プリンセス・エクスプロージョン
里下鳥太幸
プリンセス・エクスプロージョン
見渡せど、全方向コンクリートを剥き出しにした壁が在るばかり。部屋の広さは三畳ほどか。中央には年季の入った木のテーブルが一つ。それを挟む様にして、これまた古びた木の椅子が二つ、向かい合わせにして立っている。部屋の南側には小窓があって、殺風景なこの部屋に気休め程度の明かりを投げ込んでくれている。
此処はカウンセリングルーム。今週も、小窓の反対方向に据え付けられたドアを開けて、例の少女が入ってきた。
「失礼します。先生、おはようございます。今日もお話をするんですよね。」
「うん。そうだなあ、取り敢えずはそこの椅子に座ってくれるかな。」
少女は、ツトトトとやや小走り気味に椅子まで来ると、私の頼み通り、ぎこちなくそれに腰かけた。
「それじゃ早速始めていこうか。まずはリセ、最近の体とか心の調子はどうかな。」
「ええ、そうですね。ふふふ、元気ですよ。心配無いです。」
彼女が笑う度に内巻きになった彼女の髪が揺れる。亜麻色のその髪のお陰で、幾分か部屋も明るくなった印象を受ける。
この施設で『リセ』と名づけられたこの少女には、両親も親戚もいない。戦争でみんな死んでしまった、と彼女は話していた。施設では戦争で両親を失った彼女の様な子供たちを保護していて、彼女は、軍の武器庫の隅で縮こまっていたところを保護された。施設に来た当初こそ、何かに怯え、精神的に不安定になる事も度々あったけれども、今ではそれもすっかり落ち着いている。
毎回のカウンセリングで聞かなければならない事を聞き終え、既に暇になってしまった。同じく退屈そうに小窓を眺める彼女に意見をを求める。
「それなら先生、しりとりでもしますか?」
「先制はリセかい?」
「はい、それじゃあ「しりとり」だから、「り」から始まる言葉・・・。」
彼女は左手を顎に当てて小首を傾げ考えている。私は彼女を見る度に、どうしても彼女に対して罪悪感を感じざるを得ない。この施設では、彼女ほど落ち着いている子ならば他の子供たちと交流させるのが決まりである。しかし私の判断に因って、彼女は保護されてからというもの、カウンセラーの私や部屋の清掃や食事を運ぶ二、三人の他に、誰とも会っていない。私が彼女を他の子供たちから隔離し、独りきりの生活を強いているのだ。
勿論、それなりの理由はある。それは。
「・・・そういえば、リセは『爆弾』をまだ、身に着けていたいんだよね?」
「はい、ごめんなさい先生。」
「いいんだよ、何も問題ない。それがリセの支えになっている内は、無理に取り上げようだなんて、絶対にしないからさ。」
「ありがとうございます。次は、「ば」から始まる言葉ですよね。・・・」
彼女を隔離する理由。それは彼女が常に『爆弾』を身に纏っているからである。武器庫で保護された当時から、ずっと肌身離さず身に着けている。今も、服の隙間から黒いコードを延ばし、膨らんだコードの先端には真っ赤な起爆スイッチがある。彼女はいつでもこのスイッチを押せるよう、それを右手に握っている。
爆弾は彼女曰く、彼女が誰かに酷い事をされたり、辛い事を言われた時に、許せない相手を道連れにする為に身に着けているものなのだという。つまりそれは彼女のおまもりの様なものなのだ。彼女が安心できるように。私の判断で、結局彼女はそのままの状態で保護された。しかし、爆弾を纏った子と他の子供たちを交流させて、万が一の事があれば大変だ。最終的に私は、彼女を周りから隔離することを決定した。こうする他、道は無かったのだ。そう自分に言い聞かせても尚、後悔が胸の中に渦巻いている。
「ば、ばば、爆弾!・・・」
「あはは。リセが「ん」で終わったから、今回の勝負は私の勝ちかな?」
「ふふふ、別に良いですよ。・・・もう一回やり直しますから。」
彼女は頬を上気させて、何度も瞬きをしている。そういえば普段は大人しい彼女が、今日は少し落ち着きがないような気もする。
「大丈夫そうですか、リセ?」
彼女に手を伸ばそうとしたその時。彼女はその手を払いのけて勢いよく立ち上がる。空中に弧を書いてバタンと椅子が倒れた。彼女はそれを気にも留めず、私と真正面に向かいながら後ろへ下がり、声を荒げ言い放つ。
「動くな!・・・動かないで下さい。先生。」
彼女は既に爆弾のスイッチに指をかけて、今にも押してしまいそうだ。すっかり失念していた。また彼女は続ける。
「先生、私もう爆発しそうなんです!今までずっと我慢してきたんです。でも、限界なんです!」
「リセ、君は今まで爆弾を身に着けているのは、自分を守るためだって言っていたね。私が君に酷いことをしたんだろう。・・・本当に申し訳なかった。謝るよ。」
「あああそうじゃないんです、そうじゃないんですよ先生!・・・でも酷いです。今度、軍に徴兵されるって事を、先生は、教えてくれなかった。なんでですか。」
「それは、皆に心配を掛けたくなくて・・・」
「先生は優しい人ですね。私は、先生が施設の他のみんなの面倒だって見なきゃいけない事も分かっています。でも、私はずっと独りぼっちだったんです!こんなのまるっきり私の我儘です。ふふふ。でも、ごめんなさい。私は先生と一緒に爆発したい。独りきりで死にたくないんです。こうする他、道は無かったんです。先生、これが最期のお願いです・・・。」
彼女は一息に言い終えると、キッと此方を見据えた。爆弾を握る手が、興奮で不規則に、激しく震えている。長い沈黙が暗に私の返答を急かしていた。必死に考えろ。彼女にとって尤も良い答えは。
尤も良い答えはきっと。
「リセ、私は今までリセには、一人辛い思いをさせてきた。私もずっとその事で悩み続けていた。リセが私と一緒に爆発する事を望んでいるのなら、もしもそれが少しでも償いになるのなら、私はリセの願いを叶えたい。」
私はそう言い切り彼女を見つめる。彼女は答えた。
「すみません。・・・先生は、本当に優しい人ですね。」
堰を切ったように彼女の目から涙が溢れる。ひとしきり泣いて、彼女は私に向き直る。
「先生、もし、良ければもっと、此方に近づいて頂けますか。離れ離れにならない様に、手を繋ぎたいんです。」
「勿論だとも。」
立ち上がって彼女に近づき、小さく柔らかいその左手を、優しく握る。右手には起爆用の黒いスイッチが、しっかり握られている。
「ふふふ、先生、そんな悲しそうな顔をしないで下さいよ。私、今までの人生の中で、今がいっっちばん幸せだって、自信を持って言えるんです。こうする他、道は無かった訳ですから。」
なんて言って彼女は笑って見せた。私も彼女に精いっぱいに笑った。彼女は満足した様にまた笑って、そして大きく息を吐いて、もう一度私を見上げる。
そうしてリセは、細い親ゆびで、真っ赤な起爆スイッチを、力強く押し込んだ。
直後。凄まじい轟音と皮膚が捲り上がる痛みと硝煙の臭いが一瞬の内に肉体を駆け巡った。少し遅れて脳味噌を激しく掻き混ぜられた様な嘔気や酷い喉の渇きが襲い来る。あれほど確かに握っていた左手も、爆風で根元から攫われバラバラになってしまった。105度程傾いた視界には亜麻色の髪の少女の姿は無く、ただ赤赤とした『何か』が散り散りに在るのみだ。私は発狂しそうなほどの痛みが、やがて意識と共に、穏やかな充足感に掠れて変化していくまで、ずっと赤いカウンセリングルームを記憶し続けていた。
リセの言う様に、私にもこうする他、道は無かったのだ。
尤も良い答えはきっと。
「リセ、今までリセには一人で辛い思いをさせてきた。私もずっとその事で悩み続けていた。でも。だからこそリセには生きていて欲しい。私の命なんて何時でもリセの為になら捨ててしまっても構わない。ただ!リセ、あなたには生きていて欲しいんだ。それがきっと、あなたの為になると信じているから。」
私はそう言い切って彼女を見つめる。彼女は答える。
「すみません。・・・先生は、本当に優しい人ですね。」
堰を切ったように彼女の目から涙が溢れる。ひとしきり泣いて、彼女は私に背を向けた。
「先生、もう二度と私には近づかないで下さい。大嫌いです。私はまた一人きりで、そして独りぽっち死ぬんですね。・・・それでも、私も先生みたいに優しい人にだったらこんな事にはならなかったのに。先生、さようなら。」
彼女は泣き腫らして、赤くなった目で一瞥すると、早急に退室した。私は酷い喪失感を覚えて、椅子の背もたれに寄り掛かっては、気持ちを整理し終えるまで静まり返ったカウンセリングルームを眺め続けていた。
リセの言う様に、私にもこうする他、道は無かったのだ。
それから三か月後、私は徴兵のために施設を出た。その間の三ヶ月、彼女はカウンセリングを受けることを拒み続けた。私は、彼女の意思を尊重してそれを認めた。私が施設を出る日にも彼女はとうとう現れなかった。
あれからもう五年になる。私は、また生きて、施設を訪れる事が出来た。あのカウンセリングルームは相変わらず、実に殺風景だ。それでも部屋の南側には小窓があって、この部屋にあの頃と変わらない明かりを投げ込んでくれていた。
そして、小窓の反対方向に据え付けられたドアを開けて、あの例の少女が入ってきた。
「失礼します。先生、おはようございます。ふふふ、どうして生きているんですか?」
「その台詞を言うのは私の方じゃないのかな、リセ?」
彼女は数歩で椅子まで来て、ゆっくりとそれに腰かける。彼女の両手は空いていて、随分と身軽になっている。亜麻色のその髪が揺れる度に、この部屋の空気さえも明るくなっていく様だ。
「先生、色々お話したい事があるんです。聞いて下さいませんか。」
プリンセス・エクスプロージョン 里下鳥太幸 @satogetori
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