女子高生しか勝たん

 尼崎。といえば、家族喰いや鉄道事故のイメージが先行しているんだろう。世間では治安が悪いとかダウンタウンとか「アマかよ」とか好き放題に弄られるけれど、住んでいる者の嗅覚からすれば、屁のつっぱりでもない。昼間なら歩いてて刺されることも少ないし、たまの発砲事件が新聞の三面に載るぐらいで、せいぜい中高生がおこづかいをスロットで増やしたりするぐらいの、みな虎柄と江夏豊が粉もんより大好きな、愛嬌があって、とても平和な町。阪神尼崎駅前に架かる錆びた水道橋のうえを鳩の群れが滑空し、ホームレスに分けてもらえる賞味期限切れ食パンの耳を美味しそうに啄む。威勢良く摂津弁が飛び交うアーケードに仰々しくぶらさがった阪神タイガースの黄色いマジックを潜って西の競艇場に近づけば治安はちょっとだけ悪くなり、焦点の定まらないぎょろ目をした作業着の男が消費者金融前にぽつんと三角座りしてシケモクを嗜んでたり、真っ赤な大鳥居が聳える公園はインディーズの空き缶拾い大会で賑わって、子どものころはそれを手伝うと溶けない不思議なアイスを貰えたりした。が、わたしの住んでるのは北側のJR駅近辺で、阪神間では有体な南北問題のとおり「北に行けば行くほど町並みが落ち着く」とは尼宝線沿いに歩くとすぐ実感できる。JRまで至れば、中島らもが大麻よりトリスを愉しんでいた程度には治安が良くなり、もっと北の阪急に足を運べば、駅名を見る限りもはや尼崎を名乗ってない。JRの駅の周りはキリンビールの大工場が撤退したのちに馬鹿でかいショッピングモールとそれを見下ろすような高層マンションが背を伸ばし、ここにはヴィレッジヴァンガードも、東急ハンズも、スターバックスのノンファットミルクのコーヒーフラペチーノも、およそ女子高生が求める全てがあって、わたしは一回だけナンパの下卑た声掛けに鬱屈しながら早足で闊歩した新宿の摩天楼よりも都会だと思う。

 でもわたしたちにとって一番の遊び場は、高校の屋上で決まりだ。阪神大震災の痛々しいヒビと黒ずんだ雨跡が線を引くコンクリートの天辺、本当は卒業式の後しか入れないらしいけれど、誰がやったのか真っぷたつに割れた南京錠を先生すら見て見ぬふりをしてる。二桁の引き算ができれば入れるような公立校なので、進学や就職なんかより大型バイクの免許と成年向け漫画にみな執心し、わたしは京都の私立大学で遊びたかったからそれなりに勉強していたものの、やる気を競艇に全振りした担任に媚びを売っておけば推薦もイージーだろうし、教科書を棒読みするだけの授業を眠気とともに振り切って屋上で寛ぐことも珍しくない。コンビニで買った「SUNAO」の新味を手土産に煙草の吸い殻だらけの階段を駆け上がればたいてい顔なじみの友人がいて、むしろそこに行けば誰とでも仲間になれるというか、インスタの撮影を始めれば笑い方とピースサインの作り方はブルベかイエベかと同じぐらい分かってる。お互いの化粧をあざとくない程度に整えて、制服さえ着ていれば、スマホのまんまるいレンズを潜ったあとのわたしたちは呆れちゃうぐらい無敵で素敵になれた。それこそ町の北端にあるお嬢様学校の、人魚のような透明感のある水色ワンピースに憧れたりもしたが、おならもしなさそうな清楚さはここで求められてない。しばしば「こういうのでいいんだよ」とコメント欄で揶揄されたブレザーを着て、友だちと並んで、目が醒めるぐらいまっしろい不織布のマスクをゆるめに着けて、見よう見まねで英語より詳しくなったハングルを追って韓国の音楽を選び、ゆらゆら踊ったあと照れくさそうにお互いの体を抱きしめれば、それだけでフォロワーは万を越える。すっかりおじさんの手垢でぎとぎとになった言葉でいうと「女子高生しか勝たん」のだ。そんな賞味期限もあと一年もないから、インフルエンサーの彼氏を作って、夜明けまで発泡酒に溺れて、そういうこともして、古本屋で換金しやすい希少本を万引きして、白バイに追われる姿を爆笑しながら動画に収めて。バズるのはイージーだ。イージーだと思ってた。

 父が浮気をしていることは、母に相談されるより前に相手の顔がいくつかモンタージュするぐらい詳しかった。うちの家庭は今風というのか、古風な家庭らしくないというか、父や母とは同い年の友人、それも笑いのツボを分かりあう親友みたいに接する。母のことは「ねえ、春子」とあまく囁いてお茶に誘うし、父のことは「おい、恋」とぞんざいに呼び、立った次いでにお茶を淹れてもらう。それにしても「恋」だって。浮き名を流すために運命づけられたような名前じゃないか。あまり酒に強くないくせ呑みたがる恋と立ち飲みのせんべろで肩を並べてるときに生々しい武勇伝を聞かされたこともよくあり、わたしも流行りに乗って「毒親」を訴えるようなアダルトチルドレンじゃなかったというか、弱くてナイーブで「#浮気は文化じゃない」とツイートに貼りつけてデモするような分かりやすい被害者になるのもつまらなく感じたというか、万博前の大掃除の折りで摘発が進む新地に通うのは流石に危ない、というよりおかずの品数が減って芳しくない家計を直撃するから勘弁してほしかったけど、今のところ直接の迷惑を蒙ってる訳じゃないから、「尼崎のジャンレノ」を自称する恋の肩を叩いて笑い飛ばし、浮気の顛末を春子に密告したりせず、アイフォンの最新モデルと引き換えに見逃してやった。それこそ小説家らしくやたら微に入り細を穿つ恋のワンナイトラブストーリーをネットで拾えるファンタジーな純愛BL漫画より楽しんでた節もある。下は十五、上は八十五と、全盛期の菊池涼介も顔を青くするぐらい拾っちゃえて、わたしの友だちの胸を揉んだ時は「パイの実」を買ってリボンつきで進呈するぐらいには呆れたけど、良いんじゃない別に、孕ませなければ。ということは春子とも口にはしないままツーカーで共有できていて、「避妊だけはちゃんとしてね」と食卓でテレビを観ながら阪神タイガースの藤浪が死球を当てたときに箸を置いて呟いた時の春子の声色は怒ってる風でも悲しんでる風でもなかった。直んないね藤浪の死球癖。とは、わたしが返事したのだったか、恋が返事したのだったか。そんなノリだから、春子が滅多に入ってこないわたしの部屋のドアをインスタのタイムラインもアメリカ西海岸が動き出す深夜に敲き、ベッドに寝転がりYouTubeでゲームの実況動画を追うわたしの枕元に項垂れたように座り、何度も嘔吐きながら語ってくる時の湿った声色は吃驚した、というよりいきなり自分が人生の主人公として舞台に立たされた気がして心許なかった。

 彼女のことを春子は「福島の妹」と呼んだ。文字通り「福島」に住んでいる「妹」で、名前は「愁香さん」というが、ひどい酒飲みで嘘か真か安居酒屋を何軒も滅ぼしたという噂を聞くかぎり、「愁いの香り」という嫋やかな語感からはほど遠そうだ。うちはわたしが産まれる前の交通事故で母方の祖父母がおらず、愁香さんはわたしを除けば春子のたったひとりの肉親ということだから、昔からずいぶん猫可愛がりしており、例の震災後は週末のたびにトランク一杯の古着だとかトイレットペーパーだとかガソリンを積んだ「わ」ナンバーのハイエースグランドキャビンをかっ飛ばして福島に通っていた。というのは恋のエッセイから拾った話で、わたしは覚えていない。放射能がどうこうでわたしは連れて行ってもらえなかったらしく、子育てを任された恋は育ちざかりの小学生の娘にずいぶん手を焼き、放射能に伴い各地を転々とした避難が落ち着いてからは、恋が代わりに福島に向かうようになったそうだ。この時に被災地で書いたリアルというには生々しすぎる小説が問題作として火が点き、単行本の帯にしばしば仰々しい太字で書かれたとおり、「震災文学」に恋は先鞭を着けた。同時に、愁香さんとの福島でのロマンスはこの頃に始まっていたことになる。自身の乱れた夜遊びすらしょっちゅうネタにしたお下劣な私小説家のあいつが愁香さんのことを全く書かないあたり、これは本気の浮気だな、と、まずは生活の不安がみみずのように背筋を這う。来年の大学進学に先立ち、オープンキャンパスは済ませていたどころか、オートロックの女性限定物件も閑静な御所近辺に見繕って新しい生活に夢を膨らませていた矢先、何でそんなややこしいことをするのか。わたしが身勝手だと重々承知しているけれど、「離婚」という言葉を軽薄に(とわたしは理解した)使う春子も相当に身勝手。春子いわく、離婚すれば恋は福島に越すらしい。まあわたしもそうかなと思う。わたしは小説は読まないけれど、恋のことは親友ぐらいには好ましく思っているので、恋の小説は文芸誌に掲載されているものすらも全ておこづかいで買って読み、簡単な感想を伝えたりする。本当は出版社に手紙を届けたほうが次作に繋がるらしいけれど、恋は「夏美にもらう感想が一番嬉しい」と対面で感想を聞くやり方を好み、作品の草稿を読ませてくれることもあって、廃品回収用にビニル紐で縛ったA4用紙の一枚目の游明朝体を何気に追うこともある。「震災文学」で話題のベストセラーにもなり、大型書店の一等地に面陳されるぐらい華々しくデビューした恋だけれど、東京五輪が終わって復興が落ち着いた昨今になれば、変に作家として色が付いてしまった恋への依頼も寂しくなり、旧知の編集者がお情けでくれる原稿料の少ないエッセイでようやく口に糊をしていた。その恋が、珍しく文芸誌の広告欄に「佐伯恋、さいごの震災文学」と見開きで載せて貰っていたことも知っている。その草稿が会心の出来映えだったあたりで勘づいておくべきだったのだ。いや、勘づいたところで、文が体を持ち始めてしまえば、それこそ二十二週を越えた赤ん坊ぐらい遅きに失したか。もし離婚ということになれば、わたしは春子につくか、恋につくか、決めないといけない。春子は専業主婦だから、金銭的な面でいえば恋一択だろう。いくら恋の収入が市営団地にも入れるぐらい頼りないといっても、奨学金に加え顔馴染みの学生ローンも活用すれば恐らく大学には通えるだろうけれど、わたしは春子も好きだし、なにより、実家は福島にあって欲しくない。わたしはよく知りもしないのに、たぶん福島が嫌いだし、この「本気の浮気」絡みのごたごたがあって、ますます福島を嫌いになった。震災が何だ。生活を奪われそうになっているのは、わたしも同じじゃないか!

 夏休みのあいだ、恋が「取材のため」と歯切れの悪い言い訳をしつつ福島に滞在すると聞いたとき、何でこの離婚の危機にそんな身勝手なことができるのか、わたしはいよいよ行きたくもなかった福島に行かなければならない、と、恋の汚いボクサーパンツを畳みつつ憤慨した。行ってどうするかは決めてない。恋にメンヘラ女よろしく泣きすがるかもしれないし、愁香さんをメイウェザーよろしくぶん殴ってやるかもしれない。が、負けるなんて天心戦ぐらい考えなかった。制服のブレザーを着て新幹線の自由席に鼻息荒くふんぞり返る。繰り返す、「女子高生しか勝たん」のだ。生理も上がってそうなババアにこっちは花も恥じらう処女、多様性だのマイノリティだの価値観が時代とともにどう変化しようと、元来の価値が変化するわけではない。新大阪の駅のホームまで春子は送ってくれて、本がたくさん詰まって重いボストンバッグを両手に持ってくれて、発車ベルが鳴り響くなか固いハグを交わしたとき、唇が触れるぐらいの耳元で、「一日一回は電話して」とさびしそうに囁いた。なんでこんないい女を恋は捨てるんだ。夏休みの新幹線は元気印の子どもが多く、みなスイッチを遊びながら明るい笑顔を綻ばせており、わたしだけこの世が終わったような仏頂面で、予習がてら恋が福島について書いた小説を睨んだが、あいつがキーボードのエンターキーをたーんと叩くときのドヤ顔が目に浮かび、だんだん腸が煮えくり返ってきたので、途中からはスマホで恋の小説をあげつらっている5chのアンチスレを読み流し、辛辣な物言いに溜飲を下げた。単独スレが立つあたり、なかなか悪名を轟かせたものだと感心するけれど、5ちゃんねらいわく「佐伯恋は福島のことを何も分かってない」らしい。テーマとして震災や原発事故を頻繁に取り上げるも、衆目を引くための過激な筆遣いがあまりに不遜すぎるのだと。まあわたしも恋のことは好きだが、不誠実だとは思うし、スレほど汚いネットスラングは使わないにせよ、愁香さんとの浮気を重ねて頷く。「尼崎のジャンレノ」なんて言葉は勿体ない。「尼崎のジュンイチ・イシダ」だ。というあたり、いかに説明すれば「福島の妹」こと愁香さんは分かってくれるのだろう、じっと汗ばんだ掌の筋を目で追う。小説家の父を持っているわりに、現代文の成績は他の子とどんぐりの背比べだし、ちょうどいい言葉が見つからない。尼崎の立ち飲み屋で酔客にうざったく絡まれ、言葉が見つからないときなんかは、いつも先に手が出てしまう。ああやっぱりわたしは愁香さんに会えば、きっと手が出てしまうな、と、東京駅でまっくろい蕎麦を待っているとき、道場で護身用に伝授してもらったサミングの素振りをカウンターのしたで繰り返す。「死ねブス」なんて言葉でもいいのにな。友だちがじゃれ合いのなかで使うようなそんな文句では、愁香さんにたいしてわたしが持っている気持ちと天秤に掛けたとき、傾いてしまう気がする。

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