7
飛び降りた瞬間の、ふわっとした感覚。
そんな柔らかな感覚は、首にロープが絡まり止まった途端、瞬時に激痛へと変わった。
痛い。苦しい。
そんな言葉で表現できるものではない。
思わず首元のロープに両手をやり、それを取ろうとする。が、自重により深く締まったことで、飛び降りる前にはあった隙間が無くなり、どう足掻こうが指が入る隙間もない。
「か、あ」
声が出ない。
というより、出せない。息もできない。それもそのはず。窒息死する程というのだから、発声も呼吸も、思うようにできる訳がない。
首を爪で引っ掻きつつ、体を上下左右に揺らす。
ぎぎ、ぎぎ、ぎりり。
ロープがフックと擦れる不愉快な音。
耳はまだ健在か。いや、そんなことはどうでも良い。
なんだ、これは。
すぐに意識を失うはずではないのか。
話と違うではないか。
(い、いや)
今更、何を言っている。
そんなこと、分かっていたはずだろう。
死ぬということが、簡単ではないということに。
死ぬということが、どれだけ恐ろしいかということに。
今際の際、そんなことを考えていた時だった。
ふっ、と首にかかる力が抜けたかと思うと、自分の体が下がっていく。床に踵から落ちる。同時に、まるで足裏に強い電気が走ったかのような、鋭く激しい痛みと痺れ。体を丸め、思わず足を抑えた。
何が——。
起きたのだろう。混乱する頭、足の痛みと戦いながらも、未だストロボのようにちらつく視界で、よろつきながらも自分が今程吊られていたフックを見上げた。
首にかかっていたロープの輪の、一部分が千切れている。ロープが、自分の体重に耐えきれなかったのだ。
しかし、そう冷静に判断できるのはそこまでだった。周囲の状況を見て、思わず息を呑んだ。
まさに、地獄絵図だった。
隣ではミナが。他の机の間にはマサキ、ジュン、スミエが。首を吊り、宙に浮いた状態にあった。
思わず、後退る。吐き気が込み上げてくるのを必死で抑える。誰もが、今の今までの私同様、空中で暴れていた。ロープを首から外そうにも外せない、宙に浮いたその状態では、そこまでの力を出せる訳が無いのだ。
「な、あ、えああ」
隣のミナが、悲痛の叫びを甲高く上げた。
顔面を真っ赤に紅潮させ、目から、鼻から、口から。顔のあらゆる穴から、赤い血の混じった泡を吹く。その絶望的な表情。そしてそんな死に際な彼女の視線の先にいる私。
ぞくっと背筋に冷たい感覚がして振り返った。
吊られた他の三人が、私を見ていた。
苦痛に顔を歪め、虚ろな眼で、私を。
何をしている。
失敗したのなら、もう一度。
もう一度、早く。
早く、ロープを首にかけろ。
今の私と。俺と。あたしと同じように。
早く。
早く!
「そ、そんな」
私には、できない。
「いやだ…」
こんな恐ろしいこと、できる訳が無い。思うが早く、その場を離れたい衝動に駆られた。しかし、その思いとは正反対に、脚に力が入らない。
なんで。なんで、なんで。
どうして。
目の前の光景に全身がすくみ上っているというのか、立つこともままならない状態だというのか。
「あ…」
そうしている間も、頭上で吊られている彼らはもがき苦しんでいる。私はそんな現実を認めたくないのか、腿を両拳でばんばんと叩く。
早く、早く立ち上がって!
じゃないと…もう。
そうして目を閉じ、一人焦燥感に駆られていた次の瞬間だった。
どすんっ。
そんな、大きな音。聞こえたかと思えば、立て続けにもう一回、二回。振動が、自分の体を伝ってくる。
「えっ」間抜けな声を上げる。間違いない。今の音は床からだ。物が落ちた際の、落下音である。
まさか。
「…いてて」
部屋の中、少し離れた場所から
瞼を開き、私は視線を上方へと向けた。そして、目を見開いた。無い。今の今までロープに吊られていた、マサキ達が、消えてしまっているのである。
「あーあ」
またもジュンの声。
「今回は、失敗ね」
続いてスミエの声。彼女はジュンの隣にいた。声もその辺りから聞こえるが、床に座り込んだ私では、机が邪魔で向こう側を見ることはできない。
——これは。
「カヨさん」
ふと、声がした方向に目を向けると、私と同じく床の上に倒れているマサキの姿があった。彼は腰をさすりつつ、眉をひそめて私を見ている。
「申し訳ありません」
私みたいに、予期せずロープが切れたわけではない。彼の態度から、私は自分の頭で考えていたことに確信を持つことができた。
——これは、つまり。
「皆さん。自殺するフリをしていたんですか」
私がそう言うと、マサキは「ええ。あなたを除いた私達全員で」と頷いた。
あまりにも素直に認めるので、緊張で固くなっていた全身から力が抜ける。というより、話が急展開過ぎて、なんと返せば良いのか、分からなくなっていた。
自殺のフリだって?
何故、そんな真似を?
「ど、どうして」
「それはあなたを
「騙す?一体…」
次いで質問しようとしたその時、私の声はスミエに遮られた。
「割り込んでごめんなさいね。カヨちゃんは色々気になっていると思うけど、一人忘れていないかしら」
そう言われて、スミエを除く私を含めた三人共にハッとなった。そこでようやくもう一人…ミナのことを思い出したのだ。
ミナはまだ、ロープに吊られていた。気付かなかったのは、彼女があまりにも大人しいため、部屋の一部に同化していたからだ。
ぎぎ、ぎぎぎ。
「ミナさん。もうフリは良いんですよ。早く、そのロープを切ってください」
マサキがミナに声をかける。が、彼女はそのまま微かに揺れているだけで、返答はない。蒼白な顔面をして、宙吊りのままに両手をだらりと下に垂らしている。
「ミナさ…」
彼女に近寄ったマサキは、途中で言葉を
「ど、どうしたの?」
スミエの問いに、彼は震えながら答えた。
「…んでいるんです」
「え、なんですって?」
「だから!」彼は、改めて大声で叫んだ。
「ミナさんが、死んでいるんですよ!本当に首を吊って!」
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