魔法世界のかけ橋
石上三介
第1話 得るもの、失うもの
2445年、4月29日。
朝日が山脈から顔を出し始めた頃、東京のとある山奥で2人の少年が向かい合っていた。まるで、これから決闘でも始まるかのように。
「今日もいい天気だな、ガル」
とは言ってもその気があるのは片方の少年だけであり、こちらの少年[
「相変わらず舐めてんなテメェ」
一方で毒を吐くこの少年[
「別に舐めてない。退屈したら癖で空を眺めてしまうんだ」
「やっぱ舐めてんじゃねーか!」
「あ、綺麗な花咲いてる。水あげよ」
「《生活魔法》水」
蒼埜がそう唱えると手のひらに魔法陣が発現し、そこから水が出てきた。まるでジョウロのようだ。
「こいつ……」
鋭いツッコミを無視して花に水をやる蒼埜に、諦めの色を見せるガル。しかも寸前まで空を見ていたのが余計に腹立たしい。
「そういえばじいちゃんは?」
「はぁ…。…ジジイならさっき北の方に走って行ってたぜ」
「誰がジジイじゃ」
「うおっ!」
突如頭上から声がして驚くガル。そこにはりんごを貪っている1人の老人がいた。
「おい!頭に立つんじゃねぇ!」
「おっと」
咄嗟に殴りかかるガルだが、あっさりと躱す老人。宙で一回転し、軽やかに蒼埜の前に着地した。
立派な髭をこしらえたその容姿は80歳くらいに見受けられるが、それにそぐわぬ動きを見せる。
「ちっ!」
髪の毛をパンパンと払うガルをよそに、蒼埜と老人は話を始める。
「おはようじいちゃん。どこに行ってたの?」
「ちょっと旧友に会いにのぅ」
「ふーん。じいちゃん友達いたんだ」
「失礼な奴じゃな」
話を交わすうちに、蒼埜の視線は鮮やかな赤色を纏うりんごに注がれていった。
「……このりんごはやらんぞ?」
あまりに輝きを放つ蒼埜の目に一瞬たじろいだが、きっぱり断るじいちゃん。
「なんで?」
「…旧友からの餞別だからな」
──その言葉を聞いた瞬間、蒼埜の目から輝きが消えた。
餞別
それはただの別れではない。
今生の別れである。
「おい、さっさとやんぞ」
少し重くなった空気を切り裂くようにガルが蒼埜に声をかける。
「分かった」
改めて向かい合うガルと蒼埜。
どうやら本当に決闘が始まるらしい。
いや、正確に言えばこれは訓練である。
「今日はわしも参加しようかのう」
そう言いながらじいちゃんはガルの隣に並ぶ。ガルとじいちゃん、蒼埜の2対1の構図だ。
爽やかな朝に相応しくないピリリとした空気が場を占める。互いに視線は逸らさない。
「あ、この花は避けて──あれ?」
一瞬目を離した隙に、目の前からガルが消えてることに気づく蒼埜。
「《固有魔法》硬化。おらっ!」
【硬化:自由に身体の部位を硬化できる】
「おっ」
瞬間、蒼埜は背中に衝撃を受ける。そこには右手握り拳を振り下ろしたガルがいた。
その右手は魔法で黒っぽくコーティングされている。因みに硬さは岩と同じくらい。
「お、蒼埜。そんなにワシと抱きつきたいの、かっ!」
瞬く間にじいちゃんの目の前まで吹き飛んだ蒼埜。
そんな蒼埜を冗談混じりにじいちゃんは蹴り上げる。
「おーこれは富士山越えかのう」
「ちっ。素であれかよ。つくづく腹立つジジイだぜ」
「ほっほっ。ガルにはまだ500年早いわい」
「…《固有魔法》強奪。よっ」
【強奪:視界に入るものを奪うことができる。使い方は色々】
じいちゃんが天高く手をあげ、開いていた手のひらを閉じる。
………
しかし何も起こらなかった。
「おい。それはもう使えないだろ」
「…最後の悪あがきじゃ」
そう吐き捨てたじいちゃんは、地面を強く蹴り天高く跳ぶ。
次の瞬間地響きが起こった。
ガルの足元を見ると、人型の穴ができていた。底が暗くて見えないほどに深い。
じいちゃんが天空から蒼埜を叩きつけたのである。
「よっと」
じいちゃんが音も立てず地面に着地する。
「おいジジイ。これじゃ訓練にならないだろ」
「まあ良いじゃないか」
「蒼埜はもう問題なく普通の人として生きていける」
「……本当に野に放つのかあいつを」
「ああ。むしろ今まで山奥に幽閉していたのが申し訳ないくらいじゃ」
「……」
2人の間に沈黙が落ち静かになった空間に、少しこもった衝撃音が訪れた。
「お、花無事で良かった」
「それで2人は何の話してるの?」
2人が声のした方に目を向けると、土まみれの蒼埜が穴から這い出てきた。
──無傷で。
「おう蒼埜。ブラジルまで行ったか?」
そう問いかけるじいちゃんの眼差しに先程までの真剣さはなく、いつものふざけた調子に戻っていた。
「全然。多分山の麓くらい」
山奥に住んでいるとはいえ、じいちゃんから勉強は教わっていたため、蒼埜はある程度の知識は持ち合わせている。
そして蒼埜はじいちゃんのつまらない冗談に慣れっこなので、適当に返事をした。
「よし、じゃあもう少し訓練を続けるかのう」
そうして再び訓練が始まる。
1輪の花が静かにそれを見守った。
◇
23時30分。
夜の帳が下り、元々静かな森がより静寂に包まれる。
山奥には光源が何もないためとても暗い。ただその分、星はとても綺麗に見える。
じいちゃんはその星空を眺めるべく、山小屋から少し歩いたところにある小岩に腰を下ろした。
「実感が湧かないのう」
「──今日が終わるとワシは死ぬのか」
今日死ぬ。普通自分の死ぬタイミングがここまで正確に分かることはあり得ない。
しかしこの言葉に嘘偽りはない。
「綺麗だね」
「そうじゃな」
暫くして山小屋から出てきた蒼埜が、じいちゃんの横に座る。
「何でじいちゃんはよく空を見上げるの?」
蒼埜の空を見上げる癖はじいちゃん譲りである。
「……内緒じゃ」
「何それ気になる」
「まあ、いずれ教えてやるわい」
「……今日が命日なのに?」
蒼埜の言葉に薄く微笑むじいちゃん。
「…誕生日が終わった瞬間死ぬとは、神様も粋なことしてくれるのう」
「あ、誕生日おめでとう」
「今思い出したじゃろ」
「うん」
「蒼埜……お主絶対彼女できんな」
普段のようにたわいない会話をする2人。ただ内容は決して明るいものではない。
少し間を置いて、じいちゃんは真剣な眼差しをして話を続ける。
「蒼埜、ワシは今日死ぬ」
「そして明日お主は山を降り、外の世界で自由に生きる」
「うん」
「……3つ、伝えておきたいことがある」
「ガルもよく聞いておけ」
「え、どこにいるのガル」
蒼埜はそれに気づかずにキョロキョロと辺りを見回している。
「南西方向約10メートル。木の後ろじゃ」
(ちっ。完全に気配を消したつもりだったが、これでもダメかよ)
じいちゃんの指摘通り木の後ろにいたガルは、心の中でじいちゃんに舌打ちをした。
「では気を取り直して」
「1つ。1で100を、100で1を決めつけないこと」
例えば、A組織に所属するBという奴が悪いことしても、A組織が悪い組織だと決めつけてはいけない。
逆にA組織が悪いことをしても、Bが悪人だと決めつけてはいけない。
そのようなことをじいちゃんは伝えたい。
「耳タコ」
「それだけ大事だということじゃ」
そう語るじいちゃんの目は力強く、そしてどことなく寂しげな色を宿していた。
「2つ。力はよく考えて使うこと」
「うん。もう大丈夫」
じいちゃんの目はより寂しさを増す。
「そして3つ目」
じいちゃんの目は先程と打って変わって輝きを放つ。そして星空を改めて見上げる。
「──この世界は蒼埜が思ってるよりず~~っと広い」
何かを懐かしむように優しく笑うじいちゃん。
外の世界に対してより期待を膨らませる蒼埜。
眉をピクッとさせるガル。
この時3人は、三者三様の気持ちを抱いていた。
「そうじゃ」
突然じいちゃんは何かを思い出したようで、作務衣の内ポケットから何かを取り出す。
「これを蒼埜にやる」
「これは……ペンダント??」
蒼埜が受け取ったのはペンダント。黒のゴムチェーンの先には、少し厚めの円形の装飾が施されている。
その装飾は、腕時計の胴の部分と同じくらいの大きさだ。
そして1つ不思議なデザインが見て取れる。
「この勾玉みたいな凹み何?」
そう、この装飾の表面には2つの勾玉が円を作っている。しかしそこには本来埋め込まれていたはずの勾玉がなく“型”になっている。
「秘密じゃ」
「秘密ばっかりだねじいちゃん」
「ほっほっ。全て教えてしまってはつまらんだろう?」
「それもそうだね」
これから蒼埜には、出来るだけ偏りなく未知の世界を自由に旅して欲しい。そんなじいちゃんの願いだ。
残り5分で日付が変わる。その時は刻一刻と迫っている。
「あともう1つ渡すものがあっての」
そんな中でも焦らずいつも通りのじいちゃん。
「ほい」
「ん?手紙?」
「そうじゃ。裏に書いてあるその場所に行き、その人に渡して欲しい」
蒼埜は受け取った封筒の裏を見る。
「『
「最初は特に行く宛がないだろうからそこに行くといい。まあ無理にとは言わないがせめて手紙だけでも……ってその心配は必要なさそうじゃな」
話しながら蒼埜の方を見たじいちゃんの目に映ったのは、鮮やかなネイビーブルーの瞳に浮かぶ眩しい一等星だった。
「そんなに目をキラキラさせて、相変わらずの好奇心じゃのう」
そう言いながら蒼埜の頭を優しく撫でるじいちゃん。
優しいような、そしてどこか儚いようなそんな表情で蒼埜を見つめる。
そんなじいちゃんを蒼埜は見つめ返す。
「ごめんじいちゃん。俺のために…」
「いや、謝るのはワシの方じゃ」
「…なんで?」
「秘密じゃ」
「また?」
2人は顔を見合わせて微笑み合う。
月が雲に隠れる。いよいよ真っ暗だ。
「あと、今まで育ててくれてありがとう」
「礼を言うのはワシの方じゃ。死に時が分かるなんて、こんなに良い死に方は他に無いわい」
「そこ?」
「ほっほっ」
「……」
トン
蒼埜は太ももに軽い衝撃を受ける。
「……」
「死んだか?」
「うん」
蒼埜は声のした方に振り返る。
月が雲から顔を出す。
ガルの目に蒼埜の顔がはっきりと映る。
「……」
──何もない。
眉と目と鼻と口がそこにあるだけ。
「寝ようか」
「…そうだな」
蒼埜はじいちゃんを担ぎ、ガルと山小屋へ向かった。
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