推しのVtuber(前世なし)が前世で歌っていた曲が宇宙一に最高だったとき、俺は一体どうしたらいい?
及川盛男
第1話 全ての出会いは突然
アンコールの一曲目が終わった。ドラムの最後の打音が重たく震え、空間から去ってもなお、彼の歌声の余韻は俺の耳の中で音叉のように響いていた。手の感覚は半分なくなっていたが、それならむしろ都合がいいと、腕の先に付いてる板をぶつけるようにして必死で拍手をした。
ステージの上の男は、鳴りやまない拍手の滝を、恭しく全身で受け止めた。そしてそれを受け止め切ってから、ゆっくりと口を開いた。
「みんな、今日はマジで来てくれてありがとう。正直、こんなところまで来れるようになるなんて、夢にも思ってなかった」
太陽みたいなオレンジ色の髪を揺らして、はにかみ混じりに彼が言う。そのとつとつとした喋りに混ざる僅かな呼吸すらもがマイクに拾われ、音響設備を通して会場に広がり、一万人は居るだろう観客はじっと耳を傾ける。静寂の中、彼の乱れた息が染み渡る。
「……や、でも嘘かもしれないな。だってここに今居るってことは、自分でそれを選んだわけで、お前らにそれを応援してもらいたいとも思ってて。ってことは、やっぱり心のどこかでは、こういうことが出来たらなって、夢に思ってたのかもしれないなって」
思わずニヤけた。こんな、信じられないくらいの大勢の体と心を震わすようなことをしておいて、それでもそいつのちょっと捻くれたその物言いは、いつも配信画面の中でくだらない雑談をしているときの様子に戻っていた。
古くからの親友の成功を喜ぶような、そんなどこか誇らしい気持ちが湧く。周囲の連中も同じ思いなのか、「また始まったよ」と言わんばかりに苦笑していた。それを覚ったのか彼も「いや、だから照れ隠しではあるんだけど」と半笑いになりながら前置いて、
「それでも、あえて言わせてほしい」
すうっ、と整えるように息を深く吸って、彼は、黄昏ソウマは叫んだ。
「――お前ら、俺の夢叶えてくれて、マジでありがとう!」
その言葉と、ステージの大型モニターいっぱいに映し出された彼の大輪の笑顔を見て、観客席から雄叫びが上がる。俺はこっそり、バックライトを一番暗くしたしたスマホの画面を覗いた。同時配信しているこのライブの同接はYouTubeで1万人を突破している。有料チケットを買わなきゃ見れない配信に、これだけの人が集まっていて、そのチャット欄は今や「うおおおおおおおおおおお」という歓喜の声一色になっている。うねるような声の波に、ソウマはにかっと八重歯を見せて笑って、
「次、マジで最後の曲! 一つも後悔残さないように、全員一緒に歌ってくれ!」
俺は身構えた。
最後。もし、あの曲が掛かるんだとしたらこの瞬間しかない。アイドルでも何でもなかった陰キャ系Vtuberが、熱意と努力でのし上がり、ついに武道館でライブをするまでに来た。十二曲近く歌ってきて盛り上がりは最高潮、一つも後悔を残さない、というメッセージ。全てが、あの曲を指し示しているような気がした。つばを飲むと、叫びすぎて痛くなった喉が悲鳴を上げた。
「!」
ドラムのカウントの後に、そして、ソウマは歌い始めた。
瞬間、会場は爆発した。まさか、あの曲をここでやるなんて。「マジかよ!」と裏返った声で、頭を抱えて叫んでる奴すら居る。コメント欄は荒らしが湧いたかのような狂った速度で流れ、「クソ、なんでリアルのチケット当たらなかったんだよ!」と怨嗟の声を上げる奴すら居た。
きっと彼が今日、この曲をここで歌ったことはVtuber史に刻まれる新たな伝説になるに違いない……会場中が、加速するギターの音色とソウマの歌声に頭を揺らされ、ベースとドラムの重低音に心臓を上半身ごと震わされる度にそう確信を深めて行っているのが、俺の目にも分かった。
だから。きっとそうなのだ。俺はただ一人の人間だった。
俺は、彼のその歌を聞いて、悔しさの余りに唇を噛んでいた、唯一の人間だった。
なぜなら。ソウマが歌ったのは、俺が心の奥底から耳にするのを望んでいた曲――彼が前世で歌っていたあの曲ではなかった。
◆
黄昏ソウマと俺の出会いなんてものは、別に取り立てて語るような特別なものじゃなくて、ありふれた、きっと他のリスナーと大して変わらない形をしていた。
にじさんじやホロライブが出来て少しだけ経ったころ、それくらいの時期に新たに生まれた新興事務所のVtuberのデビュー配信を、4年位前にたまたま見始めてVtuberという界隈に足を突っ込んだ。その箱は彼女を中心にすくすくと成長していき所属配信者も同時接続数もどんどん増えて、やがてその箱のメンバー同士でのコラボ配信で、初めて黄昏ソウマに出会った。
コラボ配信で見るそいつは、発言はしどろもどろで、少し声は上ずっていて、そのショタっぽい幼い顔立ちに反してしかし話すことはどこか達観していて、正直その和気あいあいとした空間では浮いていた。
「いや、今日マジでなんで俺みたいなのがここ呼ばれたのか分からないけれど、でも来た以上は爪痕残すんで、よろしくたのんます」
そんなぎこちない入りだたが、一緒に配信しているVtuberたちが、本当に仲良さそうに、そして半ば愛おしさすら感じさせるような態度でソウマに接しているのが気になった。なぜみんながそんなに彼と話すときに楽しげなのか、その理由が気になって、彼の雑談配信の切り抜き動画を見るようになった。
いくつか有名どころの動画を見尽くすと、ちょうどソウマが生で配信をしていたところだったので、そのまま見始めた。
「――で、事務所行こうと思ってエレベータ乗ったの。そしたら、壁にカメムシが居んのよ。緑色の、親指の爪くらいの大きさのやつね。あれが、「うっす」というか、「あ、すんません」くらいのテンションで普通に壁につかまってちょこんてしてるわけ。見た瞬間に俺もう『ゾワッ』って、ガチでトリコのスタージュンとの邂逅の瞬間くらいに鳥肌立ったもん。ポケモンのエンカウントのBGMが脳内でテレレテレレテレレテレレって爆音で流れて。うわもう嫌すぎる! ってなったんだけど、もう時間もヤバいからさ、乗るしかない訳じゃん。で、普通エレベーター乗るときって、よいしょって入って、で切り返すじゃん。ドアの方に向き直るっていうか。でも、壁にカメムシ入る状況でそれは絶対無理じゃん。だから、もうエレベーター入った瞬間、もう忍者みたいにサササッと、カメムシの対角線上の一番離れた角に背中から張り付いて、それでもう閉めるボタンと1階ボタン連打。最初ターン制のRPGだと思ってたらね、めっちゃアクションゲーの戦闘システムだった。じっと、蛇と猫みたいににらみ合って、でちょっと向こうが足動かすのよ。そしたらもうこっちはビクーッてなって。エレベーターってちょっと風吹くのよな、降りるとき。それが衝撃になってカメムシが飛んだりしたらどうしようとかマジで泣きそうになってた。全然バイオ4とかより怖かった。でようやく一階ついて、ドア開いたらもうすぐ出る、一気に出るぞ、よし開くぞ、で開いた瞬間ケツから飛び出したの。そしたら、そこにメッチャ相撲の力士みたいな、アイシールド21の栗田くらいでかい横幅あるお兄さんが立ってたの! でも、もう止まれなくて、そのままぽーんってその人の腹に俺のケツがあたって、マジで弾力ヤバくて、完全にトランポリンだったんだけど、俺の身体がそのままうわあああって跳ね返されて、そのままカメムシがいる壁に俺、目と鼻の先のところまで吹っ飛ばされて、もう『ギャアアアアア』って、マジでギャグマンガ張りに叫んだねそのときは――」
3時間位の配信が終わった頃、俺はチャンネル登録をしていた。
ソウマには、いくつか俺と共通点があった。ギャルゲーを学生時代に狂ったようにやり込んでいたこと(ソウマは高校生なので、今も当然学生ではあるのだが)、ヒップホップとロックが好きなこと、ゲームは好きだけどそこまで上手ではないこと。
違う点もあった。彼は二次元のアイドルにも三次元のアイドルにも興味があったし、俺はソシャゲを馬鹿にしているが彼はそれすらも楽しんでいるし、ネットミームを使って滑ることをまったく厭わなかったし、自分の意見を雄弁に、レトリックを多用して語るのは、意見表明を恥じらう俺とは対照的で、羨望すら感じた。
一番決定的に違ったのは、可能性だった。出会って以来、ソウマは数年間の活動を通して、少しずつ可能性を広げていった。自分でデザインを手掛けたグッズを発売した。Vtuberのゲーム大会で他の人気Vtuberとチームを組んで優勝したりした。noteで書いていた日記がバズって、ヤフーニュースで取り上げられたりした。そして、単独ライブを開くようになった。
一方で俺はその正反対だった。毎日決まった時間に起きて、通勤時間に配信を見て、会社に行き、仕事をして、休み時間に配信を見て、仕事をして、帰宅しながら配信を見て、致して、配信を見て、寝た。
それを繰り返す中で、少しずつ俺は取り得たかもしれない未来を取りこぼしていき、どんどん人生の残り時間が減っていき、未来の可能性の幅が一日ごとに、細く狭く、確実に収束していくのを感じていた。
ある日、俺はメンバーシップに入ってまで見ていたソウマの配信を見るのが辛くなった。その話しぶりも内容もいつもと変わらないのに。じゃあ俺のほうが変わったのか? いや、何も変わっていないからこそ、こんなに苦しんでいるんだ。
逃げるように配信を途中で閉じて、他の動画を見ようと思った。しかし改悪を重ねているYouTubeのアルゴリズムは検索結果を全く無視した脈絡のない動画ばかりをおすすめしてくる。ウザすぎる。
特に、何度結果をリロードしても出てくる、再生数3回の動画が邪魔だった。サムネは真っ黒で、長さは4分51秒。タイトルは「夕焼け」。風景を撮った動画にしては、サムネがないというのはどういうことだ。
疑問を抱いた瞬間、関心は反転した。タップして中身を開いてみる。画像は真っ暗なまま変わらない。だが音は流れた。ホワイトノイズの向こうにかすかに、エレキギターの弦がこすれるような甲高い音が聞こえる。なんだろうと思った瞬間、衝撃波が体を貫いた。聞いたことのない、しかし一瞬で耳を奪われるギターのリフと共に聞こえてきたのは、ソウマの声、そのものだった。
弾き語りだった。ドラムもベースもなく、ただエレキギターの歪んだ音と、叫ぶようなソウマの歌声だけが部屋の中に響く。そのメロディーも歌詞も、一欠片すらこれまでの人生で触れたことのないもの。もちろん音楽のマニアではないから、それが全く既存の曲のカバーなのかどうかはその時点では分からなかった。けれど、もしこんな曲が既に世の中に出回っているのであれば、もっと有名であって然るべきじゃないか、そう思わせる何かがあった。
サビに入り、ギターの音色はそれまでの暴れていた無秩序さから、首を縦に揺らせる秩序を持ったものに変化し、しかしそれに取って替わるようにソウマの歌声は、引きちぎれるんじゃないかというほどの切実な絶唱になった。その、夏の夜の海とか、そのときに吹く少しだけ冷たい風とかを思い起こさせる歌詞と歌声に、俺はいつのまにか泣いていた。涙がポロポロとかじゃない。けれど、鼻の奥がツンとして、目がうるんで、脳のシワからシワまでが切なさでいっぱいになった。
最後まで聞き終わり、俺は一刻も早くこの感動を他の人に伝えたい思いに駆られた。一体どう伝えればこの思いを完璧に人に伝えられる? 長いブログ記事を書けばいいか? ツイッターでバズりそうな文面を練ればいいか? とにかく色んな人にこの動画のURLを送りまくればいいのか? どれにしても、この曲を人々に伝え広めることは、俺の歴史的な使命じゃないのか?
けれどそこまで考えて、先程の疑問に立ち返った。こんな素晴らしい曲が、なぜ有名になっていない? 俺は動画の投稿日を見て、そしてあ、と声を漏らした。そして ソウマがVtuberとしてデビューした日付を検索して確かめる。
「なんてこった」
黄昏ソウマは、今どきとなっては珍しい、前世のないVtuberだった。仏教徒ではないとかそういう意味ではもちろんなくて、多くのVtuberが今や過去にインターネット上で何らかの活動実績を持った上で、いわゆる転生という形でデビューするようになったのに対し、彼はそういった過去の経歴が、少なくとも現時点では見つかっていなかった。
彼はネット上に、掘り返されるような過去を持っていない、まったくの素人だった。それがオーディションなどを経て、その純粋な面白さのみを評価されてVtuberになった。コンプライアンスや収益性が重視されるようになった現在の彼の箱ではもう起こり得ないそういった成り立ちも、彼を一部神聖化する向きの要因なのではないか、そんな論評もあった(黄昏ソウマに関する、各々が歪んだ愛を彼にぶつけ表現することを目的とした衒学趣味に富んだ論評が、インターネット上に数多と転がっている)。
しかしこの歌は。そうした前提を全て覆すものだった。彼には、前世がある。そしてそこで、とんでもなく素晴らしい歌を歌っていた。
そのチャンネルを開いてみたが、投稿されているのは「夕焼け」ただ一本だけ。再生数が4となった動画のサムネイル。
明らかに、それは秘匿されていた。ソウマがギターを弾けるなんていうことは聞いたこともない。まして、作詞作曲? ――いや、まだこれがカバーかどうかすら分からないじゃないか。しかし、もしそうだとしたら。天才の所業だ。
興奮はさらに高まるが、それに比例するように不安や恐怖も立ち込めてきた。下手すればこの発見は、黄昏ソウマという存在や、それを取り巻く全ての環境をひっくり返してしまうような、そんな発見なのではないか? 俺の何かしら不用意なアクションで、そうした世界を破壊してしまうような、そんな存在ですらあるのではないか?
俺はそれについてSNSで発言することはなかった。ただ、何度も何度も、その歌を繰り返し聞いた。どんな流行りの歌でも3,4日も聴き込めば飽きが来るようなものだったが、その曲は何度聞いても飽きなかった。聞けば聞くほど鳴り響くその曲は研磨されるように鋭さを増し、俺の琴線を切りつけた。その度に動画の再生数は着実に増えていった。それは純粋に俺が再生した回数と一致していて、YouTubeの再生数表示の正確性に感心したりもした。
ある日の帰り道、スマホでいつものように「夕焼け」を聞こうとして、間違えてチャンネル登録ボタンを押してしまった。あ、と思ったのもつかの間、一々検索して探し当てていた苦労を思い返して、登録したままであればその苦労も省略できると思い、そのままにした。それが過ちだった。
その後家に帰って飯を食って、寝る前にふとその曲を聞きたくなって、愕然とした。動画が、チャンネルが、まるごと削除されていた。
「え、え?」
情けない声を漏らしながら再検索した。しかし見つからない。嘘だろ、何故。発狂しそうになりながら調べつづけたが見つからない。
俺はPCでブラウザを立ち上げ、「夕焼け」という言葉で検索を掛けたりした。そして履歴を検索して、なんとかその動画のURLを拾い出すことに成功した。わらをもすがるような思いで、そのURLを動画ダウンロードサイトに打ち込んだ。規約違反なのはわかっていたが、しかしそれを気にする余裕はなかった。
「あっ」
ダウンロードのリンクが表示されて、歓声を上げた。俺はそれを何度もクリックした。ダウンロードフォルダに、同じ名前のMP4ファイルが何個も保存される、重複は全く気にならなかった。むしろ、それだけ確実に、冗長性をもって、世界から消えようとしてたその歌をつなぎとめる事ができたことに安心していた。
数分後、ダウンロードサイトのリンクも死に、ついにインターネット上で「景色」にアクセスする手段は永久に失われた。ただ、俺のローカル上に保存されたデータのみが、この世界で唯一の「景色」となった。
きっとチャンネル登録をしたことが、彼に通知を飛ばしたのだ。彼はこのチャンネルの存在を忘れていたのを、俺の通知が思い出させ、そして彼の秘匿するべき歴史を抹消させるきっかけを作ったのだ。
しかしそれでも、俺は疑問を抑えることはできなかった。
つまりこの、無限の可能性そのものにも思えるような曲を、一体なぜ彼は隠し、消したのか? 一体何故、可能性を収束させることを選んだのか? そんな選択を彼に取らせる理由は何なのか?
俺はソウマの配信をぼんやりと眺めた。明るい声でアホなことを言う彼は、しかし、この偉大な音楽をこの世から葬り去る決意をした。それを作った、いわば彼の前世を、彼自身が殺したのだ。
その経緯を明快に説明する理屈は、今の俺には思いつかなかった。
◆
人混みの流れに乗ってゆっくりと会場の外に出ながら、この場にどれだけ多くの人が集まっていたのかということを改めて実感する。前にも後ろにも途切れることのない、この一人ひとりがソウマリスナーであるというのが信じられなかった。
客層の雰囲気は、もちろんかなりオタク寄りというか、アニメイトとかの客層を想起させる風もあったものの、それ以上に普通のサラリーマン風の人や、大学生くらいに見える若い女性なども多くて驚いた。
こんなにもバラバラの、さまざまな属性の人達が、普段からあのソウマの配信を見てニヤニヤ笑って、そのエモい言動に心を震わせ、そして先程一緒に声を枯らして叫んだ。それを一つに貫くソウマという男の力に感動を覚えた。
だがその一方。「凄いものを見れた」という感動の熱気に包まれる周囲の中で、俺はひたすら疎外感を感じていた。
さっきは、「全てが、あの曲を指し示している気がする」なんて思っていたけれども、本当はあの曲が来ない予感もしていた。だって、「全員一緒に歌ってくれ」と言っていたんだから、そこで未発表曲をやるはずもないのだ。
そもそも、前世と今の自分を結びつける行為というのは完全にご法度で、皆それが存在することをわかっているうえで、それに言及しないというお約束の元でVtuberというのは成り立っている。
俺の浅はかな期待は、そういった前提を根本から覆さなければ叶えられることはなく、そしてその前提は覆されることはあり得ない。従って、あの曲が公の場でソウマによって歌われることは、未来永劫ないのだ。
あらためてそういった結論に達すると、背筋が冷たくなった。俺は周囲の、互いの興奮を交換し合う雑談の声を抹殺するためにワイヤレスイヤホンを付け、ノイズキャンセリングをオンにした。それでも人の声は消え切らない。音楽を流す他ない。半ば縋り付くように、俺はローカルに保存されたあの曲を、Androidの簡素で貧弱な音楽プレイヤーアプリで再生した。
とたんに、初めて聞いた瞬間の衝撃まで含めた全てが、脳の中で再生された。なんでこんな素晴らしいものを、俺は小さなイヤホンのLとRの2つだけに流して満足しているんだ? 今すぐスピーカーにして――いや、武道館の音響設備を全てジャックしてでもこの音楽を再生し、世界に対して解き放つべきなんじゃないか?
一声聞けば、この場にいる全員が、それがソウマの歌声であることに気づくだろう。しかしそれは同時に、俺たちとあいつとで作ってきた歴史を全て破壊することにも繋がる。
思考が固まったまま、俺はゾンビのように歩く。画面に映し出されたソウマの前世の曲名を眺めながら。
ごつん。
急に、背中に固く重たい衝撃が走る。なんだと思うと同時に、にゅっと後ろの方から小脇にスマホを持った手が出てきた。「うわ」なんて悲鳴をこぼしたが、そこに映し出されていたメッセージにすぐに気を持っていかれた。
『あなたが今聞いているその曲について、詳しく教えてください』
ゆっくりと歩いていたせいか、気がつけば人混みは少し疎らになっていた。夜の北の丸公園の門の前で、俺は振り向いた。
そこには若い一人の女性が立っていた。首元まで伸びた丸みを帯びたボブカット、理知的な形状のメガネ、ほっそりとした背格好。しかし何よりも、その目だった。鋭い目つきは、それが笑顔だったらどんなによかっただろうか思わせる整ったその顔を、まるで敵対する国の兵士を睨むような表情に染め上げている。そして彼女は口を開いた。
「――言っておきますけれど、逃げるのはなしですからね」
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