第13話 狩りは生活のため(そして訓練のため)です

 それから二日後。

 リオリエルはラフェドとルドゥクとともに、狩りに出かけた。

 護衛の騎士たち、そして狩猟管理人たちも一緒だ。動物がどのあたりにどれくらい生息しているかを把握し、どの程度なら生態系を壊さずに狩れるかを決めるのは彼らである。


 秋の爽やかな空気の中、馬で城壁の門を抜けると、一気に視界が開ける。

 目の前には青い空を映した湖が広がり、その向こうにはまるで伝説の竜のような山脈が、広々とした荒野をしとねにうねっていた。

 ルドゥクは、ラフェドの腕の間に挟まるように乗って、前髪を風にそよがせながら目を輝かせる。

「机での勉強も大事だが、こうして外を見るのも必要だ。なぁルドゥク」

「はいっ」

 二人とも、日々の息抜きを楽しんでいるようだ。


 湖をぐるりと回り込むと、川沿いに出た。遠い山脈を目指し、馬は緩やかに荒野を上っていく。

(ここまでは見晴らしがいいから、暗殺の危険は少ないですね)

 リオリエルは護衛の邪魔にならないよう、さりげなく馬の位置を変えながら、あたりに注意を払っていた。


 低木がだんだん松に変わり、林になった。このあたりが、王家の狩り場だ。

 一行は馬から下りる。

「よーし、ルドゥク。こっからは音を立てないようにしろよ」

 ラフェドが静かに声をかけ、ルドゥクは小声で「はいっ」と返事をする。

 リオリエルは楽しい気分で、その後ろをついて行った。

 ふと振り向いたルドゥクが、リオリエルを見て「わっ」と驚く。

「あっ陛下、どうかなさいましたか?」

「す、すみませんおばうえ! あの、ぜんぜん、けはい? がしなかったので、いらっしゃらないのかと」

 気配の消し方が玄人すぎるリオリエルである。


 木々が密になってきたあたりで、獲物を待ちかまえることになった。

 ラフェドとルドゥクは一つの茂みの中に潜み、弓を手に生き物の気配を探る。一方リオリエルは、少し離れた茂みで、彼らを獲物にしようとしている生き物──人間も含む──がいないかどうか、気配を探る。

(狩りを通して、人は辛抱強さも学ぶことができます。ラフェド様も、ルドゥク様にそれを教えたいでしょうね。でも)

 ちらりと見ると、ルドゥクは元々辛抱強い質のようで、あわてず騒がず待機していた。

(さすがは尊いお方!)

 しかし、年端もいかない子どもをずっとそうさせているわけにもいかない。

 ある程度時間が経ったところで、ルドゥクには気づかれないようにラフェドが指示を出し、狩猟管理人が姿を消す。

 少し時間があって、ぴょん、とテンチェが人々の視界に躍り出てきた。狩猟管理人が、事前に把握していた巣穴から追い出したのだ。

「あっ! いた!」

 ルドゥクが急いで小さな弓を構え、引き、矢を放った。

 微妙にタイミングが遅れ、矢はわずかに外れてテンチェを追い越し、木に突き刺さった。

 しかし幸運なことに、矢に驚いたテンチェが走る方向を変えたことで、一瞬動きが鈍る。

 すかさず、空気を裂く鋭い音がして、もう一本の矢が飛んだ。ラフェドだ。

 矢はテンチェの身体を見事に貫き、獲物はドッと地に落ちた。

「やったぁ! おじうえ、ありがとうございます!」

「二人で協力してしとめられたな」

 ラフェドが拳を出すと、ルドゥクは照れながら、自分の拳をちょこんと合わせた。

 そして走っていくと、慎重にテンチェの耳を握って持ち上げる。「おもい」などとつぶやきながら戻ってくると、ラフェドとリオリエルに差し出した。

「ごけっこんの、おいわいです。どうぞ」

 リオリエルは嬉しくなって小さく拍手した。

「ありがとうございます! あ、じゃあ、陛下にお返しをしなくちゃ」

 木々の高いところをぐるりと眺め、ラフェドたちから少し、離れる。

 彼女は右手に三本の矢を持っていたが、三本とも持ったまま、無造作に弓につがえた。

 空に向け、三本が連続で放たれる。

 一秒もかからなかった。

 ダキという鳥が、どさっ、と重みのある音を立てて落ちてきた。地面でわずかにもがき、動かなくなる。

 リオリエルもルドゥクと同じように走っていき、ダキの首を持って戻ってきた。目を丸くして固まっているルドゥクに笑いかける。

「陛下は、この鳥の肉がお好きだと伺いました。これも料理してもらいましょうね! あのー、どなたか大振りのナイフをお持ちでしたら貸し」

 言いかけたリオリエルを、ラフェドが即座に止める。

「血抜きを自分でやるんじゃない」

「あ、はい」

 すぐに狩猟管理人が、その役目を引き継いだ。


 気を取り直したルドゥクが、頬を紅潮させる。

「す、すごい、いっぱつだ!」

「三発ですよ。三発で一羽しかしとめられませんでした」

「でもぼく、バババッて三発うてるひと、はじめて見ました! おばうえは、どうして弓がおじょうずなんですか?」

「私が暮らしていた信徒会は、山の中で自給自足の生活を送っています。日々の糧に、山の命も頂いていました。狩りを生活の一部にしていたので、上達はしやすかったかもしれませんね」

 嘘ではないが、もちろん影徒としての訓練の方がウェイトは断然大きい。

「なるほど、そうですかぁ」

 ルドゥクは納得したようだ。

 ひょい、と、ラフェドがリオリエルの肩を抱いた。

「俺の妻はすごいだろ?」

(えっ!? わ、私を自慢なさっ……!?)

 常に陰で王族を支える影徒が、人前で誇らしげにされるなど、想定外のことだ。どぎまぎしているうちに、ルドゥクが追い打ちをかけて来る。

「はいっ、おばうえは本当にすごいです!」

「いや、あの、お褒め頂き光栄で……でもそういうアレでは……あっ、矢を、矢を取ってこなくちゃ」

 珍しく挙動不審になりながら矢を回収したところで、ラフェドが声をかけてきた。

「さて、場所を変えてみるか」


 その後は、リオリエルもおとなしくしていたし、ルドゥクも集中がとぎれてしまったようで、新たな獲物は得られなかった。


 再び馬に乗り、帰路につく。ルドゥクは疲れたのか、ラフェドの身体に寄りかかってウトウトし出した。

 リオリエルは馬を寄せ、話しかける。

「ラフェド様の弓の腕、素晴らしいです」

「護身のために、だいぶ練習した。護衛ばかりを危ない目に遭わせるわけにいかないからな」

 ちらり、と彼はリオリエルの肩あたりを見た。

(私が怪我したことを、今も気になさって……影徒はただの盾、王家の所有物の一つなのに)

 全身全霊で神に愛を捧げてきた、信徒の彼女を、ラフェドはまるで本当の妻のように大事に扱う。もちろん、正式に結婚したので本当の妻ではあるのだが。


 リオリエルはふと、心のどこかで果実が弾けたかのような、甘く、爽やかで、瑞々しい感覚を味わった。

(幸せ、だと、感じてしまう。いいのかしら、こんな)


 戸惑っているうちに、彼は続けた。

「まあそれに、我流の喧嘩ばかりしてたから、ちゃんと戦い方を教わってみるかと思ったんだ。弓だけじゃなく、体術もな」

 町で暮らしていた頃、ラフェドは実は喧嘩では負け知らずだったらしい。

「王族に迎えられてすぐの頃も、舐めた態度の奴にはわからせねぇと気が済まなかった。まあ、さすがにもうやらねぇよ。そのぶん、弓や体術で暴れて憂さ晴らしするさ。……リオは、何で憂さ晴らしするんだ?」

「憂さ、ですか」

 戒律を守って生きてきたリオリエルは、基本的に心を平静に保つ訓練ができている。そうでなくては役目も果たせない。

(でも……)

 なぜか今、素直な気持ちが、口をついて出てしまった。

「……一人でいると、ちょっと寂しいので、誰かといた方が落ち着きます、ね」


 すると、ラフェドはもう少し馬を寄せ、騎士たちに聞こえないようにささやいた。

「それは、俺でもいいのか? 結婚してから、かなり一緒にいると思うが」

「えっ」

 リオリエルは、ラフェドをじっと見つめながら、自分の心に問いかけた。

(ラフェド様と、一緒なら……ど、どうなんでしょう。使命のためだし……でも)

「……寂しくない、です。今日も、とても楽しくて」

「なるほど? 俺がいれば寂しくないんだな?」

 試すようなことを言われ、リオリエルは焦った。

(私個人の気持ちなんてどうでもいいでしょうリオリエル! しっかりして!)

「あのっ、神はいつも心におわしますので、ラフェド様といる時も同じ気持ちになれるってことだと思います!」

 とっさにそう答えると、「ふーん」と残念そうに離れていく、ラフェドだった。

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