脱出

メイズ

第1話 不穏な知らせ〈サイ〉


 長い廊下の向こうから、衛生救護部のミキさんがこちらに歩いて来る。


 目が、合った。


 俺は目を一回しばたいた。



 俺はさりげなく立ち止まり、上着のポケットの中を探って探し物をしている風を装う。


 昇降口へ向かう数人が俺を通り越して行った。


 人が途切れたところで、俺とすれ違いざまにミキさんが囁いた。



《サイさん、候補になった。用意して‥‥》



 彼女は、こちらは全く見ず、前を向いたまま俺を通り過ぎた。



 思わず振り返りそうになってしまった。なんとかこらえたけど。



《ウソだろ‥‥‥間違いであって欲しい‥‥‥》



 俺は不穏を抱えながら安全靴に履き替える。



 元は中学校のグラウンドだった駐車場には、何台ものバスが既に待機している。


 俺は予定表で指定されてた番号のバスに乗り込み、今日の作業現場に向かう。


 ぎゅうぎゅうに詰め込まれたバスに揺られながら、軽い吐き気とめまいに襲われる。



 ───なんで俺が。なんで俺なんだよ?



 絶望がよぎる。



 ───ついに来た。適合者が来たんだ‥‥‥



 その日の作業では、なんとなく監守たちと何回も目が合ったような気がした。


 その1人はその時、微かな薄ら笑いさえ浮かべたような。



 俺は明日、明後日の朝には、身に覚えもない適当な罪を宣告されて、近々処刑される。その後は‥‥‥



 いや、今日中ってこともありえる? サワサワが止まらない。



 大丈夫。朝の点呼で健康診断に呼ばれてはいない。戻ったらすぐにミキさんと連絡を取らなければ。


 身が震える。まさかこんなに早く俺が候補になるなんて。



 逃げるしかない。今夜しかチャンスはない。



 どうせこのままでは───



 ***



 俺たちの国、『イスターン』は事実上もうない。『イスターン自治区』として名前は残されたが。


 首都圏と地方の主な大都市は、無惨な焼け野原と崩れたビルが立ち並ぶ廃墟となった。



 つい最近までは危ういながらも平和を保っていた。


 

 両国の漁船の海上でのトラブルがきっかけとなり、宣戦布告されてから、たった一年でイスターンは降伏したが、中央が決めたこの決定に不服な勢力もいくつかあり、いまだに国内は混乱している。



 国家の中枢組織がミディカンに陥落し、今、首都周辺と地方大都市周辺はこうして完全に掌握されてはいるが、イスターン各地では、生き残りのイスターン兵士と住民たちの抵抗勢力が組織化して、レジスタンス化している場所もあると聞く。


 こうした中でも、戦禍を逃れた地方の住宅では、怯えながらもそのまま暮らしている人が多いだろう。



 ここのわりと近くにも1つ、小規模なレジスタンスビレッジがあるらしいんだけど、そのゲリラは神出鬼没で、ミディカン軍は手こずってるらしい。




 ***



 ひょろひょろだった俺にも、多少の筋肉がついたようだ。食いもんは粗末なものでも。命があっただけ良かったと思ってた。まだ26才だし。



 俺たち捕虜になった兵士は、集められて強制肉体労働させられてる。戦争で破壊された都市の再建のために。移動時には、レジスタンスの襲撃を警戒して、人間の盾にされることも。女性兵士はここにはいない。他の場所に集められているのだろう。



 ミキさんは俺たち土木組の怪我の手当てや健康状態を管理する衛生救護部の看護師。俺より2つ下。戦争前は大病院の新人看護師だった女性。


 俺がまだ土木作業に慣れない頃、手を怪我した時に手当てしてくれて以来、チャンスがある時には話すようになっていた。


 ミディカン語を話せる少数の人と、パソコンスキルに長けたイスターン人兵士らは選別されて、急きょ新設されたオフィスで、ミディカン人の役所関係の仕事の補佐についているらしい。


 15才以下の子どもらは連れ去られ集められて、ミディカン国で思想教育されてるという噂だ。自我形成半ばの子どもが洗脳されたら、もはや彼らはイスターン人じゃなくなる。


 そしてあいつらに見つかったお年寄りたちはたぶん‥‥‥



 ───非情。



 戦争に負けるとはこういうことだ。



 俺の家族は、オヤジただ一人だった。そのオヤジは真っ先に戦死。そう、真っ先に死んだのは、昨日までは平凡な市民だった男。



 開戦から終戦までは1年もなかった。ミディカンは圧倒的な強さだった。


 イスターンの中枢の一部政治家たちは大した審議もされぬまま獄中に。順に処刑される見込み。だが、大半の政治家は、元国民を奴隷として事実上認め、イスターン自治区として再びミディカン人と共に支配している。ミディカンの大統領に忠誠を誓って。


 きっと彼らにとってこの状況は想定されたことだった。自分たちさえ助かれば国民なんて、ってことで。



 でもって、いつの世も支配者や金持ちが最後に夢見るのは、永遠の若さと命だった。



 そのためには元イスターンの国民の命など、虫けらほども無い。ついでに、儲かるやつらもいるからね。



 通信手段も無く、軟禁された強制労働の生活が半年過ぎた所だった。



 俺の体が狙われていた。そう、俺の中身の部分がね。


 これは想定内。


 昔からある他のミディカン周辺自治区の内情を、ほんの少しでも知ってさえいれば当然のことだった。



 噂にはなっているが、いくらなんでもそのような人権無視が堂々と認められるわけないって、奴隷となった今になっても信じてるような、なんも考えてない平和ボケなやつらは案外多かった。


 誰かが急に呼び出されて戻って来なくても、ただ所属移動になったのだと思ってる。


 反抗しなけりゃ問題ないって、命までは取られまいって考えはいかがなものか?


 俺らは奴隷になってんのに。生殺与奪、握られてんだぜ?



 牙を抜かれた従順教育の成れの果てってか────‥‥



 俺は備えてる。慎重派の俺は、いつだって何かと先に用意しとかなきゃ落ち着かないタイプだったもので。


 ミディカン人の作業指導者がうっかり置き忘れたカッターはパクってあるし、怪我した時に処方されたエタノールはケチって使ってまだ半分残ってる。落ちていた小瓶とかも拾っとく。火炎瓶作れるし。この半年、作業中に見つけた使えそうなものは、こっそり拾って体のあちこちに隠して持って帰って宿舎の換気口の中に隠してある。


 ここを脱出する時に備えて。



 ミキさんも同様だ。


 彼女は医療キッドを用意してる。


 脱出準備のために医療用の針と糸。薬あれこれ。バレない程度にちょっとずつ失敬して集めてる。救護室の医療器具や薬品の管理は結構緩いらしい。


 公序良俗なんてもういいよ。そんな品行方正な羊さんは真っ先に死ぬ運命だ。俺たち命がかかってんだ。



 現場から戻ってから、ミキさんから受け取った密かなる打ち合わせメモ。すぐに読んで頭に入れて食った。


 俺は彼女と二人でここから逃げる。



 どうせ殺られるなら脱出に懸けてみる。



 西の廃墟ビル群のどこかにあるという噂の、レジスタンスビレッジ、『PURE VENOM』へ───








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