おじいさんが転生したら愛猫にのりうつった元婚約者に復讐をお願いされました

皆川

第1話 婚約破棄と猫にのりうつった王子

 趣味の盆栽に手を付けた時だった。

 部屋のドアがバンと乱暴に開けられる。


「お嬢様!」


 部屋の入口に立っている男、執事のベルナールは怒っていた。黒髪で、しょうゆ顔というのか、シュッとした顔立ちをしている。彫りの深い顔立ちが多いこの国では珍しい。異国の血が混じっていると聞いた。


「何度も言ったじゃないですか、のんきに盆栽の剪定をしてる場合じゃないって、そこに座ってください」


 まるでこの部屋の主のように、ベルナールは先にソファに座り、私の座る場所を指示した。本当は私のほうが主なのだが、何かと世話になっていることもあり、私は逆らわないようにしている。その時もおとなしく指示された場所に座った。


「お嬢様は悪役令嬢なんです」


 私は何度もいわれているが、ぴんと来ていなくて、首をかしげる。


「悪役令嬢ね」


 ベルナールは、前世では乙女ゲームをたしなんでいた若い女性だったが、病気で早くに亡くなった。

 ゲーム好きだった執事、ベルナールはそのゲームをやりこんでいて、いろいろと教えてくれる。ベルナールがいうには、私にとって人生にかかわる大きなイベントが明日に控えているのだと、今日は特に熱弁していた。


「公爵令嬢のエリザベス、つまりあなたは、次のパーティで王子に婚約破棄されるんです。王子は身分の釣り合わない男爵令嬢に入れ込んでいて…」


 私は話半分に聞いていた。


「それは大変だ」


 一生懸命話してくれるベルナールに対して、私はあまり興味がない。膝に乗っている飼い猫のルミエラの背をなでた。ルミエラは手入れの行き届いた黒い長毛種の猫で触り心地がとてもいい。


「まるで他人事ですね」


 ベルナールは不満そうだ。大きなイベントといわれると、もっと騒ぐべきかとも思うが、長く生きているといろいろあり、多少のことでは動じなくなってしまった。

 なにせ前世は90まで生きた。

 人生のいいこと、悪いこと、たくさんありすぎてもうあまり細かいことでは感動もしない。

 明日何が起こったとしても、自分にできることは結局あまりないと思う。ベルナールの話の通りになったとして、婚約の行方は結局王子次第だし、自分にできることはあまりない。かわいい猫ルミエラをもう一度なでようとしたが、彼女は嫌がり床に降りてしまう。


「どうしようもないことでしょう。人の気持ちが離れるのは」


 本心だった。離れていく気持ちを無理につなぎとめても無理が出る。そもそも繋ぎ止める気もない。王子の婚約者は、いずれこの国の王妃になる。自分がそんな大変な地位にふさわしいとはとても思えなかった。

 用意された湯飲みに入った緑茶をずずっと飲む。この国では紅茶がよく飲まれている、緑茶は希少だ。産地からこだわった日本の静岡茶に近いこのお茶は渋みがちょうどいい。

 転生した時点で年をとっていたからか、慣れた日本文化に近い食べ物が今でも好きだ。このお茶は私の好みに合わせてベルナールが取り寄せた茶だ。やはり慣れた味は落ち着く。


「なるようになるでしょう」


 まだ納得していないベルナールはぶつぶつと何やらつぶやきながら、出て行った。納得しなくても、当の私にやる気がない。

 この時の私は予想していなかった。まさかこの後あんな大変なことになるなんて、知っていたらもっと真剣にベルナールと話し合い、用意をしてパーティに臨んだに違いない。



 翌日、王室の庭園で開かれたパーティで、ベルナールの予言通り、私、公爵令嬢エリザベス・ラマルクは濡れ衣を着せられ、婚約破棄された。


「エリザベス嬢、そなたの傲慢なふるまいは目に余る。よって婚約を破棄する」


 みんなに聞こえる大声で宣言したのはこの国の王子アーサー。エリザベスこと私の婚約者だ。国王夫妻に他に子はいないため、我が国唯一の王子様になる。

 黒い髪に赤い目をしている。顔立ちは端正で優男風だ。

 その隣にはミネア・レイトナ。赤毛の緑色の目をした少女が寄り添うように立っている。確か男爵令嬢だった。何度かパーティで顔を合わせたことがあるが、あまり印象に残るお嬢さんではなかった。


「かしこまりました」


 私は恥じ入るように小さな声で答え、ショックを受けた様子を装って会場から退出した。

 実際はショックも何もない。ベルナールに予告されていたこともあったし、正直一国の王妃など自分に務まるとも思っていなかったので、ちょうどいいとさえ思っていた。


 さっさと馬車に乗って会場を後にする。家に戻ったら親への報告だ。この時点で私はようやく少し憂鬱になった。前世では子どももいた。かわいい子どもを余所に出す気持ちはよく分かる。90年の人生経験を持つ私はお世辞にも普通の子どもと同じようにはかわいくなかっただろうに、両親と兄は目に入れても痛くない様子でかわいがってくれていた。

 結婚、しかも婚約破棄の話題は、私の気持ちはどうあれ、きっと両親を傷つけるだろう。

 両親と兄に私室へ来てもらい、打ち明ける。


「そういうわけで、婚約破棄となりました」

「なんだと! あの無礼者!」


 怒り狂った父親が、「王子、許すまじ」と斧を持って城に殴り込みに行く勢いだったのを、兄と母と一緒に止める。


「抑えてください、父上。経緯はともかく、あの男にエリザベスをやらずに済んだのです、喜びましょう」


 そう言ったのは兄のエーリクだったが、父の怒りはおさまらない。


「それはそうだが、婚約破棄だぞ! 完璧なエリザベスに傷をつけおって!」

「大丈夫です、結婚前ですし、たいした傷ではありませんわ。私が腕によりをかけて良縁を見つけてきます」


 そう言ったのが母。ちなみに母は社交界で有名な世話焼き縁結びの達人だ。母にまかせておけば間違い無いだろう。


「そうはいっても納得ならん! アーノルドが大切にすると約束したから、こっちは仕方なく婚約させてやったのに、あっちから一方的に破棄なんて非常識だろうが」


 アーノルドは今の国王の名前で、先程私が婚約破棄したアーサーの父親だ。親戚なので、普段から呼び捨てにしている。

 まだ父の怒りはおさまらないようで、国王に対する罵詈雑言が止まらない。


「私は気にしてません。いい機会なので、このままお嫁に行かずにずっと侯爵家にいるのもいいと思っているくらいです」

「ああエリザベス、なんて優しいんだ。こんな可愛い娘を、よくもよくも、アーサー、アーノルド許すまじ」


 私が宥めてもむしろ逆効果だった。

 もう夕方だし、何かするにしてもせめて朝になってからからと、体格のいい父を母と兄の3人がかりで寝室に押し込んだ。



 翌朝、新聞の号外が出た。


「大変です」


 ベルナールが号外を持って朝食の席に駆け込んできた。急ぎすぎたのか息切れして、今にも倒れそうになっている。家族の中で私が一番ベルナールに近かったので、その手から号外を受け取った。

 昨日の婚約破棄が号外にまでなるだろうか? と不審に思いながら読んでみると、思ってもいないタイトルが目に入った。そのまま読み上げる。


「王子、暗殺者に襲撃され死亡 王室の後継者問題」


 家族全員がじっと父の公爵を見た。まさか、昨夜あの後…


「いやいやいや、俺家にいただろ」


 確かにいた。と母が証言したので疑いはすぐ晴れた。


「この件は昨日のうちに城から伝令が来ていたんだ。エリザベスに知らせるとショックだろうから黙っていた。号外になってしまったら隠し通せることではないな」


 父の公爵は一応宰相である。国の采配を預かっていることもあり、王子に関する情報は国王とほぼ同時に知らされたのだという。ただ機密でもあるため知っていたのは父だけで、母も兄も知らないようだった。


「それにしても一体だれが?」

「うちの派閥の者じゃないだろうし、反王党派もこのタイミングで仕掛ける意味はない」

「反乱の線も薄いな。この前大きな組織を摘発したばかりだ」

「その残党の仕業という可能性は?」


 父と兄は犯人が気になり、どういった可能性があるか話し合っている。

 母は隣に座る私の手をそっと握った。


「大丈夫よ」


 笑顔を向けてくれるが、少しこわばっている。こんな恐ろしい事件が起こるなんて、思ってもみなかった。不安なのはみな同じだ。私は母の手を握り返した。

 執事のベルナールは時間がたって少し落ち着いたのか、いつものようにしゃんと立って控えていた。


「王子が死んだということは、ヒロインは隠しルートに入ったということ…? そのへん詳しくないんですよ、メインのルートだけクリアして死んだもので」


 その独り言は、一番近くにいる私にやっと聞こえるくらいの小声だった。


 朝食は衝撃的なニュースがあったから、そこそこで解散した。

 自室に戻り、私は改めて王子のことを考えていた。

 死んでしまった王子に恋情こそなかったが、幼い頃からの付き合いだから、多少は情もある。まだ若いのに死んでしまうなんて、かわいそうに。

 あまり賢いタイプではなかったが、素直な王子だった。

 国王陛下においては、一人息子だったからより悲しみは深いだろう。つい親の視点に立ってしまうのは、前世の記憶のせいか。

 少し憂鬱な気持ちを振り払おうと、ハサミを持った。前世からの趣味、盆栽だ。手入れをしている間は無心になれる。婚約破棄もされたことだし、時間はいくらでもある。鉢をいくつか増やそうか。窓辺に並べた趣味の盆栽をまず全体の形を眺め、手を出そうとした、その時。


「エリザベス、エリザベス、聞こえるか、おーい」


 なんだか、後ろから王子に似た声が聞こえる。


「エリザベス、私だ。アーサーだ。昨日婚約破棄したアーサーだ」


 後ろから声が聞こえたので、振り返ったが何もない。

 いつも通りの部屋だ。天蓋付きのベッド、柔らかなソファ、私の他にはしいていえば飼い猫のルミエラだけしかいない。猫がまさかアーサーの声で話すわけがない。

 空耳だろうか、やけにはっきり聞こえたのだが。


「今! 振りかえったな、やっぱり聞こえてるんじゃないか」


 王子の死が、自分で思っていたより、ショックだったのか、幻聴が聞こえたようだ。

 幻を振り払うように目を閉じ、頭を振り、自分にも言い聞かせようと、はっきり強く言葉に出す。


「聞こえてない」

「聞こえてるじゃないか」

「私は、何も、聞こえない」


 こわいこわい。長生きしたとは言っても、霊感や超能力なんてものは前世でもなかった。だからこれは幻聴だ。そうに違いない。そうでなくてはならない。


「ちゃんとこっちを見てくれニャ」

「ニャ…?」

「しまった、この姿に慣れていないからつい…」


 目を開けると、猫のルミエラが私をじっと見つめていた。


「ようやく目が合ったな」


 ルミエラ、猫の口が、アーサー王子の声に合わせて動いていた。

 猫がしゃべっている。死んだアーサー王子の声で。


「アーサー王子?」

「まあ、落ち着け。私が一番驚いている」


 いや愛猫が、元婚約者の声で話しているのだ。私だって相当驚いている。


「どうやら困ったことに、そなた以外には私の声は聞こえないようだ。そこで婚約破棄した手前、大変言いづらいのだが、私の無念を晴らしてくれないか」


 猫はルミエラだった頃には考えられない人間らしい仕草で、情に訴えるように私の目をしっかり見つめていた。


「信じられない話ですが…とりあえず詳しく聞きましょう。無念とはどういうことなのですか」

「それがだな…」


 猫の姿をしたアーサー王子は、婚約破棄をした後、何があったかを語り始めた。

 20分経った。

 ちょっと彼の言葉をそのままだと、主観が入って大変長くなり、少し筋がわかりにくかったため、改めて要約する。


「要は、婚約破棄した後、ミネア・レイトナ男爵令嬢と結婚したいと王に言ったところ、王位継承権を剥奪の上、下級貴族に身分を落とすと言われた。それを知った男爵令嬢が王子を襲い、殺害。令嬢は護衛も華麗に殺害し逃亡したため、王子殺害の犯人はわからず、暗殺されたことになったと」

「そういうことだ」


 思っていたよりもとんでもない話だった。王子の話を信じるなら、昨日見たごくごく普通の赤毛の令嬢が、王子1人のみならず、腕の立つ護衛さえも殺害して、警備の厳重な城から逃げ出したということになる。


「それで、王子はどうされたいのですか。一度は心を通わせた令嬢です。許したい気持ちもあるのでは?」

「そんなものあるか。王にならないとわかった途端に殺されたんだぞ。あの娘と一緒になるためだというのに。かわいさ余って憎さ百倍…復讐しないと気が済まない」


 ぐるると猫が獰猛な顔をする。

 手伝うにしたところで実際問題として、王子の護衛すら軽く殺害できる相手に簡単に復讐できるとは思わない。一体何者であろうかミネア・レイトナ男爵令嬢とやら。


「ところでなんでうちのルミエラに取り憑いたんです?」

「そこはよくわからん。気がついたらこの状態だった」

「はあ、迷惑な話ですね」


 元々婚約者には興味がなく、婚約破棄にも興味がなく、王妃教育がなくなった分、時間があくので趣味の園芸にでも力を入れようと考えていたところでのこの災難だ。

 ぽろっとこぼれた本音に、猫はショックを受けた顔をした。


「お、お前には血も涙もないのか。私のことが哀れに思わないのか」

「同情はいたしますが、それとこれとは別です。私のかわいいルミエラの中身がやかましい王子になったのが本当に残念です。私の癒やしがなくなっていしまいました」


 ルミエラはとても気立てのいい猫で、家族全員に愛されていたのだ。王子がその中にいるということは、ルミエラの姿をしていても、ルミエラではない。


「いくらでもなでさせてやるぞ」

「そういう問題ではありません。王子だと思うとなでるのも抵抗があります」


 そもそも、先に一方的に婚約破棄という名の絶縁をたたきつけたのは王子にも関わらず、困った時だけ自分に都合のいいように頼ろうなんて虫がよすぎないだろうか。

 猫は今にも泣きそうな顔をする。


「そなたの助けがなければ、私はずっとこのまま猫としてそなたに飼われなければならないのだぞ…」

「それは私も嫌です」

「…ならば協力してほしい」


 ずっと王子が猫の格好で同居する未来を想像した。猫の姿の王子が始終私にまとわりつく。膝の上にのり、背をなでることを要求し、うれしそうに喉を鳴らす姿を。

 前にも言ったが、王子自体は嫌いではない。嫌いではないが、好きでもない。そんなに一緒にいたいと思うほど、気が合うと思ったこともない。

 かわいいかわいい、ルミエラのことを思い出す。会いたい、帰ってきてほしい。


「…仕方がありませんね」


 背に腹は換えられない。こうして私の猫を取り戻す戦いがはじまった。


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