戸惑いの口元は

ヤミーバッファロー

1話

「ほら、もっと笑顔で。だから口角をあげたまま歌うのよ。頭の中心から引っ張られているように姿勢よく。喉の奥をあけて。そう、通る声で。」

今まで顧問から言われた言葉が脳内を駆け巡る。少しの緊張と震え。少し高めの段の上に立っているからだろうか。見慣れた景色にも関わらず、奥まで観客がびっしりといることが分かる。いつもと同じ音楽室。いつもと同じメンバー。来年、私はここで歌えないんだ。そう思うと不思議と喉がきゅんと痛くなった。

「本日はA高校合唱部の発表に来て下さりありがとうございます。」

部長のリノが1歩先に踏み出し挨拶をしている。いつも笑顔で私たちを楽しませてくれるリノ。そういえば、リノの家系は音楽一家とか言ってたな。ご両親はピアノとピアノの調律師さんらしい。歌うことも楽器を弾くことも大好きな私から見れば、とても羨ましく憧れの家庭に見えた。でも入部したばっかの時リノが合唱部の悪口を言っているのを、私は聞いてしまった。

「合唱部って適当に歌うだけかと思ったらさ、腹筋背筋とか走らされるんだよ。まじで意味わかんないから。」とリノは仲の良い友達と笑っていた。私はリノに失望した。大好きな音楽に取り組むことを馬鹿にされた気がして悲しかった。それから音楽をしているリノは好きじゃない、と勝手に偏見を持っていた。

「私たち高校3年生は今年が最後の文化祭になります。」

今にも泣きそうな声でリノが話すから、つい涙が溢れてしまった。涙を堪えてたせいか喉がヒリヒリしてきた。リノは強く堂々として見える反面、少し寂しくも見えた。あれは2年生の頃だ。音楽が嫌いなはずなのに急にリノは練習を真面目に取り組むようになった。そしてリノはすぐに上達し綺麗な高音を出せるようになった。同じソプラノパートだったが、私より高く美しい声色を響かせるリノは注目の的となった。小学校と中学校でも合唱部で歌に熱中していた私より、気がついたら遥かに上を歩んでいた。羨ましかった。そしてリノは先輩や後輩からの推薦で部長になった。私も部長になりたい。歌の魅力を伝えたい。そんな淡い気持ちはいつの間にか消えていった。

「では最初の曲になります。」

リノは音楽が好きなのかな。いっそのこと嫌いで居てくれないかな。大事な場面なのに人を妬む自分が恥ずかしくなった。

心に殺し唾を飲み込んだ。顧問が指揮棒を上にあげ、ピアノの伴奏が聞こえ始め、隣に立つ後輩が過呼吸気味になってて。

本能だろうか。この景色を目に焼き付け、この歌声をリノと観客の皆さんに届けないといけないんだと強く思った。私は歌が好きなのかな。ふと抱いた小さな感情を潰し、鼻から息を吸い込み、私は歌った。

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