地獄の小さな光の集まり

桜森よなが

エターナルトレイン

 休日の朝、特に用もないのに早起きして、始発の電車に乗りました。

 私がいる車両には、私以外まだ誰もいません。

 柔らかい座席に座って、遠慮なく足を伸ばしました。

 向かい側の窓からは、薄暗い街並みが目まぐるしく流れています。

 そんな窓の外を眺めながら、ガタンゴトンとリズムよく揺れる電車を楽しんでいました。


 私はこの休日の始発の電車が好きです。

 たまにこうやって意味もなく乗ってしまうくらい、この時間が好きなのです。

 友達に言っても、なかなか理解してもらえないのが少し残念だけど、

 まぁでもいいのです、他人にどういわれようと私は私の好きなことをこうやって大事にします。


 しばらくひとりの時間を楽しんでいたのですが、だんだんと人が少しずつこの車両にも入ってきました。

 でも、人が増えても、休日の始発の電車は楽しさが全く損なわれません。

 あの人はこんな休日の朝早くからどこへ行くんだろう、とか考えたり、あの人眠そうだな、とか観察したり、ふらふらしながら座席について大きないびきをしながら眠るおじさんがいて、少し迷惑だったけど、寝相が面白くて思わず声を出して笑ってしまったり……

 ね? このように楽しいことばかりなのです。


 そうやって私はこの朝の電車を満喫していると、ある男の人が電車に入ってきました。

 変わった男の人でした。

 黒い中折れハットをかぶっていて、燕尾色のスーツを着ていて、背が高くてすらっとしていて、切れ長の青い瞳で、色白で、とても美しい男の人でした。


 そんなきれいな男性が私の向かい側の席に座ったので、少しドキッとしてしまいました。

 彼と目が合います。彼の深海のような瞳に吸い込まれそうな気がして、私は直視できず、目をそらしてしまいました。

 そんな私の様子に、彼はくすりと目をわずかに細めて微笑みました。

 なんだか妙に色っぽい人です。


 ガタンゴトン、ガタンゴトン――と軽快な音とともに電車が揺れます。

 その揺れがとても心地よくて、振動音が子守唄のように感じ始めて、私はうとうととし始めました。

 そうして、私はいつのまにか眠りに落ちてしまったのです。


 ハッと目が覚めると、電車の中は、目の前のあの謎の美しい男性以外、誰も乗っていない状態でした。

 いったい、いつまで私は寝ていたのでしょう?

 腕時計を見ると、あれ、おかしい、時間が眠る前と変わっていないような……。

 体感的には少なくとも数十分は寝ていたように感じるのだけど……


 今はどの駅なのでしょう?

 しかし電車のどこを見ても、現在位置を知らせるものはありませんでした。

 おかしい、普段なら表示されているはずなのに。


 おかしなことはさらに続きました。

 いつまでたっても、次の駅につかないのです。

 もう起きてから十分以上は経っているのに、外の景色はいまだに真っ暗。

 アナウンスもずっと流れていない。

 何が起きているというの、ここは現実なのでしょうか? ひょっとして夢……?


「現実だよ」


 と唐突に向かい側の席から声が届きました。

 あの中折れハットの男性が意味深な笑みを浮かべて、私を見ています。


 い、今、私……思考を読まれた……?

 不信感を隠さず中折れハットの男性を見ていると、彼は恭しく言いました。


「ようこそ、エターナルトレインへ」

「エターナル……トレイン……?」

「ここは外界から隔絶されているんだ、君はもう、恐ろしいことばかりの外へ出なくていい、君は今、とこしえの安心の中にいる」


 突然そんなことを言われて、私の頭は疑問符で埋め尽くされる。

 こちらに理解させる気があるのでしょうか。


「何を言っているのか、意味が分からないです」

「いずれわかるよ」

「わからなくていいです、ここから出してください!」

「そんなに冷たいこと言わないでほしいな」


 彼はスッと優雅に立ち上がり、私の元へ来た。

 そして私の手を取ると、いきなり手の甲にキスをしてきた。


「なっ、なにを!?」


 思わず手を引っ込めると、彼はさわやかに微笑んでこう言った。


「落ち着かせようと思って」

「こんなことされたら、余計落ち着かないです」

「そうか、じゃあどうしたら落ち着いてくれる? 唇にキスした方がよかったかな」

「あ、あなたはさっきから初対面の女性に何を言っているんですか、いやらしい人ですね」

「喜んでるくせに」

「喜んでなんていません!」

「いいや、喜んでいる、僕にはわかるんだ、僕は君の好みの男性のはず、違わないだろう?」


 そ、それは、まぁ、たしかに見た目に関しては、そうだけど。

 でも、こんないやらしい人、私の好みではないです。

 そのはず……。

 でも、悔しいことに、さきほどから私の胸が早鐘を打っているのです。

 それを知ってか知らずか、先ほどから私を見て、彼はなにもかも見透かしたようにな微笑を浮かべています、それがなんかむかつく……。


「仲良くしようよ、僕とこれからここで永遠を過ごすことになるんだから」

「いやです、というか、なんですか永遠って」

「君は今、永遠の中にいる。腕時計を見てみなよ、針が動いていないだろう?」


 慌てて腕時計を見る、確かに針が動いていない。

 混乱した私は顔を上げて、叫ぶ。


「どういうことですか、これは!」

「どういうことかって見たまんまだよ、君は久遠の時の中にいるんだ」

「そんなこと言われても、わけが分からないですよ、なんで私はこんなところにいるんですか」

「僕が君を招待したんだ」

「あなたのせいなんですね」

「僕のせいだけど、そんなに敵意を向けないでほしいな、僕は純粋に君のためを思ってここに呼んだんだから」

「私の、ため……?」

「そう、君のためだよ、ねぇ、窓を見てごらん」


 彼が指し示す先を見る。

 そこには、私の今まで歩んできた人生が走馬灯のように流れていました。

 赤ちゃんの頃、そして幼稚園の頃、小学生の頃、中学生の頃……


「なに、これ……」

「見たとおり、君の人生の映像さ、永遠じゃない、いずれ終わる、短く儚い物語……

でも、安心してほしい、あれはもう外の風景なんだから」

「でも、私は今まであそこで生きてきて、私には、まだやらないといけないことが……」

「やらなくていいじゃないか、やらないといけないことなんてない。全部放棄して、この世界で僕と楽しく過ごせばいい。だって、この電車の外は、残酷だ。君は今まで、不安定な現在に立って、確定した過去にしがみつき、不確定な未来を予測して生きてきた、これからもそうするのかい?」


 甘く甘く、悪魔のように彼は私を誘惑してくる。

 だんだんと、彼の言うことが魅力的に感じてきて、抗いがたく感じてくる。

 その言葉に、囚われそうになる……


 だけど、私はハッと思い出す、私はまだあの世界でやりたいことがあることを。

 やらないといけないと思っているわけではなく、やりたいのだ。

 私の旅は、まだ続いている。

 この電車にいたら、私の旅は不完全燃焼で終わってしまう。


 そして、私は気づいたのです、これは私の気の迷いが起こしたことなんだって。

 でも、もう迷うのはおしまい。

 私は決意を込めて、彼を真っすぐ見つめる。

 私の目を見て、私が篭絡されたと勘違いしたのだろう、彼は嬉しそうに目と口を線にして笑った。


「ここは素敵な場所だろう? ずっといるといいよ。だってここは永遠だ。ここには君の望むすべてがある、君が僕を愛するなら僕も君を愛そう、君はここで永遠の幸せを手に入れられるんだ」

「素敵な提案ですね、あなたはとても魅力的な男性ですし、この電車に乗り続けるのは、とても幸せなことなのかもしれません」


 私はにっこりと笑うと、立ち上がりました。彼も頬を緩ませて、私に右手を差し出してきた。


 しかし私は彼の手を取らず、彼を通り過ぎて、ドアに向かいました。

 固く閉ざされていたドアがゆっくりと開く。その先は、どこまでも暗闇が広がっていた。


「なぜだ……君はこの電車にいたら、永遠の幸せを手にいれられるのに」


 背後の声に振り返ると、彼は頭を抱えていた。

 私はそんな彼に、優しく告げてあげる。


「永遠なんていりません、わたし、人生なんて短くてもいいんです、ほんの一瞬、すごい幸せを感じられる時があれば、その次の瞬間、死んでしまってもかまわないんです」

「変わった人だね、君は。ここに来たものは全員、永遠を望んだのに」

「永遠の幸福なんていりません、私は最高に幸福な一時を探しに行きたいのです」


 私がほほ笑むと、彼も寂しそうに笑ってくれた。


「そうか、僕は振られたのか……。君と結ばれることはなかったが、君が最高の幸福を得られることを、この電車から僕はいつまでも願っているよ」


 バイバイと手を振る彼に私も手を振り返しました。

 開いたドアの先の、真っ暗な空間を見つめる。

 この先に何が待ち受けているのでしょう、わからない、それは恐怖だ、でも――


 私は意を決して、真っ暗な外へ足を踏み出しました。

 私の体を暗闇が包み込んでいく――


 さようなら、優しい永遠の世界

 こんにちわ、残酷で美しい世界



 目覚めると、私は見慣れた電車の中にいました。

 あの謎の美しいスーツ姿の男性は、どこにもいない。

 普通の乗客たちが乗っていて、次の駅を知らせるアナウンスが流れる、いつも乗っている普通の電車。


 腕時計を確認する。

 あの永遠の電車にいる前と変わらない時刻。

 ほとんど一瞬の出来事だったようです。でも、まるで永遠のような一瞬でした。

 あれは、夢だったのでしょうか?

 でも、そうじゃない気がする。

 きっと、あれは現実だったのです。仮にそうじゃなかったとしても、私の中ではそうなのです。


 次の駅で、私は降りることにしました。

 電車が止まり、ドアが自動的にゆっくりと開く。

 少し、電車の外に出るのを躊躇してしまう。

 正直なところ、永遠の電車の外に出るよりも怖いです。

 でも、私は勇気を出して、電車の外へ駆けだしました。

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