第1幕 ちゅうぶらりんしゃん(4)

 店主に案内された部屋の前でお銀が素っ頓狂な声を上げた。


「2部屋もとったの!?もちろん、わっちと旦那が一緒よね!?」

「いや、俺たち男陣が1部屋、お銀さんに1部屋で部屋を分けるつもりでいるんだけど」


 お銀に、ぐいと腕を引かれた若者は困り顔で答える。その見慣れた光景を、ヨミと利之助は半ば呆れ顔でみつめていた。


「嫌よ!!わっちも旦那と一緒がいい!!いつもいつも、ヨミや利之助ばかり一緒なんてズルイじゃないか!わっちを除け者にするなんて!」

「いや、除け者になんてしていないんだよ?……でもお銀さんは女性だろう?男と同じ部屋なんて、恐ろしいだろうし……」

「いや!!女だからこそ一人でいるなんて寂しいし恐ろしくて堪らないわ!もし、不埒者が来たら」


 およよ、と大仰に泣くふりをするお銀に、若者もタジタジだ。

 不埒者が恐ろしいと宣うお銀のその言葉にヨミは冷ややかな眼差しを送る。

 本来ならお銀の言う通り、女の部屋に不埒者が入ってきたら身の危険もあるだろうし、恐ろしいと思うのは当然だ。

 刃物や危険物など何を持っているかもわからない相手など男だって身の危険を感じるし恐ろしい。

 お銀が言っていることは逐一、もっともなことなのだが、一方でヨミの冷ややかな視線にも納得できてしまう。

 なぜならお銀は、人ならざる者で、人間とは比べようがないほど強いのだ。それこそ桁違いに強く、そして自身に危害を加えてくる相手には一切の容赦がない。

 おそらくお銀のもとへ何か不埒な事をした場合、恐ろしいと泣いて逃げるのは相手の方だろう。

 そのことを知らないのは、そのことに気づいていないのは、この場においては今まさにお銀の言葉にたじろいでいる若者ただ一人である。

 お銀の巧みな話術と的を得た言葉の数々に真面目な若者はそう時間はかからず、丸め込まれそうだ。

 それがわかっているから、お銀も若者の良心に訴える声を止めることはない。

 お銀の言葉にぐらつく若者を彼女は密やかにみつめた。獲物を狙う獣の瞳は影に潜ませ、肉などたやすく切り刻める鋭利な爪は背に隠し、唇を湿らせる舌なめずりは物音一つたたせずに。


―――あと少し、もう少しで旦那はわっちのもの


 この油断が命取り。


「じゃぁ、あたしと先生。利之助と女狐でいいね」


 ひょいと、突然、横からヨミが若者の腕にしなだれかかっているお銀から若者をひったくる。

 支えをなくしたお銀は体勢を崩し、前につんのめるが、ヨミは一切意に介さず、若者の体をぱたぱたと叩く。埃や汚れでも落とすかのように。

 お銀は、ギリリと唇に歯が食い込むほどに噛み締め、ひどく忌々しげに細められた瞳がヨミを強く睨みつける。

 あぁ、また始まったと若者と利之助は、いがみ合う二体をみつめ、頭を抱えて宙を仰いだ。



 若者たち以外に客はいないことは店主から聞いてはいるが、廊下のど真ん中で大騒ぎするのはあまりにも礼儀知らずというものだ。

 若者と利之助が、やいやいといがみ合う二体の間に体を捻るようにして割り込み、若者はヨミの、利之助はお銀の肩を押して、なんとか二体を引き剥がす。

 未だ鼻息荒く、怒り収まらないお銀を利之助が穏やかに宥める。


「ヨミ、お銀さんを誂うのはやめてあげてくれ」

「誂っちゃいませんよ、あんなの相手にするだけ時間の無駄ってもんなんですから」

「こ、こら!そういう言い方がお銀さんを」

「あたしは何にも、けしかけちゃいないんですよ?あの女狐がいちいち、突っかかってくるんです」

「うーん……」


 反省の色が全く見えないヨミの堂々と言ってのける言い分に若者は、腑に落ちないが、言い返す言葉もみつからない。

 利之助がお銀の言い分を聞いてあげているが、内容はヨミの言い分と大して変わらない。まるで子どもの喧嘩だ。

 どうしたものか、と若者が頭を捻らせた時、ふと若者が頭に浮かんだ懸念を利之助に尋ねる。


「利之助さんは、誰とでも構わないんですか?」


 若者に背を向けてお銀を宥めすかしたり、窘めていた利之助。そこに突然背後から質問を投げかけられて、少々戸惑いを見せたがすぐに穏やかに薄く微笑み、コクリと頷く。


「えぇ、私はどちらとでも構いませんよ。……そりゃぁ、私も旦那とが一番いいですけどね」


 でもこの二人を同じ部屋に出来ないでしょう?とヨミとお銀を指さしながら、利之助は困ったように微笑っていった。

 その瞬間、利之助は名案を思いつき、少し考える素振りを見せてから二体に静かに問いかける。


「二人とも、どちらも旦那を譲らないと言うんですね?」

「そうに決まってるだろ!わっちは今、気が立ってるんだ!!馬鹿なこと聞くでないよ!!」

「あたり前のことを言うんじゃないよ、利之助。あたしが先生をこの女狐に譲るわけ無いだろう?」

「そうですか、そうですよね」


 二人の答えを聞いた利之助は、少しばかり彼に似合わない意地の悪い笑みと言い方で、二体に一つの提案を投げかけてみせた。


「なら、私が旦那と同じ部屋にします」


 その言葉で一瞬、時が止まった如く、あたりは水を打ったように静かになった。

 そして、利之助から発せられた予想外の言葉に固まっていた二体は、やっと彼の言葉が頭に入ってきたようで、同時に騒ぎ出す。


「ちょっとお待ちよ、なんでおまえが先生と……って話になるんだい!?」

「そうだよ!あんたが旦那とだって?冗談も大概にしなよ!!」

「なんでそんな言われようされなくてはならないんですか?もとより、私も旦那とがいいのを、二人が喧しいから譲っていただけなんですよ?」


 やいのやいの騒ぎだす二体に利之助は毅然とした態度で答える。利之助の言い分は真っ当なもので二体は口を押さえられたかのように押し黙る。


「どちらも譲らないなら、二人共の言い分を要約し互いの要望をある程度妥協した上で応えようとすると、私と旦那が同じ部屋になるしかないじゃないですか。二人共どちらも譲らないし、どちらか片方の言い分を聞いても角が立つでしょう?」


 利之助が連ねた全ての言葉は至極真っ当で、二体はぐうの音も出ない。

 先程までいがみ合っていた二体は突然の利之助の乱入に一時休戦して、どうにか乱入者の思い通りにさせないよう、こそこそと対策を講じる。

 なんだかいつも食えない性格の二体が利之助に手のひらで転がされている様を若者は少々微笑ましく思っていた。そしてこみ上げそうになる微笑みを唇を噛み締めてこらえる。せっかく利之助が止めた大騒ぎを再開させないように。

 なにはともあれ喧嘩がおさまって、若者はほっと胸を撫で下ろす。そして功労者である利之助に二体にバレないように目配せをして二人は小さく微笑みあった。


「今日は大人で優しく美しいこのお銀さんが譲ってやるわ!その代わり、次はわっちが旦那を一人占めするからね!決して忘れるでないよ!!」

「明日は明日の風が吹くからねぇ。お約束はできないけど、とりあえず善処するよ。……先生、あたしたちの部屋はあっちだよ」


 ヨミの煮えきらない答えを聞いたお銀が、再度何か物申そうとしたが、彼はそれを待たず、さっさと若者を連れて部屋に向かう。

 若者は念の為、女であるお銀と男である利之助を本当に同室にしていいものか、ヨミにたずねる。ヨミは、心底興味なさげに答えたが、その様子から雑ち回答しているように見えた。


「大丈夫、大丈夫。利之助とお銀の間で先生が思うような、いかがわしいこともおかしなことも起きませんよ」

「いかがわ……っまぁ、そういう可能性も、男女であればなくはないだろうし。危険もあるだろう?」


 少々顔を赤らめて、目をそらしながら若者がヨミに尋ねる。そんな若者の姿を「愛らしいお方だ」と言ってヨミが優しく微笑む。ニンマリと微笑って見えるヨミに、若者は「茶化すな」と言って、じろりと睨む。

 ヨミは、大仰に肩をすくめて見せてから、若者の質問に再び、全く丁寧とは言い難い口調で答える。


「大丈夫ですよ、先生。起きたところで被害にあうのは利之助ですから、なーんにも問題ありません」

「それは問題は大有りなんじゃないか!?俺は利之助さんにも被害にあってほしくないんだが!?」

「旦那、ご心配痛み入りますが私は大丈夫ですよ。体も剣の腕も鍛えておりますし、いざとなったら縛りあげますから」

「わっちが旦那以外に身体を許すわけ無いだろう!馬鹿なことお言いでないよ!わっちが喰らいたいのも喰らわれたいのも旦那ただ一人さ!」

「はいはい。そうですね。お銀は強い強い」


 はんっ!と鼻で嗤ったお銀に利之助は子供をあやすように頷いてから、まだ何か言い足りなそうなお銀の背を押して部屋に入っていった。心配の色を払拭しきれてはいない若者を廊下に置き去りにして。


「ほらほら、あたしたちも部屋に入りましょう。廊下にいつまでも立ってたら迷惑になるってもんですよ?」


 ヨミは未だ心配という名の後ろ髪を引かれている若者の手を引いて、お銀たちの部屋の隣の部屋に入った。



 利之助に入れられた部屋の中で、お銀は憎々しげに鼻の頭に皺を寄せて、隠しもしない悔しさに爪を噛む。


「あぁっ……!!全く、こんなことになるんなら、こんな閑古鳥が鳴きちらかした宿じゃなくて、有象無象がゴミみたいに混み合ってる宿にすりゃよかったよ!!」

「……お銀」

「そしたら2部屋なんてとれもしなかったのに!今頃、旦那と同じ部屋でべったりとくっついていられたってのにさっ!こんな草臥れて寂れた宿なんて」

「おやめなさい、お銀」

「なんだい!さっきから喧しいねっ!わっちは今虫の居所が悪いんだよっ!!」


 誰がどう見ても喧しいのはお銀なのだが、自身のことなど棚に上げて、ちょいちょいと口を挟む利之助を睨みつける。

 利之助はお銀の視線など意に介さず、ふっ、と辺りを見回し静かに口にした。


「ここはもう、奴らの縄張りだ」


 利之助の静かだが強い意味を含んだ言葉に、お銀も彼を真似るように辺りに目を向ける。お銀は微かに眉を顰めてから、細められた瞳を更に細める。

 そして彼女は自身の気持ちを切り替えるため、大きくため息を吐いてから、利之助に向かって、羽織っていた上衣を放り投げる。


「はぁ……。わかったよ。利之助、これ皺にならないようにそこに掛けておいて……荷解き手伝いな」

「わかった」


 そんな人ならざる二体のやり取りをいくつもの光がみつめていた。


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