校内は、放置されていた割には小綺麗なものだった。

 とは言っても、蜘蛛の巣は張っているし、名も知らぬ羽虫は目の前を何度も掠める。廃屋的な建物の中では、という枕詞がつく形で、綺麗に思えた。

 校舎に入って一階、端の部屋に私達はたどり着いた。

 奥行きのある部屋だった。ガスの栓が備わった、幅一メートル、長さ二メートル程度の黒色をした平机が、川の字のように三列、複数台教室の奥まで配置されている。周囲を取り囲む棚の中には、フラスコやビーカー等、何かしらの実験に使われるような道具が数個置かれていた。

 部屋の様子から、ここは昔理科室として使われていたのだろう。

 ここが、私達が自殺をする場所だった。


 この場所で、何人もの人が死んできたのだろうか——。


 今日の私達みたいに。そう考えると身震いがする。地面、床。ここで死んだ彼らの痕跡こんせきが、目には見えずとも残っているように思える。彼らの魂までも、この場所に残っている可能性もある。

 私はこれから、そんな彼らの仲間入りをするのだ。


 廃校ということもあり、電気は通っていないようである。

 マサキは懐中電灯を頼りに、持っていたリュックから沢山の蝋燭ろうそく型のライトを取り出す。光は弱いが、室内にて互いの姿を認識できる程度の明るさになった。

 そうしたところで、私は思わず「えっ」と小さな声を上げてしまった。部屋の天井には、目に留まるほどの、大きな五つのフックのようなものが付いていた。それも等間隔に、直径二メートル程の大きな円を描くように。

 なんだろう、あれは。

「ここが、そうなの。漸く到着した訳ね」

 きょろきょろと室内を見回していたミナが、机の下から四角い木の椅子を取り出し、座った。私も同様にして座る。

「どうしたんですか」思い切って訊いてみると、彼女は浮かない顔をして足を組んだ。

「あたし。本当に、やるんだなって」

「やるって…自殺を?」

「うん。なんだか、ね」

「はは、何を今更」ジュンが小馬鹿にしたように鼻で笑う。「俺達、それが目的で集まったんだぜ。廃校探検ツアーとでも考えてたんかよ」

「そんなこと、分かってるし。でも首吊りで死ぬなんて私、初めてのことなんだもの」

「…皆、初めてだろうがな」

 眉を寄せる彼を一瞥いちべつすると、ミナは溜息をついた。

「なんか、ここに来てやっと、というのかな。『死ぬ』ってことが、何だかその、リアルに感じてきちゃって」

「あんたらしくないじゃない。さっきの車の中での態度は何よ」

 スミエに茶々を入れられるが、ミナは「ほっといてよ」と一言。

「もちろん、ここに来るまではきちんと分かってたし、簡単なことだと思ってた。自殺なんて、言葉にすればいくらでも口に出せたんだけどな…」

「事実、それを行動に移すというのは、誰だって難しいものよ」

 特に、あんたみたいな若い子はねと彼女に言いつつ、スミエは私にもちらりと目を向ける。カヨちゃんもよ。そう言われたように感じ、思わず目を伏せる。

 スミエの話を聞いていたミナが、顔を上げる。

「おばさん。実はあたし、さっきから色々と考えちゃってさ」

「…色々って、例えば?」スミエが聞き返すと、ミナは軽く、もじもじと両の手の指を遊ばせる。

「なんていうのかな。死んだ後の世界ってどうなるのかな、とか。あたしのことを知ってる人たちって、あたしが死んだニュースを聞いて、どんな表情をするのかな、とか」

 死んだ後の世界、か。

 死んで楽になりたい。その想いは変わらないが、私という存在がいなくなった世界。誰しも自分のいない世界は未知の領域である。それは、私も興味があった。

「もしかすると、何か変わるんじゃないかなって。その変わった様が知りたいのに、知ることができないのかって。ねえ、カヨさんもそう思うよね」

「へ。わ、私ですか」

「そう思わない?」

「まあ…確かにそうかもしれないですが」

「そういうことが気になるなら、今日の自殺はおすすめしませんよ。…おっ、あった」

 そこで、理科準備室と思われる扉の先に入っていったマサキが、そう声を出す。どうやら今の会話を聞いていたようだ。数秒後、両手に沢山のロープを持って、やってきた。

 ただのロープではなかった。一端に両腕が入る程の大きな輪が作られており、もう一端にもまた指二、三本程度の大きさで、同じような輪が作られている。小さな輪はともかく、大きな輪は、首にかける用だろう。そしてそのまま吊られる。そんな未来を想像して、私は思わず息を飲む。

 また、二つの輪を繋ぐ導線部分のロープは、数本が絡み合っていた。切るには鋸でようやくと言って良いくらいには太い造りだが、それと比べれば、輪の部分は細い一本でできていた。しかしそれでも、ロープはロープ。いくら引っ張ろうとも暴れようとも、千切れることは無さそうに見えた。 

 マサキは、手に持ったロープを四人に見えるように、軽く掲げた。

「これ、私達の体重に耐えられるものなんだとか。管理人の方が調整して、用意しておいてくれたそうですよ」

 淡々と述べる彼のもとに、ミナは近寄った。

「あの。今の、どういうことですか」

「今の?」

「自殺が、おすすめできないってやつです」

 彼女は声が震えていた。そんな彼女を、マサキはじっと見つめた。

「ミナさんは、これからご自身がやることを分かってますか」

「わ、分かってます。死ぬんでしょ」

「そうですっ」突然大声を上げたマサキに、ミナは全身縮こまって彼を見た。「死ぬんですよ。それなのに、あなたは、その心構えが成っていない」

「…え、えっと」

「死んだ後の世界なんて、どうして気になるんです。今の私達にとっては、死ぬことそれ自体が至高なんです。分かりますか?意味のある死なんですよ。それなのに、まるで現世に未練があるような言い方…そんな考えをお持ちのようなら、帰ってこれまでどおり、親に縛られて生きるのが良いと思いますよ」

「なんです、その言い方。そんなのって、無いでしょ」

 震える声で小さく反論する。が、マサキは毅然たる態度を変えなかった。

「死ぬなら死ぬ。心に決めて臨まないと、後悔しますよ。前にそう言ったでしょう」

 萎縮する彼女に、マサキは更に畳み掛ける。

「あなたはここに死ぬつもりで来たはずでしたよね。それならもう、しのごの言わずに、今あなたがやるべきことをやれば良い。なにか、間違っていますか」

 ミナは何か言いたげな表情を浮かべていたが、俯きながら部屋の壁側にぺたりと背をつけ、座った。結局のところ何も言い返す気になれなかったようだ。

「マサキさん。あなた、少し言い過ぎ」

 スミエがマサキを嗜める。マサキは申し訳ないと、大きく息を吐いた。「死を前にして、少し気が立っていたかもしれません」

 ぺこりと頭を下げる彼だが、ミナは体育座りの姿勢で、足の間に顔をうずめた。何となく、五人の中に重苦しい空気が流れた。

 スミエがうんざりしたように肩をすくめる。

「あのね。今、ここにいるのが、自分の最期を見てくれる相手なのよ。互いを憎み合いながら死ぬなんて、それこそ惨めよ」

「ああ、そのとおり。スミエさんの言うとおり」

 ジュンもそれに同調する。

「ほら、ミナも機嫌直せよ。カヨちゃんだってびっくりしてるじゃないか」

「私ですか。え、ええ。まあ」

 それでもミナは何も言わなかったが、微かに頷いたように見えた。マサキは「それでは」と、親指で天井のフックを指した。

「これから、ロープを天井のあれにひっかけていきます。リーダーの仕事ですので、皆さんは少々お暇をしていてください」

 そうか。あれは管理人が自殺用に取り付けたもの。ロープの小さな輪は、フックにかけるためのもの。謎が解けた。


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