第16話──痛む心
時間はあっという間に過ぎていった。公務の間に紋章の訓練を挟みながら、王子は忙しく毎日を過ごしておられる。私も公務に同行するほか、〈アヌ〉の国への訪問を控えその準備を着々と進めていった。
隣国とは言え、〈アヌ〉へ行くには両国を隔てる山脈を超えなければならない。半日もあれば登れるような山ではあるが、万が一のために非常時用の食料やテントは用意しなければいけない。急襲されたときのために代替用の武具も必要であるし、その他諸々準備物は多かった。さらには少人数の旅程であるため荷物をどう振り分けるか考えなければいけないし、それぞれの役割分担も必要だ。特に王子を守るため咄嗟のときに誰もが動けるようにしておかなければならない。
なによりも気掛かりなのは、やはり王子を襲った咎人とフォヴォラのその後の情報だった。王国の諜報部隊もギルドも全く手掛かりがつかめていないらしい。他国に同時多発的に攻撃を仕掛けているかというとそういう話も流れてこない。今のところは、あのとき単発だけの事件で済んでいる。
だが、ことは単純ではないはずだ。フォヴォラが発見されたのですら久しぶりのことと聞いている。私ですら大人になってフォヴォラを見たのはあのときが初めてであるし、100年、200年前とは違い、今は早々咎人が攻撃を仕掛けてくることもなくなっているはず。
世界は咎人の脅威を忘れて平和に生きている。少なくとも表向きはそうだ。
ならば、やはりあの事件にはまだ続きがあると考えた方が自然。
紅茶を飲み干すと、準備物リストを机の上に置いて椅子から立ち上がる。
「時間だ。いこう」
*
出立を目の前に控えて、今日は王子の訓練最終日だった。実際には紋章も剣を学ぶのと同じで終わりなどなく、長い研鑽の時間が必要になるらしいから出発前の最後の訓練日とでも言ったところか。
中庭には王子とフリーダの他にもアーダンとそれに近衛兵と執事やメイド達もそろっていた。全員が全員、王子の宿した〈太陽の紋章〉が気になるらしい。
「ティナ! 遅いじゃない!」
こちらに気づいたフリーダが早く、早くと手招きをしている。もうすっかりとこの環境にも馴染んでいるようだった。
私は王子の前に立つと、キラキラしている瞳を見つめた。毎日顔を合わせてはいるが、中庭で会うのは何日かぶりだった。
「お待たせしました王子」
「違うっ! こっち! 先に声かけたのこっちだから!」
「…………ああ」
フリーダと顔を合わせるのも久しぶりだった。彼女は城の紋章士たちと同じ宿舎で寝泊まりしており、ここへ来るのも今のところは王子の訓練のときのみだったため会う機会はほとんどない。それに、なんとなく王子と2人、訓練をしている姿は見たくなかった。
「もうっ! よし、それじゃあ役者がそろったところで始めます! はいっ! マリク王子!」
バラバラな拍手が沸き起こる。これから旅へ赴くというのに、なんとも力のない拍手だった。だが、今はそれでいいのかもしれない。
紋章を披露する王子の傍を離れると、隣にフリーダが並んだ。私とは違い、快活そうな笑顔で王子に拍手を送っている。
「なに? なんか元気なさそうね。化粧ノリが悪いわよ」
こそこそと耳打ちしてくる。
「君は逆にいつも元気そうだな」
「当たり前じゃない! 毎日、王子に会えるなんてちょっと前の私からしたら夢のよう! あんたもそうじゃないの?」
夢、か。……確かに夢のようではある。王子が私を選んでくれたと知ったときにはそのあと1日中嬉しさがこみ上げてきてしょうがなかった。でも、いつも現実に戻ると私は──。
「たぶんね、恋をしてるとやっぱりこの年になっても肌がキレイになるのよ! って、今はいいか。さ、始まるわよ。私と王子の訓練の成果、とくと見なさい」
王子は紋章を宿した右手を空高く掲げた。紋章が白い光に包まれたかと思うと、拡散し、眩い光が降り注ぐ。王子の周りを何重もの光の渦が取り囲み、回転し始めた。次第に光は形を変え、あるモノへと形を成していく。〈太陽の紋章〉が〈始まりの剣の紋章〉と言われているゆえんである無数の剣の形だ。
それは一点へ集中すると、王子は掲げていた手を降ろして魔法をかき消した。
「……どう……かな?」
頼りなげな王子の問いに、その場にいた全員の歓声と大きな拍手が応えた。
「フリーダ。あれでまだ最初の階層の魔法なのか? なんと言えばいいのか、今まで紋章を見てきた中であそこまで綺麗な魔法を見たのは初めてだ」
「なによ。それ、私じゃなくて直接王子に言えばいいんじゃないの?」
「い、いや。王子にはその……」
フリーダは悪戯っぽく微笑むとツインテールの髪を手で触る。
「まあいいけど。でも、なかなかいいセンスしてるじゃない。綺麗に見えたってことはそれだけ洗練された魔法ってことなのよ。あんたも知ってるでしょ? 全ての紋章は9つの『神の紋章』からできてるってこと。神の紋章に近ければ近いほど、アバウトな形じゃなくてより洗練された形になっていくものなの。私の紋章はボカーン、ドカドカッって感じでただ燃えてるだけだけど、上位の紋章になると炎がある形を成すようになる。そういうこと」
「そうか、そうなのか」
照れてる王子の姿も素敵だが、魔法を使ったときの王子の姿は神々しささえ感じていた。あれが神の紋章。神の力なのか。
しかし。しかし、だ。この胸の痛みはなんだ? こんなにも嬉しいはずなのに、こんなにも胸が痛む。
全員が拍手を送る中、今の私だけはどうしても心から祝福することができなかった。
「フリーダ。ありがとう。私はまだ業務があるから先に戻る、と王子に伝えてくれ」
「えっ? ちょっと、ティナ──」
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