【真戸矢 信司編】一第五話一



真樹枝を、傷つけてしまった。その事実は、信司を追い詰めるには十分な理由だった。


「はぁ…はぁ…はぁ…」


鏡野総合病院から走って帰ってきた信司は、すぐに自分の部屋に入った。扉を閉めるとズルズルと下に滑り落ちた。

乱れた呼吸を整えると、信司の目は机の上へと向けられた。


「へへ…はは…何か、ないかな…?」


笑いながら、立ち上がると机にフラフラと近寄っていった。よく見ると、鋏が出しっぱなしになっていた。


「!!」


信司は、衝動的に鋏を握りしめ、そのまま手首を切りつけようとしたが。 どこらともなく黒い手が現れると、信司の手を止めた。


【止めよ。シンジ】

「罪鬼様…!放してください…!!」

【ならぬ。貴様、己が何をしようとしているのか……分かっているのか?】

「だって…俺は…! まきちゃんを、傷つけたんです…!」


今にも思い出すのは、真樹枝の、寂しげな顔。確かに彼女は、喜んでくれた。だが、あんな顔をさせてしまったのは自分が、《日常の風景》の写真を持ってきてしまったからだ。

体の弱い真樹枝が、手に入れたくても出来なかった《当たり前の日常》の憧れを、自分が強くしてしまったことが、許せなかった。 泣き崩れる信司に罪鬼は何も言わなかった。

代わりに、罪鬼の黒い手は、信司の頭を優しく撫で続けていたのであった。


***


―運命の日が、やって来た。 一年生の修了式。生徒たちが、これからやって来る春休みに浮かれる時期に決行しようと決めた。


「…………」

(狙うのは…秋ちゃんが、 祈里ちゃんと一緒に屋上に行ったところ…)


周りの騒音は、聞こえなかった。ただ、必要な会話だけは聞こえてきた。 秋人が、 祈里に近付き声をかけている。その会話に神経を集中させた。



「 祈里…ちょっといいか?」

「………」


祈里は秋人を見上げると、首を傾げながらも頷いた。二人は、騒々しい教室を抜け出した。 暗い瞳で、二人を見送った信司はカッターナイフの刃をジリジリと出した。


「………」

(チャンスは…一度きり。これに失敗したら、父さんと母さんに会えないんだ…!)


心臓が徐々に高鳴っていくのを感じる。 何度も、何度も頭の中で祈里を手にかける想像を繰り返した。世間からどう言われようと構わない。人殺しと呼ばれようと構わない。

いざとなったら――《黒い海》に逃げればいいだけなのだから。 信司はゆっくりと立ち上がると、秋人と祈里の後を追って行ったのであった。


***



一一俺と祈里は、よく学校の屋上で話をしていた。 何か大切なことを話したいと思った時は、屋上で話すということは祈里と昔から決めていたことだった。


祈里に告白するのを、どう話し始めれば良いかと迷っていると…彼女はいつも持ち歩いているスケッチブックに文字を書き込んで、自分の思いを伝えた。


【アキ君。あなたに伝えたいことがあるの】

『伝えたいこと…?』


『もしかして…祈里の方から告白されるのか…!?』

期待に胸を膨らませながら、祈里がページをぺくり、言葉を書き込んだ瞬間一一ドアが開いた音がした。


『はぁ…はぁ…ハハハハハ…!』

『信司?』



突然現れたのは…信司だった。俺は、信じられない目で信司を見つめた。


【見てる…!ミテルミテルミテル…! 長様が、鬼巫女が、オレノコトヲミテル…!!】



シャン、シャン!! 罪鬼様が、俺の心の中で鈴の錫杖を鳴らしている。


【コロセ、コロセ】と俺の中で囁いている。 息を整えた信司は、カッターナイフを取り出した。


『おい、何してる!?やめろ!!』

『来るなっ!!祈里ちゃんがどうなってもいいの!?』

『くっ…!』


【長様から鬼巫女を奪いとるのは簡単だった。走ったように見せかけて、瞬間移動を使った。突然の動きに人間は、ついていけない。 秋ちゃんは、抵抗したけど、罪鬼様に支配された俺の前では赤子も当然だった。 秋ちゃんから祈里ちゃんを奪いとるとフェンスの前まで瞬間移動した】


『ヒヒッ…!これで、終わり――』

「………」


祈里は、信司を穏やかな瞳で見つめていた。カッターナイフの向き出た刃を、彼女の首に突き刺そうとした信司は、すんでの所で止まってしまった。 あまりにも、祈里が穏やかに、微笑んでいたからだ。


『な、なんで…そんな顔で、目で、俺を…!! 《我》を見るのだ…!?』

「………」

《信司くん。あなたは、なにも、悪くない》


チリリン…

鈴の音が響き渡ったと共に…いのりの声が脳内に響いた。


『え…?』

「……」

《大丈夫。あなたに何があっても…わたしは、あなたと…罪鬼を……許します》

『あ、ああ…!いやだ、いや…!』


信司の中で《祈里を、殺したくない》という想いが強くなった。 迷っている間に、秋人がゆっくりと近付きながら言った。


 

『信司。落ち着け…やめるんだ…!』

『ひっ…来るな!!来るなあ!!』

『お前は何に怯えてるんだ!? そんなことをして何になる!!祈里を離せ!!』



――助けて、秋ちゃん…!



『うう……ダメなんだ…!ごめん。アキちゃん……祈里ちゃん…!』

『……っ』

『………』


祈里ちゃんを、殺したくないでも、鬼巫女を、殺さないと父さんと母さんに会えない…! 信司はどうしたらよいのか分からなかった。ただ、泣きながら、震えた手で…カッターナイフを秋人に向けながら言った。 信司と秋人の会話を聞いていた祈里は、もう一度、口元に笑みを作った。

祈里がした行動に、信司と秋人は目を見開いた。




『あれ…?』

『…祈里…?』

『…………』



祈里は、信司の腕から抜け出すと、屋上の金網をよじ登り、向こう側に行った。 我に帰った秋人は、慌てて彼女に声をかけた。



『祈里!!やめ、』

『――』

『……』


《さようなら》

脳内に響いた、祈里の声。 その声は、酷く、寂しげな声だった。 彼女は、金網から手を放すと――下へと落ちていった。



『い、祈里ちゃん…!』



いち早く、駆け付けたのは信司だった。 祈里が、飛び降りた場所には――《黒い穴》が大きく広がっていた。


『……っ…』

(なんだ…あれ…?あんなの、見たことない…!)


信司は、後ろへゆっくりと後退った。


『なんでだ…信司…! なんで、あんなことをした…!?』

「あ、あ…」



――景色が、反転する。 ぐしゃりと、紙が潰されたような感覚に陥った。 回り続ける視界。本のページをめくるかのように移り変わる世界。


「あれ…?」

(俺は、何をしてたんだっけ?)


長い夢を見ていたようだった。まだ回っている視界に酔いそうになりながらも、ぼんやりと信司が考えていた時だった。





『良いユメ、ミレタカ?シンジ?』

「……え…?」



全てが、黒に支配された視界の中、聞き覚えのある声が後ろから聞こえてきた。 ゆっくりと後ろを振り返ると――両目をくり抜かれた兄…宗弥が、信司のことを見つめていた。


「う、うわあああああああ!!」

『ウルセェ!!ダマレ!!』

「うっ…がっ…!」


叫び声を上げた信司に、宗弥は黒色の鋸で信司の腹部を刺した。

そうだ。思い出した。

俺は、幼い頃から、兄さんと一緒に暗い井戸の底にいたんだ。

ここから出ようと何度も、何度も、上へと上がろうとした。

しかし、その度に失敗して、兄さんに怒られて、逃げだそうとした罰だと言って暴力を降り続けられていた。兄さんの暴力に耐えられなくなって、意識を失った。

そして、あの夢を見ていたんだ。


『クク…思イ出シタカァ?』

「ひっく……うう…! 兄さん、お願い…もう、許して…!」

『ダーメーダ…!! オ前二ハ、モット、苦シイ思イヲシテモラウゾ…! キヒヒ、アハハハハハハハハ!!』

「…っ…」

(なんだ…あれ…?)


狂ったように笑う兄を見ていた信司だったが、ふと、視界の端で、《何か》が動くのが見えた。暗闇の中でも分かる。あれは、人の形をとった《何か》だと。 弟が、何かの気配を察したを感じとったのか、兄は、笑うのをやめると言った。


『アア…マダ動クナッテ、言ッタハズナンダケドナ。 何デ言ウコト聞カナイノカナァ? トウサン?』

「……え?父さん…?」


宗弥の言葉に、信司の心臓が大きく高鳴った。 何故だろう。父に、会えることが嬉しいはずなのに――嫌な予感が、頭から離れない。 黒い塊は、自分の体を引き摺りながら、信司と宗弥に近付いてきた。


「ひっ…!!」

【ア、ア、アア…】


その姿を見て、信司は悲鳴を上げそうになり、両手で口を抑えた。

一一その《何か》に、父の面影は、無かった。 至近距離で見て、初めて分かった。 全身は黒くなっており、動くたびに黒い染みのようなものを地面に落ちていった。

それは、《人間》と呼ぶにはあまりにも難しいものだった。

よく見ると、父らしきものも、両目をくり抜かれていた。言葉も喋れないのか、呻き声しか聞こえてこなかった。


『……ソウダァ…! 良イ事、思いツイタ』

「へ?」

『父サンニ、オ前ヲ食べテモラオウカ!!』

「――」


一瞬、信司は宗弥が何を言ってるのか分からなかった。 頭の中で宗弥の言葉を繰り返して、意味を理解すると、信司は首を横に激しく振りながら言った。


「嫌だ!!死にたくない!!死にたくないよお!!」

『ア?』

「お、俺にはまだ、やらないといけないことがあるんだ!!

秋ちゃんと、祈里ちゃんに謝らないといけないし、ひーちゃん達に会って、助けを求めていたことも、それから――」


――頭の中に、浮かんだのは、真樹枝の笑顔。


「…まきちゃんに……謝って、許してもらうまで……俺は、死ねないんだ!!」

『……ル…イ…』

「あ、う…!?」


宗弥の両肩がワナワナと震え始め、黒い鋸で信司の腹部を何度も突き刺し始めた。


『ズルインダヨ…オ前ラバッカリ…!!ズルインダヨオオオオオ!!』

「か…あ、あ…!」

『オ前ラノ人生ト同ジヨウニ、オレ達モ、人生ヲ、経験スルハズダッタ…!! デモ…ミンナ、《アノ日》ヲ迎エテ、死ンデイッタンダ!!』

「くっ…うう…う…」

『ダカラ、オ前ラモ…ヒヒ…! 苦シメバイインダ!オ互イニ憎ミアッタリ、傷付けアエバケイインダ! ソレガ、《兄弟》ッテ、言うンダロ?《友達》ッテ言ウンダロ?』

「ち、違うよ…! に、兄さん…そんなの、間違ってる…! 父さんも、そう思うよね…?」

【……ア、ア…】


父だった《何か》は、信司の目と鼻の先にいた。手を伸ばし、口を開いたままの父は、信司の言葉に動きが止まった。


「そうだ。 一番、お礼を…言わないと、いけない人に言うのを、忘れてた…」

【…………】

「父さん…ありがとう。 俺を、愛してくれて……一生懸命、育ててくれて…ありがとう…!」

【…シン、チャン…】


父の、信哉の目が大きく見開かれた。黒い涙を流していると、唐突に、信司の体が横に傾いた。


「はぁ…はぁ…はぁ…」

(俺…このまま、死んじゃうのかな……)


信哉に言いたいことを言った安心感からなのか、体の力が抜けてしまった。 視界がぼやける中、聞こえてきたのは、宗弥の笑い声だった。


『アハハハハハハハ!! 準備ハ、整ッタ…!! アトハ、父サンガ、信司ヲ食ベルダケ――』

【……】

「?」


宗弥の笑い声が、止まった。父は、信司のことを見つめていた。 まるで――信司しか眼中に入っていないと言っているようだった。 ゆっくりと息を吐き出すと、信哉は、宗也を見つめると、ニコリと優しく笑った。


【ゴメンネ。 ソウチャン…】

『…ナンダヨ、急ニ…?』

【俺ノコトハ…一生、許サナクテイイカラ。 デモ……信チャンノコトハ……許シテ、アゲテネ…】


ふわりと、信哉の体が宙に浮かぶと、一瞬で宗弥の目の前まで移動すると、彼を石の壁へと叩きつけた。 そして、信哉は、宗弥のことを――喰らい始めた。


『ヒイイイイイイ!!イタイ、イタイタイタイタイイ!!』

「!?」


兄の悲痛な叫びに信司は、信じられない目で、その光景を見つめていた。 信哉が、狂ったように暴れている宗弥のことを抑えつきながら、信司の方を振り返ると言い放った。


【ハヤク、逃ゲルンダ…!】

「でも、また…父さんを、置いて行っちゃうよ…!」

【…オレノコトハ、置イテイッテモイインダヨ。 君ノコトハ……《母サン》ガ、守ッテクレルカラ】

「母さん…?」


チリリン、チリリン…

その時――井戸の上から鈴の音が響き渡ってきた。 上を見上げると、白い人影が手を伸ばしているのが見えた。


『信司…!早く、上っておいで…!』

「か、母さん…!?」

『お父さんの想いを…無駄にしないで…!』

「……っ……」

【…………】


母の愛奈の言葉に突き動かされた信司は、壁を上り始めた。信哉は上へと登り始めた信司を見つめたあと、宗弥のことを喰い始めた。


『ズルイ、ウウッ…!! ナンデ、ナンデナンデナンデ…アイツバッカリイイイイ!!』

【ゴメンネ…ゴメンネ…ソウチャン。 コレカラハ、ズット、トウサントガ、一緒ニイルカラネ】

『ホント二? 』

【本当ダヨ。 ズット…オレガ、一緒ニ、イルカラネ】

『ウ、ウレシイ…!トウサン、トウサン…!!』


宗弥が、残っていた両腕で信哉のことを抱きしめた瞬間――二人は井戸の底へと沈んでいった。


「母さん…!」


信司も残りの全ての力を使い、井戸の上へと辿り着いた瞬間――母の影が、斬られてしまった。


「え?」


代わりに、信司の手を掴んだのは、罪鬼だった。


【キヒヒヒ…!残念だったナァ…!シンジ?】

「あ、あ…!罪鬼様…!や、やだ、はなし――」


ボキリッ!!

罪鬼は、掴んでいた信司の手首の骨を、折った。 悲鳴を上げ、後退り、地面に転がった信司を見つめながら、言い放った。


【シンジ…貴様は、分かっていたのか? 我の情けで試練の失敗を許していたのだゾ?】

「く、ふ…うう…!! わ、分かっていました…!あなた様には、たくさん、助けられてきましたから…!」

【ナラバ、何故鬼巫女を殺さなかったァァァァァァァ!!!】

「ひいっ!あああああ!!」


罪鬼は怒鳴ると共に、二つのノコギリで信司の両足首を突き刺した。


【一度ならず…二度も失敗したとなっては…もう、我も我慢が効かぬ】

「い、痛い…痛い…!やめて、やめて…!罪鬼様、どうか、どうか、ご慈悲を…!!」

【ならぬ…!貴様は痛みを持って、ここで死ね!! 永遠に、我とともに此処にいるのだ!!キヒ、ヒヒヒヒヒ!!アハハハハハハハハ!!】

「だ、誰か…!た、た、助けて…!」


二つのノコギリを引き抜き、罪鬼は信司に馬乗りになった。

狂ったように笑う罪鬼に、信司は助けを求めながらも諦めかけた――その時だった。


『やめるのだ…罪鬼よ』

【……ッ……その声は――】


シャン、シャン…

鈴の錫杖が、静かに地面に突く音が聞こえてきた。穏やかな声だったが、男か女であるかは分からない不思議な声が、響き渡っていた。 すると、薄赤色の鬼灯と無数の灯籠が、黒い海の向こうから流れてきた。


『子孫を残すことは、我らの使命だということを忘れたか?』

【あ、ああ…う……そ、それは…!】

『お前がしていることを…私が許すと思うたか?』

【……い、いいえ。 思いませぬ…】

『ならば、その子を解放してやれ。そうすれば…私は、お前が過去にしたことも…私とあの方にしたことも、許そう』

【…真ですか…?】

『真のことだ。 さあ、早く、その子を解放してやれ』

【……承知しました。 あなた様の命ならば、従います…】


信司はただ、呆然と罪鬼と謎の声の会話を聞いていた。 謎の声との対話が終わった罪鬼がゆっくりと、信司の元から離れていった。 ノコギリを鈴の錫杖へと代えると、手首の骨を治し、両足首と腹部の傷も治してくれた。


「……治して…くださったのですか?」

【…勘違いするな。 我は、あの方の命に従ったのみ。 貴様を殺すことなど、容易いことなのだ】

「……っ」


信司の言葉に、罪鬼は彼を軽く睨みながら言った。罪鬼の声にまだ怒りが残っていることを感じとった信司は、身震いしてしまった。 自由になった体で、信司は姿勢を整えると罪鬼に向かって土下座をした。


「ありがとうございました…!!このご恩は、忘れません…!」

【……………】


罪鬼は、信司の言葉に驚いていたようだった。だが、それも一瞬の出来事で、土下座をしている信司に背中を向けると、流れていく鬼灯の花々と、灯籠と共に信司の元から去って行った。


「………」


しばらくしてから、信司は顔を上げた。 相変わらず、辺りは黒い海が広がっていた。


「これから…どうすればいいんだろう…」


ぽつりと呟いた信司の言葉に反応するかのように、無数の鬼灯が信司に向かって流れてきた。


「な、なんだ…これ…?」


自分の方に、流れてきた鬼灯を見ながら、信司が戸惑っていると――鈴の音色と共に、声が、頭の中に響いてきた。


【怯えることはないぞ…信司】

「……秋ちゃん…?」


信司に呼びかけてきたのは、黒い着物を着た秋人だった。秋人は信司の後ろの方に立っていた。 秋人の姿を見た瞬間――信司は、泣き始めた。


「秋ちゃん、秋ちゃん…!!うう、うっ…ごめんなさい、ごめんなさい…!!」

【お前が謝る必要はない。あれは、罪鬼に命令されて、やったことなんだろ?】

「ど、どうして、知ってるの…!?」

【お前の…《罪の記憶》を見させてもらったからだ。《両親に会いたい》というお前の気持ちが…俺には痛いほど、分かったからな】

「…秋ちゃん…」


悲しげに、寂しそうに微笑んだ秋人を見て、信司の心は、大量の針に刺されたかのような痛みを感じた。 何も言えなくなってしまい、信司が焦りを感じていると、秋人の背後に六つの鳥居が見えることに気付いた。 六つの内の一つは、黒くなってしまっていた。よく見ると三つ目の鳥居も半分近くが黒くなってしまっている。


【この鳥居を潜れば…現世に帰れる。お前は、ここを通って帰るんだ】

「で、でも…祈里ちゃんに、まだ…謝ってないよ…」

【…祈里は、お前のことを許していたよ】

「ほ、本当に…?」


秋人の言葉に、信司は目を見開いた。


【お前は…もう、罪の意識に苦しまなくていいんだ】

「………っ」

【さあ…早く行け。 愛奈おばさんが、お前のことを待ってるぞ】

「母さんが…?」


秋人は、黒い鳥居にもたれ掛かると、視線を三つ目の鳥居へと視線を向けた。 そこには、白い人影が立っていた。信司のことを手招きしているようだった。 信司が、鳥居に近付いていく度に、秋人が黒い鳥居へと吸い込まれていく。


「秋ちゃん!!」

【いいんだ。 俺のことは、気にするな…】

「そんな…!いやだよ!!せっかく、会えたのに…!こんな、お別れの仕方、いやだよ!!」


まだ瞬間移動出来る体力が残っていた信司は、秋人の体を鳥居から引っ張り出すために、力を込めた。 しかし、何度も引っ張ろうとしても、秋人の体を引っ張り出すことが、できなくなってしまった。


【信司。 困ったことがあったら、緋都瀬に、ちゃんと……言うんだぞ…】

「…うん…分かった…!」

【今の…お前なら…大丈夫だ。 真樹枝に、ちゃんと謝れば…許してくれるさ。 それは、一番…お前が分かってるだろ?】

「う、うん…やってみる…!」

【緋都瀬に…伝えてくれ。 俺は、ずっと待っている…と…】

「あ、ああ…!!秋ちゃん!!秋ちゃん!!」


信司の叫びが、虚しく響き渡った。 秋人の体は、完全に、黒い鳥居の中へと吸い込まれていったのであった。


***



――あの後、俺は…母さんに導かれて、現世へと帰ってきた。 目が覚めると、病院のベッドの上にいた。 精神科の先生によると、俺は突然発狂して、窓から飛び降りたらしかった。

飛び降りた先には俺の姿が無かったことで、病院では大騒ぎになっていたらしかった。

俺は、夜神高等学校の中庭に倒れていた所を清掃員が見つけ出したということだった。 鏡野総合病院に運ばれ、5日間俺は目を覚まさなかったらしかった。 峠を越えても、目を覚まさない俺を心配していたのは、まきちゃんだった。

毎日お見舞いに来て、枯れそうになっている花を買い直したり、汗を拭いたり、手を握ったりしてくれていたそうだ。

時には、消灯時間ぎりぎりまで、俺の傍にいてくれたこともあったそうだ。

緋都瀬から今まであったことを聞いた信司は涙が止まらなかった。 逆に真樹枝に、そこまでしてもらう理由が信司には分からなかった。


「なんで……そんなこと言うの?」

「だって…俺は…!!まきちゃんに…あんな顔をさせて…!寂しくて、悲しい思いをさせたのに…! まきちゃんに、そこまでしてもらう資格なんて……ないよ…!」

「信ちゃん…」


緋都瀬は困ったように眉を下げながらも、信司の背中をさすっていると――扉がノックされる音が聞こえてきた。


「はい」

「失礼します…」

「まきちゃん…!」

「信ちゃん…!!よかった!!本当に、よかった!!」

「おっと…!」


真樹枝は信司の姿を見ると、一目散に車椅子をこぎ出し、司の元までやって来た。 緋都瀬は、真樹枝が、転ばないように車椅子を止めた。 彼女は緋都瀬にお礼を言うと、信司の手を握ろうとしたが――


「……俺なんかに、触ったら、ダメだ…!!」

「どうして? だって、信ちゃんの手はあったかいよ?」

「………っ」


真樹枝の姿を見ないように、信司は体を半分窓の方へと傾けた。真樹枝は気にすることもなく、信司の手首にそっと手を添えた。


「信ちゃんが、《あの事》で…わたしを傷つけたと思ってるのなら…それは、違うよ」

「……え?」


信司が、少しだけ真樹枝の方を振り返ると…彼女は、笑って言った。


「嬉しかったの。信ちゃんが、一生懸命写真を撮ってきたことが…とっても、嬉しかったの」

「――」

「確かに…わたしは体が弱くて…《当たり前の日常》は送れないけど…それを誰かのせいにしたり、恨んだり、憎んだりはしてないの。

むしろ…ひーちゃんや、信ちゃん、玲奈ちゃん、羽華ちゃん、秋ちゃん、祈里ちゃんが…楽しくて、《当たり前の日常》を送ってくれているだけで、わたしは、とっても幸せな気持ちになるの」

「……まきちゃん…」

「………」


真樹枝の言葉に――信司と緋都瀬は胸が締め付けられる思いだった。


「だから、そのためにも…また、みんな一緒に笑えるように…秋ちゃんと真樹枝ちゃんを…《悪い鬼》さんから助けてあげようよ! と言いつつも…わたしは、ひーちゃん達を応援したり…調べ物をすることくらいしか、出来ないけどね」

「…ありがとう…まきちゃん…! 俺、頑張るから…!秋ちゃんといのりちゃんを助けるために…頑張るよ…!ひーちゃん…!」

「ああ…そうだね…! 絶対に…二人を助け出せるように、頑張ろう…!!」

「うん!」


信司の手の上に真樹枝の手と緋都瀬の手が、重なった。 それは、三人の絆は、より一層深まったことを意味していたのであった。




***


【真戸矢 信司編】END


next→ 【篠原 玲奈編】へ続く。

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