リスになってしまった婚約者が、毛嫌いしていたはずの私に助けを求めてきました。

深見アキ/ビーズログ文庫

序章 アメリアの日常


「きみみたいな女がこんやくしゃだなんて最悪だ」


 冷ややかにてられたセリフに、十七歳のアメリア・パーシバルは顔色一つ変えずに謝った。


「……。申し訳ありません」

「申し訳ないなんてちっとも思っていないだろう!」


 そくに言い返したセドリックがハッとしたように口をつぐむ。

 ここはディルフィニア国、王宮。

 きらびやかにシャンデリアがかがやき、高貴な招待客でにぎわう夜会会場だ。

 きんぱつへきがん、容姿たんれい、代々王宮医を務めるセスティナこうしゃくちゃくなんとして顔が広いセドリックの姿は会場内でも目立っている。とまだまだ年は若いが、いずれは父である公爵のように王家のとして国を支えていくだろうと期待されているのだ。

 そんな将来有望な青年が婚約者に対してらしていては外聞が悪い。

 セドリックは声のトーンを落としながらもアメリアをなじった。


「だいたい、王家しゅさいの夜会だというのにそのったいかっこうはなんのつもりだ。俺にはじをかかせたいのか?」

「え、いえ。別にそういうつもりでは」

「じゃあどういうつもりなんだっ。なぜ俺が事前におくってやったドレスで来ない? そんな老婦人のようなふるくさいドレスで来るなんて……、当てつけのつもりか!?」

「当てつけ?」

「俺が選んでやったドレスは気に食わなかったとでも言いたいんだろう!? だが、きみの好みに反していようとも、こっちはきみが少しでも会場でかないようにと選んでやった

んだ」


 愛らしいペールピンクに、大人びたライラック、あざやかなレモンイエロー。会場内にいるれいじょうたちはみなはなやかで色とりどりの花のようだった。

 アメリアのねずみ色のドレスは明らかに悪目立ちしている。ダークブラウンのかみいろとびいろひとみも相まって、より一層いんで暗いふんに見えることだろう。

 セドリックは早口でまくてた。


「きみは俺のことがきらいかもしれないが、こっちだって――こっちだって、お前のような女とまんして婚約してやっているんだ。せめておおやけの場ぐらい、それなりにえっ」

「…………」


 人目があるためか、一応は敬意を持って「きみ」と呼ばれていたセドリックからのしょうが「お前」に変わり、アメリアは反論する気力をすっかりくしてしまった。

 確かにセドリックからは夜会用のドレスが贈られてきた。

 だが、ちょっとしたトラブルがあって着られなくなってしまった。

 クローゼットにはこのねずみ色のドレスしかなかった。

 ……そういっしょうけんめい説明したところで、はたして彼はなっとくしてくれるだろうか?

 ここまでてっていてきに嫌われているのだ。何を言ったところで言い訳にしか聞こえないだろうし、おこっているセドリックに話を聞き入れてもらうのは容易ではない。

 結局、アメリアは誤解を解こうとする努力よりも、この場を収めることを選んでしまい、もう一度「申し訳ありません」と口先だけで謝ってしまう。

 セドリックからの返事はなかった。

 二人の間には冷え冷えとした空気が流れる。

 そこへ、タイミングを見計らったかのように明るい声がけられた。


「ああ、いたわ! お姉さま、セドリック様~!」


 プラチナピンクの髪にぱっちりとした瞳の令嬢と、同じくプラチナピンクの髪を耳にかけた利発そうな美少年がようようとやってきた。

 二人はアメリアの異母妹弟だ。そのため、容姿はアメリアとはまったく似ていない。

 近寄ってきた二人に対し、セドリックは打って変わって親しげな態度を見せた。


「リンジー、キース。来ていたんだな」

「ええ、もちろんです。姉一人では心配ですし、……もしかして、僕たちがいない間に姉がまた何か失礼な態度をとってしまいましたか?」

「……いや。ドレスのことで少しな」

「アメリアお姉さまったらせっかくセドリック様がドレスを贈ってくださったのに、こんなしゅの悪いドレスで来るなんて失礼ですわよねぇ」

「パーシバル家の者として、姉に代わっておびします、セドリック様」


 キースがかしこまった態度で謝罪した。

 あどけなく、可愛かわいらしい容姿のキースがしんのように振る舞っても、一生懸命びして大人の世界に入ろうとしているようにしか見えないだろう。

 それが逆にセドリックには微笑ほほえましく感じられるようだ。一人っ子の彼は、年のはなれた弟に接するように親しみをめて皮肉った。


「ふっ。十三歳とは思えない大人びた態度だな?」

「すみません。失礼でしたか?」

「いいや。パーシバルはくしゃくも嫡男がこんなにもしっかりとしていてたのもしいだろう」


 セドリックはキースがお気に入りだ。

 二人の会話をぼんやりと聞いていると、アメリアのこしのあたりに何かが押し付けられた。

 振り返ったはずみでぼとりとゆかに落ちたのは――軽食として出されていたカナッペだ。

 リンジーがアメリアを指差す。


「やだ、お姉さまったらドレスがよごれているわよ」


 腰の部分にクリームチーズがべったりと付着してしまっている。


「いったい、どこでくっつけられたのかしら?」


「気が付かずにぼうっとしているなんて……。姉さんは本当に注意力さんまんですね」


 心配するそぶりを見せながらも二人の口元は笑っている。どう考えてもリンジーにしかできない犯行だが、二人はアメリアが反論してこないとわかった上でやっているのだ。

 そんなリンジーはレースでたっぷりとふちられたハンカチを取り出した。


「お姉さま。わたしがいてあげるわ」


 リンジーがかがむ。その様子は周囲の男性の視線をくぎけにさせた。

「――あれは、パーシバル伯爵家のリンジーじょう? れんなだけではなくこころやさしい、天使のようなご令嬢だな」

「それに比べて姉の方は……」

「人前で妹にドレスを拭かせるなんてごうまんな……。美しいリンジー嬢へのねたみでもあるのではないか?」


 そんなささやごえが聞こえてくる。リンジーとかくされるのはいつものことだが、外聞を気にしたアメリアはリンジーの手からのがれた。


「あなたがそんなことをする必要はないわ。自分で拭けます」


 しかし、これは良くない対応だったらしい。


「ご、ごめんなさいっ、お姉さま……!」


 びくっ、と大げさに身をすくめたリンジーに同情する声はますます大きくなってしまう。


「なんて冷たい姉だ……」

可哀想かわいそうに。リンジー嬢はおびえているじゃないか」


 丸聞こえのひそひそ話にためいきをついたセドリックは、かがんでいたリンジーに優しく手を貸した。そしてアメリアの方を向くと、自分のハンカチを差し出す。

 公爵家の嫡男らしいスマートな対応だった。かげぐちむ。

 好んで悪しざまに言われたいわけではないので、アメリアも心持ちほっとして「ありがとうございます」と礼を言おうとした。だが、


「アメリア、今日はもういいから帰れ」


 やっかいばらいでもするように言われてしまった。


 これもよくあることだ。アメリアは最後までパーティーに参加できたためしなどない。

 しかし、今日は参加した目的があったために反論する。


「わかりました。ですが、セスティナ公爵にごあいさつだけでもさせていただけませんか?」


 セスティナ公爵というのはセドリックの父だ。

 婚約者セドリックとの関係は良好とは言えないが、父親である公爵は何かとアメリアを気にかけてくれている。先日も研究書を贈ってくれたばかり。いそがしい公爵と会える機会は少ないため、せめて一言くらい声を掛けてから帰りたかったのだが……。


「父には体調不良で帰ったと伝えておく。そんなみっともない格好で会場をうろうろするな。ずかしい」

「…………」

「えーと……。あっ、そうだ、セドリック様! 姉の代わりと言ってはなんですが、僕がお父上にご挨拶させていただいても構いませんか?」


 二人の間に、空気を読んだ顔をしたキースが割り込んだ。

 リンジーまで甘えた声で加わる。


「あら。キースったらずるいわ。セドリック様、わたしも連れていってくださいませ」


 ぴりりとした空気が二人によってなごみ、セドリックはわたりにふねとばかりにうなずいた。


「ああ、そうだな。アメリアの代わりに二人に来てもらおう」

「はい。お姉さまは先に帰って、すぐにドレスを洗った方がいいわ。みになってしまうもの」


 リンジーは親切めかしてアメリアの帰宅をうながし、

「姉さんの代わりは僕たちがしっかり務めますから」

 キースもちゅう退場する姉を安心させるように微笑んだ。

 アメリアは人波に消えていく三人を見送る。

 渡されたセドリックの上等なハンカチではなく、自分のハンカチで汚れたドレスを拭いた。来たばかりだというのにすごすごと王宮を後にし、馬車に乗り込む。

 こんなふうにじゃものあつかいされるのは慣れている。

 別に、今さら悲しむような気持ちはないけれど……。


「……リンジーがセドリックとけっこんしたらいいのになあ……」


 そうしたらすべてが丸く収まるのに。

 リンジーはあからさまにセドリックに気があるし、セドリックも地味女よりも可愛いリンジーといっしょにいたほうがうれしいだろう。アメリアはセドリックからいやを言われることも、リンジーからしっ交じりのいやがらせを受けることもなくなる。

 だが残念なことにセドリックの父、セスティナ公爵は「アメリアを」とご指名なのだ。

 格下のパーシバル家は従うしかない。

 やれやれと肩を竦めたアメリアは背もたれに身を預けて目をつぶった。

 ……ああ、早く自分の部屋に帰りたい。

 小さな自分の部屋だけがアメリアにとってゆいいつの落ち着ける場所だった。


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