第2話 天ヶ瀬は買いたい

 耳を疑う、というのはこういう状況に使うのだろう。

 耳に飛び込んできた言葉を、私は一言一句として聞き逃してはいない。

 にもかかわらず、私の脳は天ヶ瀬の発した言葉を頑なに理解しようとしなかった。

 処理が追いつかず呆然とする私にしびれを切らしたのか、天ヶ瀬が再度口を開いた。


「だんまり、ですか。謝罪どころか、言い訳すらないと」


 先ほどの怒りを孕んだ大声とは異なり、今度は嫌悪感を多分に含んだじっとりとした物言いだった。その目は、正しく汚物を見るような蔑んだものだ。

 まさか同い年の女の子に、こんな目線を向けられるなんて。

 しかし、だ。

 なんて返せばいいんだろう。


『私のお父さんとエッチなことするの! やめてください!』


 要するに、天ヶ瀬は私がパパ活に及んでいることをどこかで知ったのだろう。

 そして、その相手が自分の父親であった。

 天ヶ瀬の言葉からは、そこまで読み取れた。

 だけど、読み取れたからといって返事が思いつくわけではない。

 ……まあいい、とりあえずシラを切ってみよう。


「えっと、ごめん。何のことかわからなくて」

「はい?」


 渾身のすっとぼけだったのだが、天ヶ瀬の眉は更に釣り上がりその目線は厳しを増した。

 どうやら天ヶ瀬は適当を言っているわけじゃなく、確信を持っているらしい。

 まあ、でなければクラスメイトにあんなことは言えないか。


「えっと、天ヶ瀬……だっけ」

「はい」

「……どこでそれを知ったの?」

「尾行しました」

「あー、自分の父親を?」

「はい。そうしたら、見覚えのあるお顔の女の子とホテルに入って行きましたので」


 見覚えがある、という点を強調しながら天ヶ瀬は言った。

 なるほど、ホテルに入る現場を押さえられたらしい。それならば、私に対してこんな態度を取ってしまうのも無理はない。

 加えて、決定的な証拠を握られている以上、どうあがいても誤魔化すことはできなさそうだ。


「ちなみに、いつのこと?」

「昨日です」

「ってことは……」

「あれが、私の父です」


 昨日と言えば、例の太客が相手だった。

 私と同い年の娘がいるなどというタイムリーな話もしたところだ。

 それがまさか同じ学校で、ましてやクラスメイトだなんて思いもしなかったけれど。

 もっとも、天ヶ瀬の方が驚いたとは思う。

 自分の父親が買春をしていて、その相手がクラスメイトだなんて。

 よく気を動転させず、こうして私に面と向かって糾弾できるなと感心すらしてしまう。 

 

「お話は理解していただけましたか?」

「ま、まあ」

「そうしたら、金輪際お父さんと会うのはやめてください」

「あ、あぁー……」

「……なんですか、その煮え切らない返事は」

「うん、いや天ヶ瀬の言いたいことはよくわかるんだけどさ。こっちにも、事情があるっていうか」

「事情? 知りませんよ、貴方みたいな売春婦の事情なんて」


 売春婦……いやまあ、天ヶ瀬は何も間違ったことは言っていない。だけど、同い年の女の子に売春婦呼ばわりされるのは、少しだけ心にきた。


「いいですか? 碓氷さんにどんな事情があるかなんてどうでもいいんです。肝心なのは、お父さんが捕まってしまう可能性があるところだけなので」

「……なら、私じゃなくてお父さんに頼めば? 女子高生を買うのはやめろって」

「意地悪ですね。実の父にそんなこと言えるとでも?」

「……さあ?」


 これは何もすっとぼけたわけではない。本当に想像ができないだけだ。

 だけど天ヶ瀬は私の反応を煽りと受け取ったらしい。


「いいんですよ? 碓氷さんが売春してるって、学校や警察に言っても」

「それ、漏れなくあんたのお父さんも芋づる式でお縄にかかるけど」

「……」


 天ヶ瀬がやたら強気なせいで勘違いしそうになるが、イニシアチブは私が握っていると言って差し支えない。

 結局のところ私は学生で、天ヶ瀬の父は社会的立場のある大人だ。

 この話が公になって致命傷を負ってしまうのは、天ヶ瀬の父であり天ヶ瀬自身だ。天ヶ瀬が、父を守りたいのなら余計に。


「じゃあ、どうすればいいんですか」


 立場を理解したのか、天ヶ瀬は譲歩を選んだようで私の意見を求めてきた。


「どうって言われても」

「そもそも、碓氷さんはどうして売春等を?」

「お金欲しいから。それ以外にある?」

「お金、ですか」


 私の言葉をゆっくりと咀嚼するように天ヶ瀬は繰り返す。

 そして、消化し終わったのか真っ直ぐに私を見つめて宣言してきた。


「だったら! 私が碓氷さんを買います!」

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