第1幕 ちゅうぶらりんしゃん(6)
たすき掛けをした店主は、眼の前に現れた数少ない客に対して、幼いながらもしっかりとした声音で声をかけた。
「あ、お客様。どうかしましたか?何かご不便おかけしてたら、なんでも言ってくださいね!」
まだ幼さが色濃く残る微笑みに、若者は胸に引き絞られるような痛みが走り、一瞬、ほんの一瞬、眉を顰めた。
けれど、眼の前で懸命に店主を務める青年に悟られぬよう、すぐに柔らかい微笑みつくり顔に張りつけた。
「ありがとう。けれど、今のところ不便なんて全く無いよ」
「それはよかったです!もう少しで、お夕飯の用意も整いますから!」
「……ありがとう」
懸命であればあるほど、見ていて苦しくなるものだ。眼の前の店主をみつめた若者は心の中だけでそう呟いた。
――えぇ、淘汰されちまうでしょう
――今の世の中では善人だろうが、優しかろうが、幼かろうが
――弱けりゃ、その芽は摘まれちまいますよ
つい先程かわしたヨミとの会話が、若者の頭の中を占領していて。その一言一句が、みぞおち辺りまで鉛のように重く伸し掛かる。
こんなにも懸命な青年が、自身よりもいくばくか若い青年が、今日この日まで続いてきた旅籠を守ろうとしているというのに。
若者は薄く目を瞑り、奥歯を噛み締めた。
青年の手には、いくつもの小さな傷が、つくられている。
青年の着ている着物は、どこもかしこも解れたところを直した跡が見える。
青年の微笑みは、どこか疲れているようにも、寂しげにも見えるのだ。
――やはり、どうにもこうにも解せない……
こんなにも頑張っている善人の青年が、立場ばかり強く底意地の悪い悪人によって淘汰されてしまうなど、そんな世の中など、到底受け入れられるものではい。
ヨミの言い分はおそらく正しい。見苦しくも駄々をこねているのは若者なのだ。
けれど、この世の中に必要なものは正しさだけじゃない。感情のある人間に必要なのは正論ばかりではない。
そう考えれば、どうしても解せないという若者の言い分はひどく真っ当なものと言える。
それ以前に若者が若者である以上、ヨミの言い分やこの辺りの在り方に納得がいくわけないのだ。
もし、このままヨミの言い分に言いくるめられ、若者が考えることを止め、この辺りの在り方を受け入れれば、それはもうもはや、ヨミたちの知る若者ではないのだ。
だからこそ、それがわかっているからこそヨミは、首を突っ込むなと、苦言を呈したわけだが……どうやら若者にはそれは無理そうだ。
若者が若者であるがゆえに、見過ごすことも見ないふりも、この場においてはできそうもない。
一つの旅籠が理不尽に潰されそうになっている。
一人の青年が父親に潰されそうになっている。
子供が大人に潰されそうになっている。
それを、どんな理由で見ぬふり、知らぬふりができようか。
若者は頭の中を駆け巡る問いと答えを、苛む悩みの種と解決の糸口を、掻き集めて、結んで。
――ごめんな、ヨミ……子供じみているかもしれんが、やはり俺には割り切れないんだ。我儘な俺を許してくれ。
そして導きだした道筋に覚悟と決意を乗せて。
若者は、静かな声音で店主に問いかけた。
「この旅籠のこと、この辺りのこと……少し教えてもらえるか?」
若者の声は、そう大きい声でもなかったというのに旅籠中に響きわたったようだった。
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