第16話 オリジナルフォーズ

 部屋の中は、カビ臭かった。地下だから多少は致し方ないところはあるだろう——というのを差し引いたとしても、鼻を突く臭いには逃げ出したくなる程だった。


「……ここは」


 真っ暗な空間だった。

 入ってから直ぐにライラが足下に炎を宿した。これは召喚術の一つである、精霊を召喚したのだ。召喚術という分野そのものが衰退してしまってはいるが、このような初歩的な術式であれば、今でも使用出来る人間は居る。見る機会そのものは殆ど喪われてしまってはいるが。


「ありがとう。お陰で躓かなくて済む。……しかし、召喚術が出来たんだな? そんな素振りを全く見せることはなかったのに」

「見せる訳がないでしょう。何のために城に潜入していたのか、分からなくなる」

「それもそうか」


 しかし、ライラも召喚術が使えるということは、やはりハイダルク王家の血筋を引いているのだろうか——レーデッドはそう思っていたが——、

 ——部屋の中心に存在する『それ』を見て、思考が停止した。

 そこにあったのは、異形だった。

 正確には、人間を含めた様々な動物の肉体が合体した何か——その一部。

 何故人間と分かるかと言えば、人間の頭部と思しき物が、その異形からぽこっと浮かび上がっているからだ。

 そして、それは見ている者が覆わず吐き気を催すような、言葉にし難い気持ち悪さがあった。


「……こ、これはいったい?」


 何とか吐き気を我慢して、レーデッドは問いかける。


「オリジナルフォーズ、その残滓」


 メアリーは淡々と、解答だけを述べた。


「オリジナルフォーズ……。先程のメタモルフォーズとは違うのですか?」

「鋭いね。確かにその通りで、メタモルフォーズはオリジナルフォーズとは違う。いや、正確に言えばメタモルフォーズの起源オリジナルである存在——とでも言えば良いのかな?」


 メタモルフォーズの起源。

 そんな存在がどうしてここに。


「いや、でもさっき残滓——って言いましたよね。つまり、本体はもうここには存在しない、と?」

「本体は、二百年以上前に倒しました。わたしと、ルーシー……そしてフルの三人で」


 ならば、ここにあるそれは? レーデッドは首を傾げる。


「オリジナルフォーズは確かに倒された。しかしながら、その残滓は残っていた。メタモルフォーズが異形と呼ばれる所以は、人間を含めた様々な動物が合体した存在だったからです。中には、定着が成功した存在もありました。けれども、それは意識が一つしか存在しなかったからだと——SALの報告には上がっています」

「意識が一つだけ?」

「例えば、犬と人間が合体したとしたら、意識は幾つあると思う?」


 言ったのはライラだ。

 意識——そう言うが、難しい概念であることには変わりはない。

 或いは、魂と言い換えても良いかもしれない。


「二つ、じゃないか? 一人と一匹が合体すれば、という前提条件ではあるが」

「ご明察。では、その意識には上下があると思うかな」

「上下……」


 考えたこともない。

 そもそも人間であろうが何であろうが、一つの肉体には一つの魂しか含まれない。

 だから、意識——もとい魂の上下など、一度たりとも考えるはずがないのだ。


「難しい話でしょう。それは否定しません、けれども……、実際にそれを実施するとなると、意識が混濁し正常な行動を起こせないと言われています。勿論現代においてそんな研究は出来ません。色々と面倒臭い時代ではありますからね。しかしながら、二百年前は違った。三つの国がそれぞれ対立し、科学大国を誇ったスノーフォグは旧時代の技術に頼ったのですから。倫理観など、その研究者には存在しなかったのでしょう。だからこそ、表向きは錬金術の研究としておきながら、そういった非人道的な研究も行っていたのですから」


 レーデッドは、何も言えなかった。

 今そんな研究をしていると少しでも表に出してしまえば、国民からのバッシングは避けられない。戦いがなくなった平和な世界だからこそ出来る議論ではあるのだろう。

 しかし二百年前は違う。世界崩壊の予言がなされ、いつ予言の勇者が訪れてもおかしくない時代だ。唐突に世界が終わってしまう日だってやって来るかもしれなかった——そんな時代。


「非人道的な研究……」

「そう。それこそが、メタモルフォーズの『人工的な生成』でした」


 メタモルフォーズの人工的な生成。

 簡単には言っているが、その言葉の意味をレーデッドは理解し切れていない。


「メアリーさん、もう少し分かりやすく説明した方が良いのでは?」


 ライラの助け船もあり、メアリーは首を傾げつつも、さらに説明を続けた。


「メタモルフォーズというのは、旧時代の技術、その最終結果でした。つまり、旧時代は今まで以上に科学技術が発展していた世界である、その証左とも言えるでしょう。殆ど残っていない古文書を見た限りでは、そう書かれています」

「リュージュはそれを悪用した、と?」

「ええ、その通り。リュージュはそれを見つけ——悪用した。旧時代の技術を操ろうとした。だから、オリジナルフォーズを目覚めさせた……」


 メアリーは沈黙する。

 しかし、と言ってさらに話を続けた。


「オリジナルフォーズは完全に封印した。一人の人間の、全ての記憶を犠牲にして——ね」

「全ての記憶?」

「レーデッド。貴方は何故魔術や錬金術を行使できるか、知っていますか?」

「何故、って……」


 レーデッドは自らの知識を思い起こす。


「確か、魔術に関しては元素の力を借りる……でしたよね。だから元素が存在しない場所では、原則的に魔術を行使することが出来ない、と」

「はい、そうです。では、その原則を無視した『知恵の木の実』は——いったい何から出来ていると思いますか?」

「いや……」

「記憶エネルギー」


 言ったのは、ライラだ。


「生きとし生けるもの全てが持っている記憶、それはエネルギーとしても使うことが出来る……。この星の記憶エネルギーが莫大であり、そう簡単には使い切れません。しかしながら、貯めることには限界がある。その限界を吐き出すために、知恵の木が生まれ——木の実が成っていく。それが知恵の木の実です」

「知恵の木の実を使うと、どんな魔術でも使うことが出来たはず——あれは?」

「それこそ、記憶エネルギーを活用した結果です。記憶エネルギーはどんな物にも代えがたい唯一無二のオールマイティ。普通の人間ではそれを使おうとは思いもしませんが」

「?」

「当たり前でしょう。人間の記憶は、惑星のそれと比べると極小です。そして増やすこともあまり出来ませんから。まあ、SALはそれすらも人体実験で成し遂げようとした記録が残っていますが……」

「人間の記憶を——抽出しようとしたのか? 記憶エネルギーの純然たる存在にしようとして」


 レーデッドもだんだん物事が理解出来てきたようだった。

 しかしながら、それでも未だ話には終わりが見えない。


「漸く、話の流れが掴めてきましたね?」


 メアリーは肯定も否定も、明確にはしなかった。

 さりとてその回答は、どちらかと言えば話そのものを肯定した方であると言えるだろう。


「人間一人の記憶というのは微々たるものです。ですから、それを魔術に使ってしまったなら、それほど時間もかからない内に、全ての記憶を使い果たしてしまうことでしょう。使い果たしてしまった後はどうなると思いますか?」

「どうなると、って……。いや、でも人間は記憶を新たに補充することは出来るはずだし」

「そうですね。記憶を使い切らなければ、という前提条件がありますが」

「え?」

「記憶を司る機関、それと脳は綿密な関係になっています。記憶を使い切ってしまうと、何故だか分かりませんが、脳にダメージを与えてしまうのです。記憶を司る機関が、存在しない記憶を引き出そうとして、エラーを出してしまうのだとか。それを繰り返してしまうと、悪影響を与えてしまう……」

「そんなリスキーなこと、しない方が良いのではないですか? 幾ら記憶エネルギーで生み出せる魔術や錬金術が素晴らしいものであったとはいえ……」

「だから、」


 メアリーは続けた。

 最初から、そういう流れであったかのように——ひどく自然に。


「だから、人間の記憶を抽出して知恵の木の実を人工的に作り上げようとしたのですよ——抽出されてしまった人間が廃人になってしまう危険性は、十二分にあったはずなのに」

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