いかなる痛みも伴わない去勢

五三六P・二四三・渡

しこり

 袋の中にのようなものがあるきがした。

 手で触ってみると右側の玉の上部に第三の玉というべき物体があるのがわかる。他の玉の半分程度の大きさであり、痛み等はない。ふと風呂椅子に座ってみると、右側だけ太ももに触れているのがわかり、少し気になる。

 いや本当に今気が付いたのだろうか。前にもしこりがあるのに気が付いたがそのまま忘れてしまったような気がする。ずっと慣れ親しんだ三つ目の玉だったかもしれない。それと同時に最近出現したかもしれないとも思えた。

 漠然とした不安がもたげてくる。これは腫瘍ではないのかと。最近は健康体であり、特に体調がおかしなことはなかったはずだった。

 いや、しかしと考えてみて、そういえば最近少し体がだるくて食欲がなかったように思う。いやいや、後付けで結び合わしているだけではないのか? 食欲がないのは偶にあることだった。

 とりあえずは風呂場から上がり、ネットで「睾丸 しこり」で検索してみる。そして一番上に「精巣癌」と言う文字列が並んだ。

 ぼんやりとした不安は、その文字を眺めるにつれてはっきりと形作られていくかのようだった。そして自分の置かれた状況をようやく認識することができた。頭を抱え込み、他の検索結果を調べてみる。初期症状、余命、生存率。放射線治療による勃起不全。一個残ればまだ出来る。

 ある程度見た結果、どうやら100%精巣癌であるとは限らないようだった。それでもやるべきことは病院の検査を受けることのようだ。仮に違うのであっても、違うことを確認するために行ったほうがいいというアドバイスが書かれている。どうやら行かないという選択肢はないようだった。近くの泌尿器科を検索してみる。


 それでもと手を動かしながら、考えてしまうことがある。


 本当にそうだった場合、当然いろいろと大変なことになる。両親はどう思うだろうか。仕事は派遣社員の3年目と言う時期に長期入院となると、やめることになるだろうか。いや睾丸の切除だけであるのなら、数日から数週間で退院になるらしい。ほかの場所に転移していたら? 手術に耐えられるのだろうか。麻酔が切れたら痛むのだろうか。ほかにも問題はいろいろある。

 例えば3週間。

 3週間程度あれば、身辺を整理できるのではないだろう。そして来週には観たい映画が存在した。ほかにもやりたいことは多々ある。美味しいものが食べたい。

 このしこりは数年前から存在していた気がする。多分。ならば数週間程度誤差に思えた。

 不安とは別に心の奥底では妙に落ち着いている自分がいることにも気が付いた。まるで他人事のような気分で実感をしっかりと持つことはできなかった。まずは今後の予定を立てて、その後のことを考えるべきだと。

 私は自分に言い聞かせながら、再びPCの電源を落とした。

 そして目をつむり、つぶやく。

 

「捨てようか、童貞」


 いや違う、と頭を振る。何が「捨てようか」だ。

 ファックしたいと言え。

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