりあえず彼が私に嘘をつくはずがないので、話を聞くことにした。
彼と友人だったこともあって退院の手続きは早く済んだ。とても助かったのだが、やはり何を 言っているのかよくわからない。とりあえず私は言われた通りパソコンを持って上本医院に向 かった。聞いたこともない名前だったので、道に迷う覚悟だったが意外とわかりやすい場所に あった。まるで戦国時代の城のような建物で看板も何もない。私が知らなくても当然だ。村上
が事前に連絡を取ってくれていたのか上本医院の看護師の人が出迎えてくれた。胸ポケット に『熊田』と直接サインペンで書かれている。
「いらっしゃいませ。上本医院へようこそ。村上様から麻酔があと 10 分で切れるというのは聞 いております。どうぞ急いで中へ入ってください」
彼女の案内に従って城内(?)に入っていくと すぐ、太った丸顔の男が声をかけてきた。ぱっと見、40 歳ぐらいだろうか。よく見ると熊田さん 同様に胸ポケットのところに『上本』とうっすら書かれている。
「いらっしゃいませ、月岡様ですか」
声は見かけによらず高く、早口で私はそのギャップに驚い てしまった。
「は、はい。上本院長ですよね」
「はい、私が上本です。そちらは看護師の熊田」
「熊田が無礼をしませんでしたか」
「いえ、別に」
「そうですか、よかった」
上本院長は満面の笑顔で言った。私は上本院長の案内で『神察室 1』に入った。違和感を覚えることは色々あったが、私の麻酔は切れ始めていて痛みで気には ならなかった。『神察室 1』の中は茶会でも催せそうな和室で布団が一枚敷いてあった。
「パソコンは持ってきていただけましたか」
上本院長は座布団の上に座り言った。 「はい、持ってきました」
「じゃあそこに寝転がってください」
私は上本院長に言われた通り布団に寝転がった。その 時、麻酔が完全に切れたのか耐えようもない激痛が腹を襲った。
ーーーーーうぐぁぁぁぁああぁぁ
悲鳴が小さな和室に響き渡る。上本院長は慌てて私のパソコンを開くと苦しむ私の目の前 にログイン画面を開けてパソコンを置いた。
「パスワード打ってもらえますか」
何を言っているんだ。私はここまでもがき、苦しんでいるとい うのに。私は一瞬怒りで叫びそうになったが、腹が痛くてどうしようもない。仕方なく、不細工に 腹を片手で抑え暴れ回りながらもう片方の手でパスワードを打った。
「じゃあ今度は、その時の通話サービスを開いてください」
また意味のわからないことを言わ れたが私はもうどうでも良くなって先ほどと同じように片手を腹に当てながらマウスを操作し た。何とか通話サービスにログインした時には私は汗だくでもう意識も薄れつつあった。そう いえばよくこの痛みに耐えたものだ。上本院長はチャットを開くと私の「(魔物)」というメッセー
ジを見つけた。マウスを操作して『編集』というボタンをクリックした。これは確か、すでに送信 したメッセージを書き直す、修正することのできる機能だ。そんな中で、薄れつつあった私の 意識は完全の復活して私は経験したこともない痛みに声も出なかった。
ーーーーーうぐぁぁぁぁああぁぁ
私は最後にその悲鳴を上げて....気絶した....のだろう。目を覚ますともう痛みはなかった。起 き上がっても痛みは戻ってこない。治療は成功したようだ。上本院長と熊田さんが笑顔で私の 方を見ていた。私は不思議に思い尋ねた。
「ありがとうございます。でも、どのような治療を?」
「簡単なことですよ。あの括弧には『括弧の中の言葉を体の中に取り込む』という働きがある んです。だから....」
私は開けっぱなしになっているパソコンの画面を見た。そこには、私の送信したメッセージが表示されていた。
『)魔物(』と編集された状態で。
かっこ病 みにぱぷる @mistery-ramune
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