祓いの王
ひるのあかり
Ⅰ
第1話 刑場の骸骨
(今夜は……月が明るいなぁ)
天井の鉄格子を見上げて、レインは小さく息を吐いた。
地面に掘られた縦穴式の地下牢の中である。手足は自由だったが、首輪を嵌められ、鎖で天井の鉄格子に繋がれていた。座ると首が締まってしまうため、ずっと立っていないといけなかった。
レインが牢の中で迎える二度目の夜だ。
まだ九歳。
体は痩せて小さく、水と食事を与えられないまま衰弱が進んでいる。
眠気を催しては、窒息しそうになって眼を覚まし、また眠りそうになり……体力的にも辛い状況に追い込まれていた。
大きな瓶の中で、処刑の時を待つだけの日々だった。
(どうして……まだ殺されないんだろう?)
レインは、伯爵家の四男を矢で射殺した。だから、すぐに殺されるものだと思っていたのに、瓶牢に繋がれたまま生かされている。
もしかすると、このまま地下牢に繋いで飢え死にさせるつもりなのだろうか?
(それでもいい……お祖母ちゃんの仇は討ったんだ)
十日前、いきなり武装した男達が家にやって来た。
夜半の事だ。
家の戸には鍵が掛けてあったが、男達は剣で錠を叩き壊して押し入って来た。
すでに寝入っていた祖母とレインは、強盗に押し入られたと思い、裏手から逃れようとしたが、あえなく取り押さえられてしまった。
レインと祖母は、訳が分からないまま馬車に押し込まれ、場末の酒場へ連れて行かれた。
そこに、酔っ払った若い男が待っていた。
伯爵家の四男で、ミヒャルド・プーランという、この辺りでは粗暴な素行で知られる十七歳の若者だった。
「おまえが呪家の呪術屋か? ここで呪術を見せてみろ! ああ……そいつだ! そのガキに呪いを掛けてみろ!」
ミヒャルドが、レインを指さして甲高い声で怒鳴った。レインを抱えている男が、短刀をレインの首筋に押し当てる。
「あたしは呪師さ。呪術師とは違うんだよ」
レインの祖母は静かな声音で告げて、ゆっくりと首を振った。
この辺りの土地の慣習で、祭事などで祈祷を行ったり、家を建てたりする時に厄払いをしたり……そうした時に招かれるのが呪師だった。帝国がこの地を支配するずっと前から行われている土着の風習だった。
ミヒャルドが思い描いているような呪術師とは全く性質が異なる職業なのだ。
「下民が、なめた口をきくな!」
激高したミヒャルドが、いきなり剣を抜いてレインの祖母に斬りつけた。
レインの喉元に短刀を突きつけられ、祖母は抵抗らしい抵抗もできずに剣撃を浴びて倒れた。
ミヒャルドは、狂ったように怒鳴り散らしながら、気が済むまで剣を振り下ろし続けた。
それから、喚きながらレインを殴り、酒場の裏にあるゴミ捨て場に蹴り込んだ。
「施しだ! いい暇潰しになったぞ!」
ミヒャルドが、ゴミ溜めに転がされたレインに金袋を投げつけて去った。
レインは、その金で弩と矢を買った。
それから酒場裏のゴミ溜まりに潜み続け、ミヒャルドが酒場に来たところを狙撃した。顔に1本、胸に1本、腹に2本当てた。すべてゴミの腐汁で濡らした矢だった。
ミヒャルドを射殺した後は、取り巻きの男達めがけて矢を放ちながら逃げた。だが、体力が残っておらず、路地裏で蹲っているところを警邏隊に捕縛され、こうして壺型の地下牢に繋がれている。
(僕がやらないと……誰もあいつをやらなかった!)
仇討ちには成功したが、感情が鎮まるどころか未だに腹立ちが収まらない。
怒りだけがレインを生かしている。眠りに落ちそうになる体に怒り、感覚の失せた足で傾く体を支えていた。
この世の支配者は、王侯貴族だ。
反抗的な物言いや態度をとっただけでも殺される。何もしなくても、気まぐれで殺される時だってある。
平民の情理など関係が無い。貴族を罰することができるのは、その貴族よりも身分が高い者だけだ。
伯爵家の者を罰することができるのは、伯爵以上の地位にある者だけだった。伯爵領内で起きたことは、伯爵家がすべてを差配する。
それが身分というものだった。
レインがやらなければ、祖母はただ殺されただけで終わる。そのまま、何事も無かったかのように……。
それが我慢できないから、レインは仇を討った。
そして、処刑されようとしている。
(……足音?)
ぼんやりと月を見上げているレインの耳に、人の足音が伝わってきた。
処刑の時が来たのかもしれない。
(夜にやるのか)
カッカッと床石に踵を打ちつけるような足音に混じって、ひたひたと密やかな足音も聞こえる。
(……女?)
天井の鉄格子から覗き込んだ顔は、目元を仮面で隠した女だった。頬が痩けて頬の骨が浮き出ている。殺された祖母ほどではないが、かなり高齢のように見えた。
「引き上げよ」
女が命じた声に、低い男の声が返事をした。
すぐに、鉄格子が外されて、レインの首についている鎖が引っ張られた。レインは首が絞まらないように両手で鎖を掴んで体を支えながら、地下牢の底から引き上げられていった。吊るされて引き上げられる間、肩や背が壁にぶつかり、壁面に擦られて酷く痛んだ。
「子供のくせに、なかなか……まだ体に力を残しておりますな」
甲冑姿の大男が、引っ張り上げたレインを俯せにし、両手を後ろへ捻って押さえつけた。
レインは口を引き結んだまま、首をねじ曲げて2人の顔を睨み付けた。大男も顔を隠す黒い覆面をつけていた。
「弓を引いたのは右手か?」
女が訊ねる声がした。
「でしょうな」
「ならば、右腕を切り落とせ」
女が命じた。
「では……」
短いやり取りが頭上に聞こえたかと思うと、ヒヤリとしたものが右腕を撫でて抜け、レインの右肘から先がいきなり切り落とされてしまった。
(え……?)
何が起きたのか理解が追いつかずに、レインは抑えつけられたまま呆然と眼を見開いていた。
「死ぬであろうな?」
女が訊ねた。
「血を止める手段がありません。失血により、さほどかからずに息絶えるでしょう」
男が淡々とした声で答えた。
(まさか、このまま?)
レインはじっと動かず沈黙を保ったまま、眼を見開いたままやり取りを聞いていた。血が流れて死ぬまで放置するつもりらしい。
これが刑罰なのだろうか?
「首を
男が訊ねた。
「楽にしてやろうと申すのか?」
女が不快げに言った。
「……いいえ」
「ならば、捨て置け。虫けらのように這いずり回って死ねばよい」
女が吐き捨てるように言い、
わずかに遅れて、男が女に従って去った。
(手……僕の右手……)
右腕が肘より少し上で切断されていた。
レインは大量に血を失い、悪寒に身を震わせながら、地面に転がっている自分の右手を見つめていた。
起き上がろうとしたが……。
(体が……動かない)
仰向けになろうとしても、体に力が入らなかい。血と一緒に体の熱が、どんどん抜け落ちてしまう。
そんな時だった。
『起きろ坊主……』
いきなり呼び掛けられた。物静かな男の声だった。
(えっ!?)
不意の声に、虚ろだったレインの意識が覚醒した。
『助かりたいか?』
男の声が問いかけてくる。
「し……死にたく……ない」
レインは、俯せに倒れたまま声を絞り出すようにして答えた。
『ならば薬をくれてやろう。儂にとってはただの草汁だが……生きた人間には妙薬らしいからな』
男の声が聞こえ、レインの頭から何かの液体が浴びせられた。
(……あ?)
効果は劇的だった。
体を襲っていた悪寒が去り、喪失していた力が回復してくる。体中に力が漲ってくるようだった。見ると、右手の失血が止まっていた。腕そのものは元に戻らなかったが、断端は綺麗に塞がっていた。
レインは、左手を使って身を起こすと、薬をかけてくれた男を探した。
「えっ!?」
ぎょっと眼を剥いた。
そこに、王冠をかぶった
『呪血の裔……哀れなくらいに痩せて小さい。こんなものが血族最後の一人とは……嘆かわしいことだ。おまけに……些末な呪怨なんぞに魂が呑まれかけておるではないか』
骸骨が、歯が剥き出しになった上顎と下顎を開け閉めして見せる。どうやら、嗤っているらしいが……。
『用ができて、この獄場を離れることになった。憤怒と絶望と悲哀に満ち満ちた、なかなかに居心地の良い寝所であったが……』
そう言って、王冠をかぶった骸骨が、何かを招くように指を動かした。
途端、地面に転がっていたレインの右手が宙に浮かび上がって、骸骨の手元へ移動していった。そのまま、地面に落ちること無く、宙に浮かんで漂っている。
『哀れなくらいに痩せた腕だが……まあ、この腕を供物にして玩具をくれてやろうか』
「……おもちゃ?」
『やれやれ……童は知識が不足していて面倒だ。少しばかり呪法の基礎を刻んでやらねばならんか』
そう言って、骸骨が手を伸ばしてレインの額に触れた。
「あっ……いぎぃっ!?」
いきなり、凄まじい頭痛に襲われてレインは苦鳴を漏らした。
カカカカ……
骸骨が顎を鳴らして笑う。
『ちと頭が痛んだか? 苦痛を感じるのは、おまえの素養が足りておらん証拠だ。己の未熟を知る良い機会であったな』
「うぅ…………あっ?」
レインは恨めしげに骸骨を見上げようとして、すぐに大きく目を見開いた。
「……こんな……なにこれ?」
レインは知識の奔流に呑まれて呆然となった。
『呪師の一族が代々伝えてきた呪の知識だ。おまえのような非才の者にくれてやるのは業腹なのだが……他に呪血が残っておらぬからな』
そう言った骸骨の手元で、レインの右腕がどろりと溶けて形を失い、黒々とした球体となった。
『ほれ……できたぞ』
骸骨の手から黒い玉が離れると、吸い寄せられるようにレインの右腕の断端にくっついて蓋をするように切断面を覆った。それと同時に、無数の針が突き刺されたかのような痛みが襲ってきた。
『そいつは、瘴気を喰って育つ呪魂の器だ。少し歳月を要するが……上手く馴染めば、おまえの命力を補う宝具となるだろう』
「すごく……痛いです」
レインは、爆ぜるような痛みに耐えながら呻いた。
『そいつが、居心地が良くなるように整地しておるのだ。おまえの腕は、粗末な剣で斬られて断面が膿んでおったからな』
「……これ、ずっと痛むんですか?」
『元はおまえの右腕だ。すぐに温和しくなる』
そう言って、骸骨が夜空に浮かぶ満月を見上げた。
『さて……良い頃合いだな。この地を去る前に、儂の女を苦しませた蛆虫共をまとめて煉獄へ叩き込んでやるとしよう』
「えっ!?」
レインは驚いて骸骨を見上げた。
『スーナの奴め、定命で果てたいと申すから捨て置いたものを……クソ虫のごとき輩に害されるとは情けない』
「……僕のお婆ちゃんを知っているんですか?」
スーナというのは、ミヒャルドに殺された祖母の名前だった。
『阿呆か、おまえは? スーナとの約定だから助けてやったのだ。そうでなければ、わざわざ定命の世なんぞに関わりを持たぬわ!』
骸骨が語気荒く吐き捨て、レインに向けて腕を伸ばした。
「あ、あの……?」
レインは、怯えて後退ろうとした。
『動くな。転送呪を使う』
骸骨の手がレインの頭を鷲づかみにした。硬くて冷たい骨の指先が額に触れる。
「あなたは、お祖母ちゃんの……?」
『かつて、様々な術法を研鑽する者達が集った学舎……今となっては瘴毒に呑まれた廃墟だが……そこへ送ってやろう。書物の一冊……魔道具一つでも持ち帰ることができれば、現世から失われた英智を得るだろう。スーナの孫として……偉大な呪師の裔として、命を対価に博打を打ってみろ!』
「あっ、ま、待って……あなたは……」
『この世に戻っても、しばらく伯爵の城には近付くな。あの辺りは腐毒に沈む。スーナの祝福に護られたおまえでも無事では済まんぞ』
「あのっ……」
慌てて呼び掛けたレインだったが、いきなり視界が足下の感覚が失せて真下へ落下した。
慌てて見上げる視線の先で、王冠をかぶった骸骨が遠く小さくなってゆく。
(……あの骸骨が、お婆ちゃんの知り合いだった?)
祖母と骸骨の関係に意識を奪われたまま、レインは真っ暗な闇の中を落ちていった。
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