第3章 思惑


「私が、あの人を殺した?」

 本気で言っているの?と、カオルは小馬鹿にするような笑みを浮かべる。そしてその後、隣の席まで聞こえそうな程に、大きな溜息をついた。

「カヨ。あんた、自分が言っている意味が分かって…」

「分かってるよ」

 発言を遮られたことに彼女は一瞬身じろいだが、負けじと私を睨む。

「分かっていないよ。分かっていたら、そんな馬鹿なことを私に言う訳無いもの」そう言った後、彼女は運ばれてきたグラスに入った水を一口飲む。「もしかして、それを言うために私をここに呼んだの?久しぶりにあんたから連絡が入って、謝罪か何かだと思ったのに。なんなの」

 強気に出てくるカオルだったが、そんな嫌味ごときで怯む程、やわな意志で彼女を呼んだ訳では無い。私はあくまで毅然きぜんとした態度で、彼女に淡々と伝える。

「私だって、自分の発言の意味を分かってる。分かってるから、こうしてわざわざ、今は会いたくもないあなたを呼び出して、真面目に尋ねているの」

「会いたくもない、ね」

 私の言葉に、彼女は片眉をぴくりと動かす。そんな彼女を、私は真っ直ぐに見据えた。

「カオル。あなたこそ、私の言葉の意味を理解してる?れ言だって、逃げようたってそうはいかないんだから」

「…へえ」

 強く言い返されるものと少々ひやひやしていたが、反面彼女は腕を組んで何度か小さく頷いた。

「なんだか言うようになったね。上司にやり込められていた時には、死にそうなくらい弱々しかったのに。最後に会った時も、もう何もかも嫌になったって感じだったし」

 彼女の言うことは正しい。あの時は、心の底から今の自分の人生が嫌に思えていた。なにぶん、本気で自殺を図ったぐらいなのだから。

 …でも。

「前は前、今は今だよ」

「何かあったの?」

「何か?」

 カオルは「別に」と、机の上で指を立て、二、三度とんとんと突いた。

「今のあんた、人の目を見て話ができているもの。人間、そうそう変われるものじゃないよ、特に大人になってからはね。特にあんたの性格から言えば余計そう。何が、あったの」

 そこで私は、昨夜の一件を思い返す。自殺するつもりが、それは全てフリであったこと。フリにも関わらず、ミナが死んだこと。

 一人ではいつも躊躇ちゅうちょするだけで終わっていたが、生まれて初めて試みた自殺。生まれて初めて見た、他人の遺体。たった数時間ではあったが、己を変えるだけの経験だったといっても、過言ではない。

 しかしそこで気がついた。最初質問したのは私なのに、いつのまにか質問をされているではないか。唇を噛む。彼女は昔から、言葉選びが上手いのだ。気を抜くと、言葉巧みに言いくるめられてしまう。

 私はカオルの目の前でかぶりを振るった。

「質問しているのはこっち。今、私のことはどうでもいいよね。話をすり替えないで」

 語気を強めに言い放つ。カオルは表情を固くさせた。

「だったら、そう考える理由を早く話してよ。いきなり『お前は殺人犯だ』なんて言われても、ねえ。私だからいいけど、他の人なら怒ると思うよ。意味不明なことを言われて、いい気分じゃないもの」

 まくし立てる彼女。動じてはならない。

「理由ならある。きちんとね。そうじゃなきゃ、実の姉を親の仇になんてしたくないよ」

「だから!」そこで、彼女は声を荒げた。「理由よ理由。あるんだったら早く話しなさいよ!もったいぶらずに!」

 カオルはテーブルに掌を叩きつけた。周囲の客の、視線をひしひしと感じる。店で喧嘩、それだけで好奇心は沸き立つというのに、見ればよく似た顔の女が二人だ。普段見ない光景は、外野にとってさぞかし面白いものだろう。しかしカオルは気にも留めない。

 ここまでは計算通りだ。私はこほんと、小さく咳払いをした。

「理由ね…」

 わざと渋るそぶりを見せると、彼女は露骨に苛々し始めた。一度あからさまに怒りを露わにしただけに、吹っ切れたのだろう。

「まさかあんた。そんな理由なんて最初からないんじゃ…」

「いや、あるよ。でもそれを教える前に」

「あなたに認めて欲しい。『母さんを殺したのは、私。ごめんなさい』。これだけで良いの」

「はあ?」と呆れたように、カオルは口をひん曲げて首をかしげる。「私は、そんな事実が無いってわかってる。言えるわけないじゃない」

「それなら、カオルが母さんを殺してないという証拠を見せてよ。そうすれば解決ね」

 私がそう言うと、カオルは小さく舌打ちをする。

「あのねえ。普通、言い出しっぺのあんたが私にまず提示するものよね」

「私はあなたが謝るまで話すつもりはないから」

 自分でも言っている意味が分からないし、筋も通っていない。こんな、支離滅裂しりめつれつな発言を繰り返す私に、カオルが愛想を尽かさないだろうか。たとえ、彼女を苛立たせるという作戦だとしても、このせいで帰ってしまったらどうしようかと、そればかりが気がかりだった。

「…変わったというか」

 しかし彼女は呆れるというよりも、憐れむような目を向けてきた。

「おかしくなっちゃったんだね、あんた。仕事がうまくいかず、母親も亡くなって。まあ、おかしくなっても仕方ないか。私があんたなら、そうね。自殺でもしてると思うし」

 それを聞いて、思わず咳き込む。そんな私の様子を気にすることもなく、彼女は肩をすくめた。どうやら、このままこの場にいてくれるようである。疑惑が、徐々に確信へと変わっていく。

「…でもさ。私が殺したも何も、母さんは確か事故死だったんでしょ。警察、そう言ってたもの」

 彼女の言うとおり、警察はあれを事故と判断した。階段から落ちた瞬間を目撃した人間がいないこと、また本人の遺体から、他殺の証拠は出なかったこと。それ故の、事故。

「警察だって馬鹿じゃないんだよ。他殺の可能性がなかったから、そう判断したんでしょ」

「事故じゃないよ」私は否定する。

「だから、そう決めつける根拠は?」

 そこで私は、切り出した。「私。病院でお母さんが亡くなる直前に、話をしたの」

 カオルの顔が蒼白になる。

「話をした?」

眉間に皺をよせる彼女に、私は肯いた。

「その時、聞いたの」

「何を、聞いたのよ」

「私はあんたに突き落とされた。そう、言ってた」

「あんた?」

 首を傾げるカオルに、私は淡々と告げた。「私自身、お母さんを突き落とした覚えはなかった。でも、お母さんは私を見て、『あんたに』って。そこで思い当たったのは、双子の姉。カオル、あんたのこと」

 私は、瓜二つの目の前の女を指差した。彼女は私の指を見据えていたが、「あり得ないよ」とテーブルに肘をつく。

「あり得ない?」

「死に際に、母さんがカヨと話をしたなんて」

「なんで?」

「だって、階段から落ちて、頭を打って。それで、その、即死だったわけだよね。それなのに、病院で会話なんてできるわけない…」

 そこで彼女は続きを話すことをやめた。私が、テーブルを片手で思い切り叩いたのだ。コップが跳ね、ガシャンと大きな音が立てて倒れる。またも周囲から奇異きいの眼差しを向けられるが、今度は私もお構いなしだった。

「何。何なの」

 怖々とカオルは問うが、私はそれどころではなかった。

 やはり。

 やはりマサキの言うとおり、彼女は。

「お母さんが亡くなったのって、警察に聞いたんだっけ」

「え、ええ。そうよ。それが何なの」

「それならどうして、そんなことを?」

「そんなこと?」

 そこで私は、彼女の目を見た。いつもは強い眼差しなのだが、今はそう、まるで弱った草食動物のようだった。

 そんな彼女に対して私は毅然きぜんと言い放った。

「お母さんの死因は、首の骨を折ったから。そうでしょ?」

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