12:北原霧子

第38話

 『教育生』としてのわたしに与えられた個室は、病室を改造したであろう十二畳ほどの広々とした空間でした。

 わたしが何も言わずとも、音無……時川夕日は色んなものをこの個室に運び込みました。わたしが欲しいと漏らした新型のゲームハードとソフト、飼いたいと漏らした熱帯魚の水槽、キングサイズのベッド、ぬいぐるみ、ポスター、我慢していた可愛らしい衣服やアクセサリーの数々……。

『こんなにも尽くしているのだから、そろそろ親友たる私の愛が伝わっても良いとだと思うのだがね』

 部屋にオモチャを運び込みながら、夕日はふと寂し気にそんなことを漏らしていました。

『わたしが求めているのはオモチャじゃないんです。分かっていることじゃないですか』

 わたしは夕日に言ったものでした。

『あなたのやっていることは間違っています。子供を監禁して、自分と同じ考えになるまで教育するなんて、そんなのおかしいですよ!』

『私は私の考えを君に分かって欲しいんだ』

『だったら普通に話してくれれば良かったんです! 耳を貸すつもりはありました。こんな地下に幽閉するのは、もうやめてください!』

 いくら私がそう訴えたところで、夕日は首を横に振りませんでした。

 夕日の確かにわたしの親友の音無でした。姿だけでなく、喋り方は違えどその話す内容や仕草や考え方などにも、音無の片鱗は見受けられます。だから私も、夕日のことを音無と同じように接し続け、音無と同じように怒り、音無と同じように喧嘩し続けました。

 諍いの後、夕日はいつも落ち込んだ様子で部屋を去って行きました。私は自分の意思を変えないまま部屋で蹲り、唇を結んで色んなことを考え続けました。

 一つは、自分が監禁されている事実について。家族が心配することがないように計らうと夕日は言いましたが、そんな方法が本当にあるのでしょうか?

 もう一つは夕日(=音無)と、その思想について。

 彼女は『アヴニール』という組織の総統……ボスをやっているとのことでした。そのイデオロギー(思想という意味だそうです)は囚われの中二病患者を政府から解放し、彼女らが大手を振って暮らせる社会を実現すること。

 わたしはさらなる回想を開始します。

『私はかつて、中二病患者であることが母親にバレ、政府に突き出されて離島の隔離施設にいたことがあった』

 ここに閉じ込めたその日、夕日はわたしにその話をしました。

『母親は兄弟の中で私だけを冷遇する人だった。それでも母親である以上、すべてを打ち明けた上で味方になってくれると私は信じていた。否、信じたかったんだな。信じようとしたんだ。しかし現実は違った。私は政府に突き出され、隔離施設で一年ほど過ごしたよ』

『……そうなんですか』

『そこは酷い環境だった。反逆を防止する為だろう、隔離施設の大人達は私達に厳しかった。症状の行使はもちろん、些細な規則違反でも苛烈な折檻を加えた。肉体的精神的な暴力はもちろんのこと、食事にありつかせないなどということも珍しくはない』

『そんなに酷いんですか』

『ああ酷い。しかしただ酷いだけならまだ良い。本当につらいのは、そこに生きる中二病患者達からは、あらゆる未来が剝ぎ取られているということだ。隔離施設には学校もなく、学べることも限られていて、ただ生かされ続けるだけに近い場所だった。そもそも中二病は滅多に完治しないから、そこから出られる子供はほんの一握りなのだ。ただ抑圧されるだけの生が延々と続くその場所に、誰もが絶望していた』

 その話を聞いた時、私は自分が閉じ込められているということを忘れ、ただ夕日や施設にいる患者達への憐憫と、自分が同じ中二病患者であることへの恐怖のみを感じていました。

『だが私にだけはそこで生きる希望があった。私の症状ならば、この世界そのものの時間を巻き戻し、この施設に来る前の時間帯まで回帰することも可能かもしれない。私は己の症状の進行を待ち続け、やがてそれは叶った』

 夕日はそれを語る時、拳を握りしめさえしたものでした。

『施設の仲間達に私は約束した。過去に戻った後、私は必ず仲間達を助けに行くと。一刻も早くそれは成し遂げると。世界の時間を巻き戻すことで仲間達は私を忘れることになるが、それでも必ず自由な地上で再開を果たし、手を取り合おうと。そう誓ったのだ!』

 強い口調でそう言い終えると、夕日は息を切らしながら私をじっと見つめます。

『過去へと舞い戻った私は、進行し強化された『症状』を用いて母を葬った。実の母をだ。胎児となった母を踏み潰す時、私が感じたのは深い安堵だったよ』

『……額の数値はその時の……』

『ああ。私のキルスコア『1』は、その時記録されたものだ。母がいなくなった家庭で、私は将来の手足にするつもりで弟妹を可愛がりつつ、勉強をして大人になって行った。大学を卒業した頃、私は親友の空と弟の深夜と共に、とうとう『アヴニール』を立ち上げた。最初は小さな組織だったが、症状を駆使して父親の不祥事の証拠を掴み病院ごと支配できるようになってからは、こうして地下に立派な本部も持てている』

『子供の姿を取っているのはどうしてなんですか?』

『政府の目を欺く為だ。こんな子供が頭目だとは、向こうも思わないだろうからな。色々と都合が良いんだ。これまでに積み重ねたキャリアを破棄することにもなってしまうのはつらいところだが、私には散々だった少女時代をやり直したいという願望も強かった。偽装云々を無視しても、道楽として子供化したい程だったから、支障はなかった』

 そこで夕日は親愛に満ちた表情で私を見たものです。

『やはり27歳が11歳の中に混じれば、それなりに上手く立ち回れるものだね。身体は弱いままだったが、それを感じさせないくらいには、明るい少女として振舞うことが出来た。総統としての仕事がどれだけ忙しくても、学校だけは休めなかったのは、君達と過ごす時間があまりにも楽しすぎたからに尽きる。何より嬉しかったのは、君という親友を得られたことだ』

『良く一緒にいる時川くん……時川正午はあなたの弟なんですよね?』

『ああ。他の弟妹には、子供化はただの道楽だと言ってはいるが、深夜と正午にはすべての事情を話してある。正午は幼いからたまにボロを出しそうになるのが困りものだがね』

『……あなたの考えは分かりました。ただ、本当にそのやり方で良いのかは疑問です』

 私は夕日(=音無)に言い聞かせます。

『私以外にも、監禁され洗脳教育を受けている子供はたくさんいるんでしょう? そして彼らは兵隊として隔離施設のある離島に送られて、そこにいる患者達を救うため自衛隊と殺し合う羽目になる。よしんばそれに勝利したとしても、アヴニールが政府を打ち倒すまで戦争は続く。そのやり方に、正義と呼べるものが本当にあるのか』

『大義の為には手段を選んではいられない。それを分かって欲しいんだ』

『……分かりません。わたしには何も分かりません』

 回想終了。

 地下の個室での夜はゆっくりと過ぎていきます。私は物思いに耽り、この世界と己が病魔と親友の過去と現在について自問自答しながら、夕日の用意した清潔で大きなベッドの上で横たわっていました。

 その時でした。

 外から足音が響いてきました。その足音は慌ただしいものではありましたが、大きさは然程でもなく、聞くだけで子供のそれと分かりました。

 わたしはその足音の主を知っています。

 部屋がノックされました。いつもの穏やかなノックではなく、焦燥に満ちた強く激しいものでした。わたしは扉を開けました。

「助けてくれっ」

 夕日でした。夕日は逃げ込むように部屋の中へと飛び込むと、すぐに扉を閉めて鍵を掛けました。

「……何ですか音無……いや、夕日」

 どちらの名前で呼ぶかは結構悩みましたが、本人が『夕日』が良いというのでそうしていました。その夕日は真っ青な顔をして、息を切らして壁に寄りかかっています。その額には汗と共に、強い恐怖が滲んでいました。

「……弟に裏切られた」

 絞り出すような声で、夕日は言いました。

「未明という二人目の弟で……とても可愛がっていた弟なんだ。向こうも私のことを慕ってくれていた。そのはずなのにっ」

「……裏切られて、今どうなってるんですか?」

「私を奴隷にしたいらしい。そういうものを作れる『中二病患者』に作らせた、不可逆な強制力を持つ契約書を持って、私にサインを迫っている。それで逃げて来たんだ」

「大丈夫なんですか?」

「今この本部に動ける味方はいない。外部から援軍は呼んだが来るのに時間がかかる。それまで籠城する必要がある。私は今マスターキーを持っていないから、鍵のかかる部屋で一番安全なのは、北原、君のいるここだ。匿って欲しい」

 息を切らしながら夕日がそう言い終えた直後、新たなる足音が私の部屋に迫ってきました。

「……ここだな」

 少年の声でした。

「教育生の部屋だな。ということは、誰か知らんが子供がいて、夕日を匿っているんだろう。おい、頼むからここを開けてはくれないか? 開けてくれたら、おまえを外に出してママやパパに合わせてやるぞ」

 わたしは覗き穴からその少年を盗み見ます。

 それはいつか出くわした……殺人鬼『指切り』の姿でした。

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