生きていてほしかった
夏希纏
プロローグ
「今日も来てくれてありがとうねぇ」
「ああ、まあ、はい、うん」
高校2年の夏休み。
大学入試の実績作りという邪な思いを抱いて、介護のボランティアに臨んだのが悪かったのだろうか。
俺はここに来てから毎日、そこのおばあさんに孫だと思われていた。
始めてから1週間くらいずっとで、やっと慣れたところだったが土日を挟んで挙動不審な返答になってしまった。
しかし桜さんはそんなこと気にした様子はなく、「シモンはえらいねぇ」とニコニコしていた。
桜さんはごく軽度の認知症なのだが家族に関する記憶の欠落がひどく、加えて妄想傾向があるらしい。と、職員の加藤さんに聞かされた。
だから孫が老人ホームでレクリエーションに参加していることに何の疑問も抱いていないようだった。
無資格の高校生ボランティアということで、介助らしい介助がないこともその妄想を手伝っているのだろうか。今のところ、雑用をしつつもほとんど老人と話しているだけである。
「シモン、学校はどうなの?」
「まあまあだよ。今は夏休みだけど」
「そうかい。また行けるようになったんだねぇ、嬉しいよ」
どうやらこのおばあさんの孫──俺と同じシモンという名前の人間は学校に行っていないらしく、俺はほぼ毎日この質問をされている。
記憶が欠落していても、そこは気になっているらしい。
学校に行ってないならせめて婆ちゃんに会いに来てやれよ、と思うが、事情を知らないので何とも言えないところだ。
加藤さんによると、桜さんの孫は暇してそうなのに一度も来たことがないらしい。いったい、どういう事情なのか。ただ面倒なだけなのだろうか。
「でもねぇ、頑張りすぎんくてええからねぇ」
婆さんはゆったりした口調で、毎日何度も繰り返していることを今日も繰り返す。
「生きてるだけでええのよ」
ギリギリ戦争経験者だからか、今日の社会ではなかなかそうも行かないことを口に出している。
含蓄はありそうだが、まだその言葉の深みを俺は理解できない。生きてるだけでいいなんて、そんなことないだろう。
「肝に銘じておくよ」
しかし認知症のおばあさんの言葉を否定するような人間にはなりたくないため、俺は今日も孫のフリをして答える。
「嬉しいわぁ」
そう答えた桜さんは、しみじみとした声で「それにしても」と続ける。
「孫の元気な姿を見れて、あたしは幸せ者やねぇ」
桜さんはそう言いながらニコニコしていたが、ふと窓のほうを見て、
「
と寂しそうに呟いた。
どうやらその英生とやらは、桜さん談では大企業で部長として頑張っているすごい人らしい。
認知症があるのでどこまで本当なのかは定かではないが、長期記憶は残りやすいらしいので本当の可能性が高いだろう。
しかしいくら大企業でも、いや大企業だからこそ福利厚生はきちんとしているだろうし、そんな実の親の顔を見れないほど休みがないわけではなかろう。
まったく、桜一家はどうなっているんだ?
気になりながらも他人の家のことなんて聞けないまま、他の老人と会話したり、孫のフリをしながら1日を過ごす。
ボランティア期間はお盆を除いて、残り3週間。別の『シモン』のことなんて、どうだっていい。
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