第17話 遠く離れていたら、透明な涙は見えない
広場に、色とりどりの花と音楽が溢れていた。
城門の両脇には二つの塔が立っており、それぞれ初代国王夫妻の名を冠している。その塔を繋ぐ屋根つきの通路は、一部が広場に向かって突き出しており、腰の高さの壁の上が大きく開かれた観覧室になっていた。
そこへ、順に王族が姿を現した。
創世祭の、王族出座である。
地上の神を目にする機会はこのような時くらいで、広場に集まった民衆は喜びに湧きたっている。
まずはラデ王家の人々が現れ、観覧室にしばらく滞在した。話をしながら国民に手を振っているのが見える。
彼らが退場すると、次にゾス王家の人々。先王妃ガネットの父もいる。同じように手を振ると、歓声はどんどん大きくなり、広場の空気は熱くなった。
そしていよいよ彼らと入れ替わりに、ウレディ王家のガネット、ラフェドとリオリエルが観覧室に入った。
ルドゥクは一番最後に一人で登場する予定のため、塔の部屋で待機している。
ラフェドとガネットは大きな椅子に座り、広場を見下ろした。リオリエルは少し後ろに立つ。
人々は皆、笑顔でこちらを見上げ、祈ったり花を撒いたりしている。
「こういう時くらいだわ。私たちがいることに、意味があると思えるのは」
美しく装ったガネットは、ゆるやかに手を振りながら、そんなことを口にする。
広場は賑やかで、彼女の言葉が届くのは近くにいるラフェドとリオリエルくらいだ。
「そうですね。俺は元々、町で暮らしていたので、彼らがどんなに王族を大事に思っているかよく知っています。……ガネット殿、少しお話が」
隣に座った礼装姿のラフェドが、呼びかける。ガネットはちらりと彼を見上げた。
「何かしら。……というか、きっとお話がおありだろうと思っていたわ」
「なぜです?」
「せっかく傭兵たちを雇ったのに、失敗したからよ」
彼女は微笑んだ。ラフェドは確認する。
「やはり、エルセネスト信徒会本部を襲ったのは、ガネット殿が雇った者たちですか」
「ええ」
ガネットはすんなり認め、ラフェドからリオリエルに視線を移した。
「信徒会から来た花嫁さん。あなたも影徒ですね? あなたの狩りの腕をルドゥクが興奮しながら褒めていたけれど、人を殺すのも上手なの?」
ほのかに挑発を含ませた言葉に、リオリエルは事実だけを静かに答える。
「必要であれば、上手くやれると思います」
「腕利きなのですね。本部には少人数しかいなかったのに、全く歯が立たなかったと報告を受けたわ」
ここには秘密を知る者しかいないので、彼女は何も隠さない。
「ガネット殿。影徒たちは初代国王の頃から、綿々と王族を守り続けてきた」
ラフェドがわずかに、語気を強めた。
「王制廃止派に対する弱みになっちまうのは確かだが、王族のために生きる、忠実な人々であるのは間違いない。恩もある。皆殺しは短絡的すぎやしないか? ルドゥクが無事に王になれるよう、今のうちに不安要素を排除したかったんだろうが、それだけか?」
「もちろん、それが一番大きいですね。いくら信徒会が解散したとしても、歴史は消えないのだから。……でも、それだけではないの」
ガネットはため息をついた。
「そうですね、皮肉なものだけれど、他に話せる人もいないからあなた方に聞いてほしい。……父が、私に、ラフェド殿を誘惑しろとおっしゃるのよ」
「は?」
「えっ」
思わず声を上げるラフェドとリオリエルの顔を見て、ガネットは思わずと言った様子で笑い出した。
「あら、驚いた? でも、なぜそんなことを父が言い出したのか、よく考えたらわかるでしょう」
すぐにラフェドが反応し、舌打ちをした。
「……ルドゥクに何かあった時の、スペアが欲しいのか」
リオリエルもハッとする。
(ルドゥク様に何かあった時、ラフェド様に王位を継がせたくなければ、代わりを用意しなくちゃいけない。そのために、ガネット様にルドゥク様の『弟』を産めということ……?)
ゾス王家の血筋を王位に就けるため、ガネットの父親は様々な駒を用意しようとしたのだろう。
「ご自分もスペアとして振り回されているのですものね、ラフェド殿は。少し同情します。でも、悪いけれど私、半分しか王族ではない男と再婚して子を産むなんて、死んでも嫌」
ラフェドは怒るでもなく、ただ聞いている。
ガネットはまっすぐに、ラフェドを見た。
「夫が亡くなった時、この男に摂政など任せるくらいならなぜ私にやらせてくれないのか、と思いました。何とかならないかと、ルドゥクのしるしを使って『スラフ』の鍵を開くという禁を侵し、『王の精神』を盗み見ることまでしました。でもわかったのは、王族が影徒という弱みまで抱えているということだけ。その時、思ったの。影徒のような力を、私個人が持ちたい。王族そのものに味方する影徒はいらない、私だけが動かせる力が欲しい!」
声を荒らげ、一気に言ったガネットは、何度か深呼吸をして自分を落ち着かせた。そしてうつむくと、ぽつりとつぶやく。
「そうすれば、ルドゥクを守りながら、私を縛るものにも抗えると思ったのです。……愚かでした」
「金の力で雇っても、忠誠は期待できないだろ。実際、傭兵たちは形勢不利と見るや、さっさと手を引いた」
言葉を飾ってもしょうがないと思ったのか、ずけずけと言うラフェドに、ガネットはうなずいた。
「ええ。影徒という、長い歴史と深い信仰を背負った存在は、本当に大きかった。完敗です」
そして彼女は、広場を見渡す。
「失敗したのだから、罪を償わなくてはなりません。父に利用されるのも嫌だから、自害してやろうと思いました。でもそれでは、ルドゥクが辛い思いをするだけ」
「そ、そうです! 自害など、お考えにならないで下さい!」
リオリエルは思わず声を上げた。
ガネットは一瞬、目を見開き、そして微笑む。
「まあ、まだそんなことを言ってくれるの? あなた方を皆殺しにしようとしたのに?」
はっきりと、リオリエルは言い切る。
「私たちの使命は変わりません。全身全霊で、皆様を愛し、お守りします」
「…………」
ガネットは泣き笑いのような表情になった。
「あなたたちにとってはそれが、神の国を守ることなのでしょうね。ルドゥクを、どうかよろしくお願いします」
「ガネット様っ」
「ああ、自害はしません。……でもね」
彼女は、すっと立ち上がった。
「私、傭兵にお金を渡して、もう一つ簡単な仕事を頼んだの」
「仕事……?」
「ええ、そう。
彼女は一歩、二歩と前に出て観覧室の手すりぎりぎりのところに立った。
「さようなら」
ビシュッ、と空気を切り裂く音がした。
リオリエルの方が、一瞬早かった。
ガッ、と足置き台を蹴り上げ、両手でパシッと受け止めながらガネットを突き飛ばす。構えた足置き台に、長い矢が突き立った。
民衆から、悲鳴やどよめきが上がる。
「リオ、どっちからだ!?」
「創世祭用に新しく立てたポールのあたりです! 逃げる姿が見えました」
「わかった!」
ラフェドがすぐに、護衛に指示を出す。そして、呆然と座り込んでいるガネットのそばに片膝をついた。
「義姉上。立って」
「…………」
ラフェドとリオリエルに支えられ、ガネットはふらりと立ち上がった。リオリエルが誘導し、ここなら危険がないと思われる位置に彼女を立たせる。
ガネットの無事な姿を見た人々が、喜びに歓声を上げた。
彼女の目から、雫がこぼれる。
「……民に愛されているわね、私たちは。それを受け止められるだけの器が、私にあればよかったのに」
彼女は微笑み、手を振った。
人々からは遠くて見えない、透明な涙を流しながら。
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