第29話 古代の遺物

 

「アイリスさんから手紙?」

 

 レインは、上から降りてきた黒猫トリコに訊ねた。

 

『いいや、どこへ飛ばされたのか見ておかないと、使いの役目を果たせないからね。確認のために追いかけてきたんだが……ふむ? ここは、人間の国……カゼイン帝国とノイゼン王国の境にある古代遺跡だね』

 

 執事服の黒猫が、微かに鼻をひくつかせながら言った。

 

「カゼイン帝国の国境にあるってこと?」

 

『まあ、そうだね。悪夢を見せる瘴毒に覆われるから、人間はこの辺りを"嘆きの樹海"と呼んでいるそうだ』

 

「嘆きの樹海……悪夢を見せる霧?」

 

 レインは、ロンディーヌが居る部屋を振り返った。

 

『当人が一番思い出したくない……忘れたい記憶をえぐってくる瘴毒さ。毎夜毎夜、悪夢を見せられると、心が病むかもしれないね』

 

「悪夢を防ぐ方法は?」

 

『君には、瘴毒なんて効かないよ?』

 

 黒猫トリコが首を傾げる。

 

「僕じゃない」

 

『ふむ。あちらの娘さんか……』

 

 黒猫トリコが部屋を振り返って双眸を細めた。

 

「トリコ?」

 

『人の子にしては、魔力がとても多いね。魔力をまとうことで瘴毒への耐性を高めようとしているみたいだ。意識してのことか、無意識なのか……少しばかり無謀が過ぎるね』

 

「聖法術の結界や防壁なら防げる?」

 

 一応、部屋の周りには聖法術による簡易な結界を張ってある。

 

『一時的に軽減できる……だが、やがて侵食されるだろう』

 

 黒猫トリコが首を振った。

 

「じゃあ、どうすれば?」

 

『君は、ここに住むつもりなのかね?』

 

「えっ?」

 

『さっさと、ここから連れ出したらどうかね? その後は、聖光を使って身体の中に巣くった瘴毒を浄滅すれば良い』

 

 瘴毒が及ばない場所へ移動することが、一番の対処方法だということだ。

 

「霧の範囲は?」

 

『かなり広いし、昼夜で移動するようだが……色付きだから見れば分かるんじゃないかね?』

 

「樹海の外に出たら、悪夢は見なくなる?」

 

『毎夜見るということはなくなるだろうね』

 

「それなら……」

 

 今すぐにでも、ここを離れた方が良い。

 身をひるがえしかけたレインだったが、すぐに顔をしかめて足を止めた。

 

『何か来たね』

 

 黒猫トリコが上方を見上げた。

 

「変な気配……」

 

 意識の大半を向けていないと居場所が分からない。微少な気配だった。

 一つだけだが、危険な気配だった。

 争わずに済むのなら、このまま距離を取って逃れたいくらいに……。

 

(これは……絶対、人間じゃない)

 

 緊張しつつ、相手を刺激しないように、ゆっくりとした足取りで部屋へ戻った。

 

「レイン?」

 

 戻ってきたレインを見て、ロンディーヌが立ち上がった。

 

「危険な奴が居ます」

 

 レインは、人差し指を唇に当てて見せた。

 

「……私には分からないな」

 

 ロンディーヌがささやくように言う。

 

「さっきまで居ませんでしたから……どこからか、やって来たんでしょう」

 

 先ほどの"鼓音"に誘われたのかもしれない。

 レインは鞄を背負うと、"折れた剣"を手に斜め上方から動かない気配に意識を向けた。

 

(トリコ?)

 

 黒猫の姿が消えていた。

 

『これは、ちょっとした驚きだね』

 

 どこからか、黒猫トリコの声だけが聞こえてくる。

 

(なにが?)

 

『古代の魔導生物だ』

 

(……なにそれ?)

 

『そのまんまさ。古代の……魔導国が栄えていた頃の産物さ。まだ動く個体が残っていたとはね』

 

(そんなのが、なんでここに?)

 

『言っただろう? ここには、古い遺跡群があるんだ。どこかで眠っていたんじゃないかな?』

 

(襲ってくる?)

 

『分からない。話に聞いたことがあるだけで、実物に出くわしたのは初めてだからね』

 

「レイン?」

 

「……何となく、このまま見逃してくれる気がしません」

 

 ロンディーヌを背にかばう位置に立ちながら、レインは"折れた剣"に仕込んだ法陣を確認した。 

 

『動くよ』

 

 黒猫トリコの声が聞こえた。

 

「ぅ……あっ!?」

 

 何かが正面から迫った。そう感じた瞬間、レインはロンディーヌを押しのけるようにして"折れた剣"で受けた。

 

 

 ヂュイィィ……

 

 

 手元で異様な音が鳴る。螺旋らせん状の突起物が回転しながら"折れた剣"の腹で火花を散らして斜め後方へれて抜けた。

 直後、後方へ抜けたものがレインの背中めがけて舞い戻る。

 

 

 ……<剛力>

 

 

 霊法の術技を使用し、不十分な体勢のまま打ち払った。

 

 

 ギュイン……

 

 

 嫌な擦過音を響かせて、それが上方へと戻っていった。

 屋根板や石壁を紙のように突き抜けて穴を開けている。凄まじい貫通力だった。 

 

「レイン!?」

 

「遠くに届く……強い魔法を撃てますか?」

 

 背に庇ったロンディーヌに声を掛けながら、レインは足裏で床を軽く蹴った。

 霊法陣がレインの足下に幾重にも展開されてゆく。

 

「炎槍なら……おおよその方向を指示してくれれば放てるぞ」

 

「じゃあ、それの準備をお願いします」 

 

「分かった!」

 

 ロンディーヌの返答に重なるように、レインの正面から螺旋の突起物が飛来した。 

 今度は、眼で追うことができた。

 

(……念動で縛れない)

 

 レインの操る異能では、勢いを減衰することさえできなかった。 

 

「せぃっ!」

 

 レインは、気合い声を放って"折れた剣"を振り下ろした。

 同時に、<剛力> を重ねている。

 

 

 ギィィィン……

 

 

 硬質な衝突音と共に激しい閃光が飛び散り、打ち落とされた飛来したものが床に転がる。

 

螺旋らせん状のキリ?)

 

 白っぽい石のような質感をした螺旋状のものだった。

 床に転がったものを一瞥し、レインは <霊観> の範囲を拡げた。

 

(……タコ?)

 

 風船のようなものから、吸盤が付いた無数の触手が生え伸びている。

 

(違う……何だ?)

 

 風船のような部位に、人間と同じような形をした"眼"が八つあった。

 

「レイン、待たせた」

 

 ロンディーヌがささやいた。高圧の魔力が練り上げられている。

 

「この先に!」

 

 レインは"折れた剣"で、触手の化け物を指し示した。

 

 間髪を入れず、

 

炎槍百華カグナード!」

 

 ロンディーヌが声を発した。

 レインの肩越しに突き出したロンディーヌの手の平を中心に、円形の魔法陣が顕現し、紅蓮の光を放つ。

 

 瞬間、魔法陣の中央から、人の背丈ほどある円錐状の炎柱が撃ち出された。続けて、2発、3発……と連続して射出される。

 

 炎槍が天井を破り、石壁を破壊して、触手の化け物が居る辺りに吸い込まれる。最初の一本は外れたが、次の炎槍は触手に、その次は風船状の膨らみに命中したように見えた。

 炎槍が当たった箇所は焼けて崩れているようだったが……。 

 

(効いてる? でも……)

 

 触手の化け物は、避ける様子もなく、無数の炎槍をその身に受けながら、まだ焼けていない触手を振り上げた。 

 

(……来る)

 

 レインは"折れた剣"に仕込んだ法陣に霊力を注いだ。

 建物を突き破った無数の触手が、レインとロンディーヌめがけて迫ってきた。

 

「次を準備しようか?」

 

 炎槍を撃ち終えたロンディーヌがいてくる。その胴体を念動で支持して、

 

「逃げます!」

 

 レインは全速力で飛翔した。

 追いすがる触手が廊下の石壁を打ち砕き、方々を貫きながら迫る。


(……かわしきれない)


 ただ速いばかりでなく、自在に方向を変えることができるらしく、レインが回避した方向、回避しようとする方向へ追尾し、先回りをしてくる。


「……ロンディーヌさん?」


 魔力の高まりを感じて、レインはロンディーヌを振り返った。


「相手の位置が分かった。別の魔法を使ってみる」


 念動で抱えられることに慣れたのか、忙しく左右に揺すられながらも、ロンディーヌが両手を胸の前で合わせて魔法を準備していた。


「分かりました」


 頷きつつ、足下から迫る触手を避ける。すれすれを掠めた触手から無数のとげが生え伸びた。



 ……<金剛身>



 咄嗟に術技を使ってとげを受けながら折れた剣で斬り払う。


(危なかった!)


 ぎりぎりのところで、ロンディーヌを狙う触手を斬り払うことができた。

 代わりに、レイン自身は何本かのとげを受けてしまったが……。


「レイン!?」


「大丈夫です」


 まだ<回復> を使うほどではない。<金剛身> の効果で、皮膚を浅く裂かれた程度で済んでいる。


(……触手の焼けたところが少し盛り上がってる。たぶん、再生するんだな)


 様子を観察しながら、レインは触手の化け物の至近に閃光を発現させた。狙い通り、化け物が八つの目を閉じる。


「今です」


「……火焔流カグリューラ!」


 レインが脇へ退くと同時に、ロンディーヌの手元に浮かんだ魔法陣から紅蓮の炎が噴射された。

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