丸さを許される
あおいそこの
・・・
日本に「丸型使用禁止令」が発令された
自販機の小銭を入れる場所、その中の飲料の類、球体の西瓜、コップ、ペン立て、ハサミの指を入れる所、ボタンのあれこれ
全てが禁止された
その理由は発表されていないが、日本から丸みが消えた
算数の問題からは球や、円、分度器を使う問題も消えた
丸い小銭は見つかり次第廃棄へと持って行かれる
そして新しい硬貨へと変わる
日本最初の硬貨と言われている和同開珎も円形だったのに
穴は四角だったけれど
どうして急に四角形や三角形になったのかは誰も分からなかった
それを知った世間はそこまで気にしていなかった
私も気にしていなかった
ただ視界から丸みが無いだけでしょ?って
私の眼球は丸いまま
幼き日から変わらない思考は丸いまま
それが追放されないのは生まれた時からそこに、そのまま存在するから
それを変えられないのは多少なりとも現状に不満があるから
新たに生み出されるものはみんな四角か三角か、とりあえず丸以外
星型とか
嗚呼、棘々しい
私の視界に入る物の中で丸みを許されているものは人の頭くらいしかない
スマホのカメラもレンズが四角くなったし、角にも丸みがなくなった
凶器として使えるな、みたいな、面白くないな、、、
人の頭なんてものすごいまでの言葉の暴力で罵ることが出来る脳みそが入っているのに
トゲトゲ言葉を容赦なく人に吐くのに
その脳みそは丸さを許されている
私はそれを許せない
人間の手で命が宿されたような
無機質な命なんてないような
そんなそれらの方がよっぽど優しい
見たくないものをシャットダウン出来て、匿名性を利用する馬鹿が蔓延っているものの、自分から知ろうとしなければ知ることもない
わざわざ傷つきたくない時には触れないようにすることが出来る
けれど現実世界はそうはいかない
何かしていないと認められることがない、何かをしても否定される、何もしてなくても否定される
どっちに進めばいいか分からないけれどその世界で生きていけない奴はダメな人間と判断される
私がここでもどうにか生き残れるのは必死に人の丸みを探しているから
優しいところを信じているから、それに期待をして、裏切られたことがあっても報われたこと、応えられたことがあったから。
少なくとも棘がある「だけ」、
「全く」丸みがない、
そういう場所ではないと思っている
マップのピンも四角であることに違和感さえ覚えない
「流々(るる)~こっちだよ」
「え、マップはあっちって言ってるけど?」
「看板はこっちって言ってる」
「意味わかんねー」
今日は友達と『丸さを許された展覧会』に行く
たまに国主催でこういう展示会が開かれる
この展覧会はネットで見つけて写真は一切出ていなかったけれど丸さを許されている絵や、他にも芸術品というジャンルのものが置かれているらしい
見に行きたいと思って友達を誘ったら、快く承諾してくれたのだった
迷いながらも大きな建物の中に入っていく
この日本から消えた回転扉から始まり、配られたパンフレットは内輪にもなる丸形
広々した空間の天井には明るく綺麗な円形で象られたステンドグラスから差し込むカラフルな光が異国情緒を漂わせていた
どこを見ても丸みを帯びているものばかり
優しさのない図形ばかりがある世間や、そんな社会に慣れている私は、今いる場所が日本であるはずなのにどこか異世界のような気がした
「すごいね。久しぶりに見たかも」
「ほんと…すごい。丸いね」
「そうだね。まっるい」
「丸い丸い」
どの絵画も、よく分からない技術を駆使されて作られたであろう陶器も目を引かれる美しさを持った
パンフレットの持ち帰り(投票用紙になっており出口で箱に入れさせられた)一切の写真、動画撮影、録音は禁止だったが目に焼き付けておこうと思った
許されない丸に触れているという合法の罪悪感が背徳を増し、久しぶりという古い友人に会うのにも似たどこか懐かしむような感情
丸み、というだけで優しさを持った
お土産が売られていないと書かれていたのが少々残念だった
「これ1ビル丸々なのかな…」
「そうじゃない?きっついね…」
「広すぎる」
青息吐息になりながら全フロアの展示を舐めるように見ていく
十階建てのビルの半分を過ぎた六階で思わず私は足を止めてしまった
人の流れを遮らないようになるべく止まらずに歩き続けろという放送が絶えず流れていたが私はその絵を見て引き込まれた
「流々?どうしたの?その絵気に入った?」
「うん、理由は、よく分からないんだけど」
ただの人物画だった、
抽象画にも見えたけど人間と分かる目鼻立ちをしていたし、大きさがバラバラというわけでもなかった
どこからどう見ても人間
けれど型にはめられて四角い形に育つスイカのように頭が四角くなっていた
プレゼントみたいにリボンでラッピングされた頭がカパ、と開かれてその中には四角くないコインが守るような手の形の手に支えられていた
その手はドット絵のようにギザギザした線で1つひとつのエレメントが大きいことが分かる
雑に見えた繊細な絵だった
現代アートにも見えたし、油絵のような長く人に愛されている描法に見え得た
「あ、6階は『シカクの広間』なんだって」
「え、どのシカク?」
「分かんない。カタカナで書いてある。その絵角度によっては表情が変わって見えたりするのかな」
「そうかも。・・・いや、変わらねぇ」
「普通の四角かもね」
「そうだね。普通の視覚かぁ~」
認識の齟齬はいつでもどこにもでも潜んでいる
私の友達の季華(きか)と私流々は一番上の十階『何でもない間』にて驚きの事実を知る、
「国は
『現代に慣れ過ぎている世間は
日常になくて困らないものが消えたところで何も感じない
けれど国が許す、という盛大な行事として執り行えば
消えた何かへの感動や、些細なことに対する価値を思い出すのではないか』
と考えている」
国の正式な発表と証明されている構文だった
確かに現代病は恐ろしい
ネットに侵され過ぎて友達と思えなくなった知り合いもかなりの数いる
感情の総量が少なくなって、感受性も貧相になって、映画の前に二時間座っていられないような集中力を持っている輩が溢れかえっているのは認める、敵意すごいな私
その為に円形を消したのか?
この社会は?
日本は?
「日本って案外ヤバい国だね…」
「それな。結構ヤバい国だよ。でもまぁご飯美味しいし、丸はなくてもそこまで困らないけど」
「電車時間通りに来るし、水綺麗だし。丸があった時の感動、は、まぁ、すごかったよね?」
「そう、だね?」
脳が混乱してよく分からない会話を繰り広げてエレベーターも、エスカレーターもあったのに階段で熱く語りながら1階まで下りた私たちでした
この展覧会の来場者数は一千万人を超え、東京都のほぼ全員が来たと同じくらい結果となった
百年前の人たちはどういう気持ちで丸形の消滅を見ていたんだろう、
丸さを許された場所で
優しく生きていましたか?
私の日記
二一三四年六月八日
今日は丸さを許された展覧会に行ってきた、丸がたくさんあって新鮮でびっくりした、丸型禁止法発令100周年だったからなんだって、それで理由も公表されてた、
マジでびっくり!
そういう理由だったんだ!って
おばあちゃんのお父さんとか、お母さんの時代は、(私のひいおじいちゃんたち?)は丸がある世界だったんだな、って思ったらちょっとえへへ、みたいな気持ちになったよね、(ドユコト)
ケア・デ・イデザインさん?だったかな、名前がどういう意味なのかは分からなかったけどその人の作品があの、マイハートにずっきゅんだった
作品のタイトルが「許される図形」っていうのもめっちゃ好きだった!!頭が四角くて、ラッピングされてるみたいなリボンもあったんだけど、脳みその中にはお金を第一だよね、っていう意味なのか、こうなっちゃったね、、、みたいなコインが書かれてた。それを持ってる人の手はちょっとギザギザしてた、
また行きたいけど、初めて見た時の感想はないんだろうな~
また老いたら?w記憶とか薄れてきたときに答え合わせみたいに同じような展示会に行こうと決めた今日の私
以上!!
教科書の句読点も「、」だけになって、
許されない図形がないことも当たり前で、
時間が経てば疑問さえも抱かなくなること想像はしていなかったのかもしれない、
けれど予想していたからわざと百周年とこじつけて情報を公開したのかもしれない、
丸さを許されるこの世界では。
丸さを許され(なければ触れ)る(ことも出来ない)この世界では
「。」
【完】
あおいそこのでした。
From Sokono Aoi.
丸さを許される あおいそこの @aoisokono13
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