このどく

株式会社太陽

1/1

このどく

 

 

 四列横隊の女子四人組が歩いていた。おそらく同じ高2。高1にしては無駄に背伸びがあるし、高3にしては背伸びがない。四人とも背中の上半分くらいまである長い髪を結ばずに下ろしている。制服を着ていてブレザーに短いスカート。くるぶし丈の靴下と革靴を履いている。大きな声でけらっけらっと笑いながら歩いている。

 新年になって早くも一ヶ月が過ぎそうな今日この頃。夕方、城崎通りのいくつもの大型マンションが立ち並ぶ辺りは真っ直ぐ揺らぎない夕陽に照らされている。人車の姿は増しつつある。時間の進みと比例するように。

 四人はおそらく部活が無い日の学校帰りなんだろう。イケメン男子の的に自分が当てはまるようにやりたいと思っていない部活にわざわざ入って口角をわざとあげて試合や練習を毎日こなし先輩の的の真ん中を矢で射るような指摘(彼女たちは傍若無人な我儘程度しか思っていない)に愚痴を吐きながら日が暮れるまでやってきて、今年入ってきた1年生には愚痴の吐きどころとして傍若無人に扱っているいる。そして狙いの男子には上手くすり抜けられて別の女に盗られている。今日は顧問が不在だから部室でのミーティングと基礎的な筋トレ程度で済まされて下校してる。向かう先は僕と同じ一宮駅。定期切符でJRか名鉄に乗って帰る。そんなところだろう。

 道は四人によって塞がれている。道の右端から左端まで四人によって綺麗に塞がれている。自転車に乗っている僕は追い越そうとするのだが隙間は無く追い越そうにも追い越せない状況だ。そして四人のすぐ後ろへ差し迫っても後ろに自転車がいることに四人の誰一人も気付かない。僕は少々の苛立ちと溜息を混ぜて鈴を鳴らした。四人は耳にへばり付く笑い声を100が0になるように止めて後ろを見た。インスタに流れ出てくる加工写真のような形相の八つの目がこちらを向いている。自分の中の普遍性が漂っている核を触られたような目。簡略した表現にすれば針のように刺さる目。それが八つ分、僕の二つの目に届いている。そして彼女達のうちの右二人がもう二人の方にのろのろと避けて道を開けた。四つの表情はまるで僕の存在を悪の象徴として扱うかのような代物だった。そして僕は自転車で彼女たちを追い越した。

 毎日毎日自転車を漕げばこんな状況なんていくらでもあるけど、今回のあの四人は僕の人生でも屈指の反吐が出るもんだった。 

 

 尾張一宮駅の改札を通って階段をのぼり、右の階段(岐阜方面)をのぼり始めた。帰り時ということもあって一宮から岐阜方面の電車に乗ろうとしている人が多い。さほど長くもない階段を上っていると後ろからスーツ姿の男が僕の右を追い越してきた。そして追い越してすぐのところで振り返った。

 「あの総務のおばさん、山科さんだっけ、絶対永田のこと好きだよな」

 とその男が言うと後ろから返しが来た。

 「だよなー、自分の顔見ろって話だろ」

 え、って混乱した。状況が追いつかない。僕を挟んで会話してるんですか。え。

 「あの人飲み会の時に私が唐揚げにレモンかけようとしたら「勝手にかけないでー」って言ってきたもん、絶対性格悪いよね」

 「なにそれ、あのおばさん非常識じゃん」

 え、まだ後ろにいるんですか。女性二人?僕を挟んで会話してて違和感ないんですか。むしろこっちの方が非常識じゃないですか。

 そう思っていると左側にまた別の男一人がやってきた。センター分けで髪の毛が無駄にわざとらしく光っている。

 「あのおばさんさ、マジでサジェスト下手なんだよな。バッファ持てよ、って。リサーチもイマジンもエンジニングもボトルネックだわ」と左の男。

 「あのエビデンスでインセンティブもらってるとかやべーよな」と右の男。

 え、なんですか。挟まれてるだけじゃなくて囲まれてるんですか僕は。階段で大の大人に囲まれてうるさい会話を聞きながら上っているんですか。僕のこと見えてないんですか。

 階段をのぼり切ると5人はすぐそこで止まった。会話は止まってないのに。僕は男二人の間を通って人の壁から抜け出た。抜け出た後、左の男は舌打ちをした。僕が悪いんですか。階段の真ん中らへんを歩いていた僕が悪いんですか。舌打ちされないといけないんですか。

 そんなことを考えていると列車がやってきた。米原行きの各駅停車の列車。想像通り車内は人がたくさん乗ってる。立っている人も多い。僕は立って外の景色を見つめた。右から左へと建物や空が動いていく。そして飽きたらツイッターを見つめた。

 木曽川駅に着くと思いの外たくさんの人が降りた。おかげで空席がたくさん出てきた。JR東海道本線の列車は二人がけの椅子が並んでいることが多い。僕は空いている二人がけの席の窓際の席に座った。このまま隣に誰も座らなかったら良いんだけどこの混み合いじゃそうはいかないかな。すぐに隣に人が座った。ちらっと見ると制服姿の女子高生だった。さっきの4人の女子高生とは明らかに別の高校。腰ぐらいまである長い髪は金髪で耳にピアスが付いている。爪は派手な色で塗られている。「ネイル」というやつだろうか。ネクタイを付けていてスカートは短く膝より10センチ程上の場所まで黒の靴下を履いている。そして少々鼻につく香水を身に纏っていた。そこまでではないが少々不快さが混じる。

 顔はどこか作りもののような麗沢を放っていた。おそらく化粧をしているだろう。だいぶ自由な校風なのか、自分の学校じゃこうはいかないな。すぐそこに同じように金髪で耳にピアスを付けた男がいた。制服は着崩している。まるで2000年代初頭のドラマに出てくる不良高校生のように。

 座ってる女と立ってる男はおそらく付き合っているのだろう。名古屋の東山線沿いの校舎を土足で歩けるような高校に通っている。二人は名古屋駅で乗車した。そんなことを思いながらツイッターを見つめた。扉が閉まり、電車は動き出した。

 動き出して野球の試合で投手が2球投げたくらいの時間が経ってから隣から小声の会話が漏れ出した。

 「ねえ、隣の男さ席譲ってくれないね」

 「ほんとだよな、マジあり得ねー」

 「普通カップルに譲るもんだよね、席って」

 「一人の奴は立ってろよな」

 「多分こういう人って一生彼女も出来ずに過ごしていくんだろうね」

 「ああいうのだけにはなりたくねーよな」

 「しかもツイッター見てるよ、陰キャだね」

 「ツイッターとかオワコンだろ。あんなん暇人しか見ねーよ」

 「マジでそうだよね、ほんとダサくてウケる」

 この会話を聞いている僕はどういう感情に居られれば良いんだろう。無心になれば良いのか、悲しくなれば良いのか、苛立てば良いのか。他の人だったらどういう感情になるんだろうか。聞こえてないふりをしてツイッターをひたすら見つめていたけど隣の男女の会話に耐えきれず、僕は立って無言で目線を合わせず、そそくさと扉付近に向かって行った。男女は「やった空いたぜ」「まあ譲って当然だよね」と言ってた。

 感謝の気持ちというのは持ってないのかい。

 

 織田信長公の金の銅像が岐阜駅前にある。まさに信長が覇王であったことを象徴するかのような代物。岐阜駅に行く度にこの銅像は見る。

 さて、予定の場所に行かなければならない。時間に余裕はあるけど備えあれば憂い無し。もうそこに行こう。そう言って歩き出そうとした時だった。

 「かんた、かんた」

 4人ぐらいの少年たちが僕に声を掛けてきた。小学4年生くらい。おそらくこの辺りの小学校に通っているのだろう。ちなみに俺の名前はかんたじゃない。

 「友達があそこで待ってたぞ」と言ってきた。へらへらと世の中は自分の視野だけで成り立っているとでも言いたそうな顔で僕を見てくる。他の少年もそのような形相を成している。

 またこれか、とさっきよりも大きな溜息とやるせなさを抱きしれながら目線を合わせないように歩き続けた。さっきよりも早く。小走りに近い、いやもはや小走りのような状態で進む。最初の方は横に付いて来たがしばらくして後ろを振り向くとガキどもの姿はなかった。わざわざ苛立ちを覚えさせてくれる人たちだね。僕はこんな感じの手によく会うのだ。中学生の時に一人で祭りや映画館に行ったりすると派手な服、変な色の髪、ピアスを全身にごろごろ付けた工業高校に行ってそうな輩ども(5人は少なくともいる)が「お、お前じゃないか」とか「元気だったか?久しぶり」とか声を掛けてくるのだ。面識などもちろん一切なく。予告なく唐突に。

 僕にはあの輩どもが一体何をしたいのかよくわからない。この世に地球平面論者が一定数居るように。たまにぽかりと考えてみるがどうもこの疑問に抜け道はない。ただただ脳みその中にぽっかりと浮かぶ謎として浮浪している。

 

 昨日の用事の礼をラインでしっかり打ってあることを確認した。昨日はなんか、初めての体験だったけど悪きゃなかった。そんなことをこの時間、昼休みに考えている。今は学校。スマホは放課の時間なら良識の範囲内で自由に使い放題。時は各々が昼飯を食べている時間帯を過ぎて廊下に出て雑談するような時間帯へ突入している。

 僕の席は廊下の窓側。窓は換気のために開いている。暇を潰すために2ヶ月前にブックオフで買った110円の歴史小説を読んでいる時だった。右耳にへばり付くような笑い声が聞こえた。一度くっ付けば離れようとしない接着剤みたいな代物。しっかり聞き覚えのあるぐちゃぐちゃとした吐き気を覚えても誇張ではない汚物。

 右の廊下側を見ると女子が5人。僕の方を見て笑っている。十個の目、まるで僕の存在を時間潰しの適したネタ、週刊誌の見出しに書いてある記事のように扱うような目で。

 5人が目をぷっくりさと細さを混ぜて僕を見る。そして一人、主犯格が喋り出すと残りの4人はそいつの方を見て話す小声を聞く。そしてその話で醜い笑い声を広げ出す。廊下はこの声で満ちている。午後3時の喫茶店にいる専業主婦どものげらげらうるさい笑い声と同格の声が。

 今日は一人で歴史小説を読んでいることを笑っているんですか。周りのみんなが絵に描いたような青春、誰かと楽しくわいわい会話して昼休みを過ごしているのと対照のように隅で一人でこっそり本を読んでいる僕のことを愚の骨頂としてまつりあげて笑っているんですか。にしてはあんた方のやっていることも愚の骨頂ですよ。そもそも愚の骨頂の意味、知っとりますか。

 そもそも何故こんなことが起きているのか。まだ誰にも話したことはないけど簡単に言うと僕が5人のうちの主犯格に告白したのさ。

 今年、同じクラスになった。身長は女子の平均あたり。僕の方が少々高い。後ろに長い髪を結んで前髪は無い髪型。顔はクラスで良い方。いわゆる一軍女子の中の一人。席が近かった影響で授業中、放課中よく喋った。インスタやラインでもよく喋った。生産性の無い、世の中は原発の処理水がどうのこうので騒いでいるのにそれとは全く関係ないような話を。そして何か忘れ物をしたら借りて貸してを繰り返し、時たま(月に2回程度)校門から付近の信号まで一緒に歩いて帰った。そんな日々を過ぎて二学期のある日の金曜日の夜。急に彼女がラインで言ってきたのさ。「好きな人いる?」って。女子と真面であってもなくても付き合ったことのない僕からすれば彼女へ好意を抱くのは1+1の答えが2になるくらい当然で。それで勢いで告白したのさ。そしたら「好きじゃ無いから無理」って返された。17歳にして人生初の告白は人生初の失恋で終わったのさ。自分の部屋で絶望のようなものの中にいる間に僕は彼女に「この事は誰にも言わないでね」とラインで言った。「誰にも言わないよw」と返してくれた。少し安堵した。こんな話を巷にばら撒かれたら僕の立ち位置が無くなっても過言では無い。そして土日を経て月曜日に学校に行く。朝、教室に着くと彼女はいつもの友達4人と一緒にいた。そして彼女たちは僕のことをぐいっと一心不乱に見た。この時僕は悟った。「あ、言われたんだ」と。

 それでも最初は「さすがに違うかなー」と様子を伺っていたけどやがて僕の予想は現実との迎合に向かっていった。5人の僕への態度。例えば部外者の4人のうちの誰か一人に事務的なことで用事を伝えると「はい」と一言冷たく言うだけであとは知らん顔なのだ。他にも掃除の時間に教室の机をつるけどその5人は僕の机だけは断固としてつらないのだ。列の机を順番に引いていっても僕の机の番になったらそこで右向け右をするようにどこかへ逃げる。そんな様子。だから彼女は僕との約束を破って友達にネタとして話しているんだろう。

 予想は確信に豹変した。

 いいかい、あんたらにとっちゃ笑い話として白飯とおかずの関係くらい満点のようなものなのかもしれないけど僕にとっちゃこの地球が丸いことくらいかなり真面目な話だったんだ。確実に僕は彼女のことが好きだった。だから人生かつて無いほどの勇気を振り絞って、未来に使う予定の勇気を借りるような気迫を持って告白したんだ。正真正銘の根気からの本気だったんだ。それを嘲笑うなんて、あんたらにゃ何もわからんのかい。これで仮に僕が自殺でもしたら責任取れるのかい(する気は全く無いけど)。

 今これは心の中で思って口に出さずに生きてるけど、もし機会があったらあの5人を拉致して秘密の地下室みたいなところに放り込んでガムテープで全員の全身を縛り上げて醜い性格に加えて物理的な姿形も醜くしてやりたい。綺麗で純粋で光沢を放ち続けるような真っ白い世界観に真っ黒な墨を塗りたくってやるように。そして主犯格の彼女にはRADWIMPSの「五月の蝿」と「ラストバージン」を耳の鼓膜を破ってやってでも歌ってやりたい。延々と泣いて涙が湯水のように流れていく姿をこの目に焼きつけたい。そして「ごめんなさい私が悪かったです今までのことはどうかお許しください」と泣き喚きながら土下座してくる醜態を椅子に座りながら眺めたい。

 まあ本当にやれたらすっきり晴れるんだけどさ。やれる機会はさすがに無いよな。もし犯罪を起こしても罰せられることのない日がやってきたら一番最初にそれをやろう。そう思いながら僕は窓を閉めて5人を視界から除いた。

 窓から手を離してすぐ、窓が廊下側に落ちた。世の中の全ての事象を遮るような豪大たる音と共に窓ガラスは粉々に割れた。小説やエッセイでよく出てくる「スローモーションに感じた」という常套句はこういう時に使われるのか、と僕はこの時初めて知った。

 5人は割れた窓ガラスを見つめている。そして突かれた蜂の巣から大量のスズメバチが出てくるように他の教室から数えきれないほどの人が出てきた。そして今目の前にある惨状を見ている。ざわついている。ざわついている。野次馬とはこれであるのか。

 

 この日から僕のあだ名は「窓ガラス」になった。学年全8クラス320人に顔とあだ名と僕が窓ガラスを「故意」に割ったという虚実が届き、本名と「過失」で割った事実は一切合切届かなかった。そして知り合いであろうとなかろうと関係なく僕の姿を見ればすぐさま「窓ガラス」として一緒にいた誰かとつるしあげた。第二第三第四…のあの5人が湧き出るように出てきたのだ。たった5秒にも満たない物事で僕は幾百人の中の有名人になったのだ。

 ちなみにそれが起きた後のこと。授業が始まる2、3分前に窓ガラスが割れたため5限目の生物の授業は4分遅れて始まった。そして授業後に簡単な事情聴取を生徒指導室でされた後「故意に割っていない」ことが認められ、破損届を出したり弁償したりする必要は無くなった(当時の現場付近に生徒指導や学年主任の先生がいたおかげの可能性が高い)。

 しかしそんな事実は誰も知らない。いや、知ろうとしない。みんな「窓ガラスをわざと割った」という虚実を脳味噌の中に入れ込んで1から10まで信じた。僕は次の日から学校に行けば「窓ガラス」として存在し、関わったことのない治安が悪い界隈(裏で煙草吸ってるような人たち)が執拗に粘着質の物体ように関わってきた。あの5人は相も変わらず僕を見て腐った野菜のような笑い声をあげた。さらに冬だから窓がない影響で冷たい風が容赦なく教室の中に吹きつけ、寒さで他みんな僕を睨んだ。とある教師は「誰かさんのせいで窓ガラスが無いからエアコンの温度あげよっか」と授業中に言った。そんな日々が続いた。

 

 窓ガラスが割れて一週間余り。割れてから4日後に窓ガラスが復旧しても噂は一向に絶えなかった。むしろ窓ガラス復旧は噂をさらに沸騰させた。電子レンジで温めた料理をもう一回温めるような状態。僕の居心地の悪さは純粋潔白に漂い続けている。

 「おい窓ガラス」

 誰かが後ろから声をかけてきた。歴史小説が終盤、あと10ページ足らずで読み終わるという状況のこの僕に。振り向くと同じクラスの男。息をするように女子が周りにいるようなやつ。

 「そこの教科書取ってよ」

 男は僕の三つ前の席に置いてある歴史の教科書を指で指してそう言った。

 「ごめん今本を読んでるんだ」

 僕はそう言って断った。窓ガラスと呼んできたのもあるけど僕は今小説を読んでるんだ。あと少しなのにそこで一旦読みやめて立って歩いて教科書を届けるなんて真っ平ごめんだ。

 「なんだよ、取ってくれても良いじゃねえか。ひどいやつだな」

 「ひどいやつ?」

 「人の頼みを断るなんて信じられねーよ」

 「なんで了承する前提なの」

 「そりゃ人の頼みは受け入れるのか当たり前だろ」

 「当たり前じゃないでしょ、親切なんて普通に善良を足す行為だから親切じゃないのは普通の状態なんだよ。要は親切じゃないのが普通。親切にされるのは特別なんだ。それなのに親切じゃないことをひどいこと扱いするなんておかしくないかい」

 親切は0に1を足す行為。0でいるのが標準。普通。だから親切じゃないからと言って0に1を引くのはおかしな話なんだ。いつも親切にされてされて常習化されて親切にされることが普通だと勘違いしてるんだよ。

 「親切にされないのが普通。親切にされるのが異常」

 そんな事を言うと男は周りにいた男女の仲良さの良い友達(同じく一軍)と愚痴をこぼし始めた。そして自分で教科書を取りに行った。なお、僕の横を通る際に彼は舌打ちを二回した。舌打ちの意味は知らないけど少なくともその舌打ちで君の価値は下がっているよ。

 

 学校から帰る時から僕は憂鬱だった。理由は簡単。週4時間で塾に行っているからだ。一宮駅の近くのビルにある全国規模の展開をしている塾。はっきり言ってやめたいのだ。

 午後8時〜9時まで1時間、配られたタブレットで無意味な映像授業を考えごとをしながら聞く日々、いや聞いていない。イヤホンの音を最小限(無音ではない)にして聞いてるふりをしている。今日は授業後に面談がある。面倒なことにこの塾では月一回に担任の先生とやらと面談をしなければならない。これが僕の憂鬱を加速させた。

 「そこ座って」

 そう言われて僕はその椅子に座った。玄関付近の透明な窓で区切られている一室。面談用の部屋。よくこんなもん作りますね。

 「お前さ、授業ちゃんと受けてる?」

 その担任の先生は僕は嫌いだ。高圧的で昭和思考。根性でどうにかしろとか平気で言ってくる。この令和の時代に。そして事情も聞かずに悪いことを悪いことと決めつけて人の前で大声を荒げて延々と叱り出す。

 例えば授業のない日に自習をしようと思って校舎に行ったら「授業始まってんぞ遅刻すんな」と怒鳴ってきたり、授業をしっかり見てたら(しっかり見てた時代もあった)背中を思いっきり叩いてきたりした。

 他諸々もあって僕はその人を嫌っている。

 「何でですか」

 「お前受けてねーだろ、授業中ぼーっとしとるで」

 「逆に先生、あんな映像授業を受けて何か役に立つんですか」

 「立つに決まってんだろ、お前もうすぐ大学受験だぞ。来年には共通テストがあるんだぞ」

 「僕、私立を共通テストを使わない方法で受ける予定なんですが」

 「知るかそんなの、黙って受けときゃ良いんだよ」

 「は?」

 僕は思いっきり言った。誰の耳に入ってもはっきり受け取れるような大きさで。

 「は?ってお前舐めてんのか」

 「舐めてますよ、無駄に授業受けさせようとしてるんですから。よくそれで教師を名乗れますね」

 「お前年上のことを敬えよ、何だその態度は」

 「年上であってもてめぇのことは敬えねーよ。時代遅れの考えだわ事情も聞かずに悪いことを悪いこととして片付けるわ人が集中してる時に叩いてくるわ。そんなやつのどこを敬えば良いんだよ、お前よくそんなんでこれまで生きてきたな。そもそもこんな粗悪なカルト宗教みたいな塾で勉強する気になるわけねーだろ」

 早口でそう言うとそいつは俺の頬をぶった。

 「そうやって暴力を使わないと人に意見ができないんですね、改めてあなたの人間性がよくわかりました」

 「お前みてーな野郎は一生一人で誰にも恵まれずに生きてくんだよ」

 「じゃあそうならないように今日でこの塾を辞めます」

 口の中に血を感じながら僕は鞄の中からタブレットと塾の教科書と書類を放り出して机の上に置いて校舎を出た。

 その後、家に塾の別の教師から電話がかかってきたから「かけてくんなボケ」と怒鳴ってすぐ切った。

 数日後、正式に僕は塾を辞めた。

 

 塾をやめて清正とした気持ちで一週間が去った。おかげで窓ガラスと呼ばれても特に何も響かなくなった。居心地の悪さは消え失せた。昼休み、一人で弁当を食べてからゆったりしていると目の前で例の5人が会話をしていた。目の前の席の付近に集まって会話している。こんな近いのは珍しいなーと思ってその様子を見ていると会話の内容が聞こえた。

 「じゃあ明日キリオで2時に集合ね」

 「ねえねえせっかくだしプリクラ撮ろうよ、久しぶりに」

 「良いねやろうやろう!前上手く盛れなかったからさ、」

 「そうそう、意外と目が大きくなかったんだよね肌もあんまり良い色にならなかったし」

 「撮れたら後で写真またちょうだいね、ストーリーに載せたいから」

 プリクラか。やったことないなー、別に興味ないけど。

 そんなことを考えているといつの間にか5人が僕の方を向いていた。いつも通り、俗世界を見るような目。死んだ魚を見るような。

 「なに?」と僕は返した。

 「なんかこっち見てるけど、なんかよう?」

 「別に」

 「ふん、」

 「あーでも一つ聞いて良い?」

 僕はプリクラとやらに一つ疑問があったのを思い出した。せっかくだしこの機会に聞いてみよう。

 「なに?」

 「プリクラって何のためにやるの」

 「そりゃ…記念に残したいもん」

 「だよね、」

 「へーじゃあ何であんなふうに加工するの、目を大きくしたり肌を白くしたりするやつ」

 「そりゃ可愛く映りたいもん、わざわざ自分の顔をそのまま映そうなんて思わないよ」

 「でも見てるこっちからすると加工した顔が可愛いと思わないけどね」

 「は?」

 目はまるで敵を見るものに変わっていった。

 「なんか無理矢理弄ってる感じが醜い気がして可愛さなんて全く湧き上がってこないよ」

 「そんなこと言って何が言いたいの」

 「ありのままが一番だと思うけど。そのまんまの顔が一番可愛い。「原点にして頂点」っていう言葉知らないの?」

 そう言うと5人は目を合わせてから廊下の方へ素早く行ってしまった。

 

 夜、彼女からインスタのフォローは外され、ラインはブロックされた。特段悲しんだり疑問符を浮かべたりすることはない。むしろこれまでしっかり続けて繋いでいたのが衝撃だ。「クレヨンしんちゃん」の風間くんとシロの声優が同じ人であることくらい。でも少し感心もある。これまで綺麗な世界しか見てこなかったようなその振る舞いにほんの僅か光の中の影の出来事が彼女の中に付随したような気がしたからだ。これまで店先に並んでいる商品にだけに目を向けて、ゴミ処理場に行く物質には一切の焦点を当てないような人生を送っていそうだったから。僕は「綺麗な世界」しか見ずに生きている人へは虫唾が走るのだ。だからインスタやラインを切るという白よりも黒に近い行為をした彼女に少々の安堵を覚えたのだ。

 自分の部屋。六畳ほどの広さ。そこで少しこれまでのことを考えてみようと思う。今なら少し考えられる気がする。外は冷たさが張っている2月の初め。濃尾平野が伊吹おろしのおかげで一番寒くなる時期。月は一つ。

 あの時、女子四人が並列で歩いていた時から始まった。そこから僕の気分に嫌悪感を漂わせる事象が立て続けに起きた。階段の横文字しかしか使わない意識高い系、電車内の男女、岐阜での小学生、彼女ら5人、窓ガラスと連呼してくる同級生、根も葉もない薄っぺらい情報を過信する同級生、親切の意味を知らない同じクラスの一軍、自分の存在がこの世の全てであるような教師、親からもらった顔の価値を知らない女子ども。など。この人たちはどう言う人生を送ってきたのだろうか。そしてこれからどういう人生を送るんだろうか。どういう時にどういう感情を漂わせているのだろうか。

 僕は熟考する。そして一つの何かに辿り着く。

 おそらく「生きる価値」を「イキる価値」と勘違いしたんだろう。そして「自分の普通がこの世の普通」のような世界観を持って生きている。自分が汚れを持たない人間だと思っている。綺麗で純白で光沢を放ち続ける華麗で秀麗な世界だけを見て生きている。自分が仲間だと思っている人以外は敵だと思っている。だからこんなことが起きているんだろうか。

 さらに言えば彼らはいつも誰かと共にいる。自分の中の核に合いそうな人たち。そこにいれば没個性であっても関係なく存在価値を見出せる集団。集団の価値が自分の価値になってくれると妄信している集合体。名前と顔さえあれば人並みに扱ってくれる部類。第三者から見ると何も持たない同類として扱われる群れ。一人になった途端一歩も踏み出さずに迷子になる色のない人間の集い。

 

 

 僕へ嫌悪感を煩わせてくれる人たちはそんな人たちじゃないか。

 

 

 僕は一つ、この世の真理を見つけた。迷惑なことをしてくる奴らはいつも、「そんなやつ」じゃないか。

 「ふふふ」

 僕は久しぶりに笑った。神様から一つ、人生の波を上手く乗り越える切り札をもらった気分になった。

 今日は久しぶりに気持ち良く寝れそうだ。知恵の輪が解けた時もこんな気分なんだろうか。いつもより早く、僕は部屋を暗くして床に着いた。

 明日から良いことがあるかもしれない。そう思いながら僕は眠った。

 

 

 

 

 で、君は一体何を持っているんだい。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

このどく 株式会社太陽 @sr4619Ct

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る