悪魔少女と毒リンゴ
キヒヒヒイヒヒヒ
悪魔の不気味な声が、夜中の町に響きわたります。
人々はこの時間帯は外に出ません、悪魔が毒リンゴを食わせてくるという噂があるからです。
ただの噂話ですが、大人たちはなぜかそれを本気にしていました。
そして、大人たちは子供たちを夜、外に出すのを禁止していました……
そんな町に、両親のいない孤独な子がいました。
この子は名もなき少年。この子が自分の名前を覚えるよりも先に両親が死んでしまったため、彼は自分の名前がわかりません。
だから、彼は自分の名前を名乗らず、名無しとしてずっとゴミをあさって生きてきました。
この名もなき子は、危ないことを教えてくれる親がいないため、危険な夜に外出してしまいました……
人が全くいない夜の町で、ゴミをあさって残飯を食べながら歩き回る名もなき少年。
そんな彼の耳に、「キヒヒヒイヒヒヒ」と不気味な少女の声が聞こえてきました。
「この声……まさか、うわさの……」
その少年は自分から声がする方へ歩いていきました。
明かりの点った家々が脇に立ち並ぶ道の真ん中を歩いていくと……
「キヒヒヒイヒヒヒ」
悪魔の少女が、いました。
目のぎょろぎょろした、怖い顔をした女の子。
よく見ればかわいい顔をしていましたが、かわいいよりも怖いという印象を先にどうしても抱いてしまう顔でした。
少年を見ると、少女は不気味に顔を歪めて笑います。
「私のリンゴを食べて」
少女がバスケットからリンゴを取りだして、少年に差し出しました。
「それ、毒リンゴ、なんだろ」
「うん」
「否定しないんだ」
「うそは、つきたくないの」
「どうして?」
「うそをつくと、汚い大人といっしょになっちゃうから……」
少女は消え入りそうな声でぼそぼそと言いました。
「ねぇ、私の毒リンゴ、食べてよ」
「君が食べろよ」
「私は、もう……これ以上食べたらいけないくらい食べているの」
「じゃあ、食べなきゃいいだろ」
「でも、誰かが食べないといけないの」
「なんでだよ」
「世界に、毒リンゴがあふれちゃうから」
「言ってることがよくわかんない」
「ねぇ、食べてくれる?」
「いやだ」
少女はポロポロと雪のような涙を落しました。
「な、なんだよ、泣いたからって食べないぞ」
「……わかった、別の人を探す」
とぼとぼと寂しい背中を見せて、歩いていく彼女の姿を見て、少年はなんだか申し訳なくなりました。
「ちょっと待ってよ」
少女が足を止めて振り返り、赤い目を少年に向けます。
「食べるよ、それ」
「え、でも……」
少年は少女の方へ向かい、リンゴを取って、ガリっとかじりました。
「うん、おいしい……新鮮なリンゴを食べるのは久しぶりだ」
少年はむしゃむしゃと食べます。
「……毒リンゴなんだよ?」
「わかってるよ、お腹が減っていたんだ、食わなきゃ死んでいた」
「……変なの」
そう言う少女は、しかし嬉しそうでした。
少年と少女は友達になりました。
ある気持ちのいい晴れた日の朝のこと。
少年が町の中をぶらぶら歩いていると、広場で教祖様が集会をやっていました。
大勢の町民がいます。みんな教祖様の話に夢中です。
「嘆かわしいことに、今日もひとり、病気で仲間が死んだ……」
教祖様の発言を聞いて、人々は「おお……なんということだ……」と顔を手で覆います。
「それもこれも、悪魔の仕業なんだ、悪魔が我々をむしばみ、死に追いやっている!」
教祖様は身振り手振りをしながら、熱を込めて大声で言います。
人々は「そうだそうだ!」と同調します。
「世界の平和のために悪魔は殺さなければならない……しかし、一筋縄ではいかない、倒すための資金がいる!」
教祖様は上に穴があいた箱を取り出しました。
「みな、悪魔を倒すためにも、我々に協力してほしい!」
人々は我よ我よとお金を箱の中に入れていきます。中には札束を入れる人もいました。
「ありがとう! 君たちのおかげでまた世界の平和に一歩近づいた!」
教祖様の言葉に、満足げに人々はうんうんとうなずきました。
「さぁ、最期に、皆、この神木に祈りを捧げよう」
教祖様は横にずれて、背後にあった大きな木を指さします。
これは樹齢千年のありがたい神木として、人々が崇めているものです。
人々は一斉に目を閉じ、その神木に世界の平和を祈りました。
集会が終わると、少年はその人込みの中に入っていきました。
「あの子、悪い子じゃないよ」
突然入ってきた少年を、怪訝な顔で見る人々。
中には、明らかに侮蔑した目を向ける人もいました。
「まぁ、なんて汚らしい子! 臭いですわ、近づかないでくださいまし!」
しっしっと追い払おうとする、キラキラした宝石がたくさんついた服を来た女の人。
その人を「まぁまぁ」と教祖様がなだめた。
「少年よ、君はガリガリに痩せているじゃないか、さぞおなかが好いていることであろう、私の昼食にする予定だったが、これを君にやろう」
教祖様はカバンから袋に包まれたサンドイッチを取り出し、少年に渡しました。
少年は渡されたサンドイッチを無我夢中で頬張りました。
こんなにおいしいものを食べたのは、少年にとって初めてでした。
少年は、教祖はとてもいい人だと思いました。
「まぁ、あのような卑賎な子に昼食のサンドイッチをあげるなんて、なんて教祖様は優しいのかしら!」
人々は、教祖の優しさに感動し、目端から涙を流します。
少年は食べ終わると、教祖様に礼を言います。
「おいしいものをありがとう」
「いや、気にするな、貧しいものに優しくするのは、当然のことだ」
「でも、教祖様、あなたはひとつだけ間違っています、悪魔の子は、いい子なんだ」
「まぁ!」
ゴージャスな服を着た貴婦人が目を見張ります。
「教祖様に、なんてことを言うんだ!」
人々はカンカンに怒ります。中には「あの罰当たりな少年を殺せ!」と過激なことを言う人もいました。
教祖様は「まぁまぁ」と人々をなだめます。
「この少年は悪魔に騙されているのだ……かわいそうな子なのだ」
教祖様がそう言うと、人々は熱が冷め、一斉に少年に同情し始めました。
「まぁ、かわいそうに……」
「この子が、こんなにみすぼらしいのも、きっと悪魔のせいなんだわ!」
「許せない、悪魔め!」
今にも悪魔を殺しそうな勢いで叫ぶ人々。
少年はなんだか怖くなって、広場を離れていきました。
夜……少年は少女にまた会いに行きました。
今日は公園で落ち合いました。
「この公園で、君を悪く言う人がいたんだ」
少女はびくっと体を震わせます。
「ぼくにサンドイッチをくれた、とてもいい人だったのだけど、どうして君のことを悪く言うんだろう」
少女は神妙な顔で黙りこくっています。
「どうしたの?」
「ううん、なんでもないの、なんでも……」
少女は、毒リンゴをバスケットから取りだして、それにかじりつこうとします。
少年はあわてて止めます。
「これ以上食べたらまずいんじゃないのか」
「うん、でも、誰も食べてくれないから、私が食べるしかないの」
そう言って食べようとする少女からリンゴを奪って、少年はむしゃむしゃとかじりつきます。
「あっ……どうして……」
「今日は昼にサンドイッチを食べただけだから、お腹が空いていたんだ」
「いつもお腹が減っているね」
「うん、だから、これからは、ぼくが毒リンゴを食べるよ」
少女は涙を流して、少年に抱き着きました。
「ありがとう、ありがとう……」
抱き着かれた少年はドキドキしましたが、間近で少女の体を見て、何かに気づきました。
少女の体は、よく見れば傷だらけでした。
「ね、ねぇ、その傷、なに?」
少女は少年から飛びのきました。そして、「あ……あ……これは……」というと、逃げるように去っていきました。
それから、少年と少女は、少しぎくしゃくしてしまいました。
ある日の昼下がり、広場で少年はあるうわさを聞きます。
「知ってるか、教会には地下室があるらしいぜ」
「そんな話、聞いたことないぞ」
「なんでも、幹部しか入れないらしい」
「何が行われているんだ?」
「さぁ、でも、きっとなにかすごいことをしているに違いない」
「そうだな、俺も早く幹部になりたい。もっと金を多く納めないとな!」
二人の大人がそんな会話をしていました。
少年は、それを確かめようと思いました。
夕暮れになると、少年は人が少なくなった教会に忍び込みました。
地下室への道を探しはじめましたが、なかなか見つかりません。
諦めかけたその時、ふと教会の奥に鎮座してある、教祖様の像が目につきました。
それを横に押すと、以外と軽くて、簡単に位置をずらすことができました。
そして像を動かすと、元の位置には地下へ通じる階段がありました。
「ほんとにあったんだ…」
少年はおそるおそる階段を下ります。
下りる途中、教祖様の声と他の信者の声と、それとなぜか悪魔の少女の声が聞こえてきました。
少年はその声を聞いて、歩く速度を速めました。
階段を降りると、部屋のにたどり着きました。ゆっくりドアを開いて、中を窺うと……
そこでは、とてもとても汚い、大人の世界が広がっていました。
少年はそれを見て、唖然とします。その光景を、一秒たりとも見ていたくありませんでした。
少年は踵を返して、走りました……
夜、少女とあの公園で、また会いました。
少年は、少女の顔をまともに見ることができませんでした。
「どうしたの、なにかあった?」
心配そうに見つめる悪魔の少女に、少年は白状します。
「今日、教会の地下に行ったんだ」
少女の顔が見る見るうちに歪みます。
「君は、いつも、あんなことをされているの?」
「…………」
黙りこくっていた悪魔の少女は、やがて「うん」とうなずきました。
「そんな、ひどい、あんなこと、あんなのってないよ……」
「私は、汚れているの」
少女はわぁっと泣き出しました。
「私は、もう誰からも好きになってもらえない、悪魔だから……」
「ぼくが、いるじゃないか」
「え?」
「ぼくは、君のことが好きだよ」
「私、汚れているんだよ?」
「関係ないよ」
少女はまた泣き出しました。そうして少年に抱き着きました。
しばらく少年の胸で泣いていた少女でしたが、泣き止むと、決心した顔でこう言います。
「ねぇ、ついてきてほしいところがあるの」
「え?」
「すべてを、話すから」
少女についていくと、神木の前に来ました。
夜の神木は、昼とは違って、なんだかおどろおどろしいです。
よく見ると、その神木にはたくさんのリンゴがついていました。
「あれ、もしかして、あれって……まさか……」
「うん、毒リンゴ、だよ」
「そんな、うそだろ……教祖様は、このことを知っているの?」
「うん、知ってる」
「なんて、なんて話だ……こんなのってひどすぎる……」
少年が悲しみに暮れていると、木から毒リンゴがぼとぼとと落ちてきました。
「ああ、毒リンゴがこんなに……食べなくちゃ……」
少女が毒リンゴを食べようとします。
「だめだよ、食べたら、ぼくが食べるよ」
「でも、食べたら、君も悪魔になっちゃう」
「かまわないよ」
「私が嫌なの
「ぼくも君が食べるのはいやなんだ」
口論は平行線をたどります。
いろいろ言い争った結果、半分こしようということになりました。
「半分なら、大丈夫だよね……」
半分になったリンゴを、お互いかじりました。
少年は美味しそうに食べましたが、少女は突然苦しそうにうめきます。
「ど、どうしたの?」
「もう、わたし、だめみたい、今まで毒リンゴを食べすぎたんだわ……」
今にも死にそうな少女に、少年は焦ります。
「どうすれば、どうすれば君は助かる!」
「解毒剤があれば……」
「解毒剤、そんなの……」
ない、と言おうとしたが、少年は思い当たるものが一つだけありました。
それをすぐに少年は実行に移します。
「目、つぶってて」
「え?」
少年は少女の唇に、自分の唇を押し付けました。
少女はリンゴのように顔を赤くします。
「え、な、なに、を……」
「解毒剤だよ」
「解毒剤って……あれ、でも、なんだか、楽になった、どうして……」
少女は、何かに気づきました。
「そっか、君がいれば、大丈夫なんだ」
「うん、だから、ぼくが君のそばにいるよ」
「ほんと? ずっと、ずっと一緒にいてくれる?」
「うん、二人で、この汚い世界を乗り越えていこう」
少女は泣きました。少年は彼女の涙をぬぐって、またキスをしました。
それから、二人は常に一緒に、この残酷な世界を生きていくのでした。
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