パパのお仕事
「ねえ、暎人、いつまでお風呂場にいるの?」
「ちょっと待って。今、作ってるの」
「『作ってる』って何を?」
「ヒミツのお薬」
なんだそれは――と思い、私は化粧水のボトルを洗面台に置き、お風呂場の様子を確認する。
すると、暎人は、タイルの上に座り込み、私のシャンプーを繰り返しプッシュしている。そして、プラスチックの桶の中に、ドロドロの液体を溜め込んでいるのである。
私は、体に巻いているバスタオルを押さえながら、風呂場まで駆ける。
「瑛人、ちょっとやめてよ! 高いんだから!」
子ども相手にこんなことを言っても仕方ないとは分かっていても、思わず口に出してしまう。なんたって、一本五千円近くする、ノンシリコンのシャンプーなのだ。
私の手がシャンプーのボトルに届く直前で、瑛人は、最後のあがきでシャンプーをさらに三回素早くプッシュする。
その三プッシュで、果たして何円分が無駄になったのだろうか――
「ママ、邪魔しないでよ! ヒミツのお薬が作れないじゃん!」
暎人が私の顔を見上げ、睨みつける。目は潤み始めていて、今にも泣き出しそうである。
私は、左手に確保したシャンプーを背中に隠しながら、右手で浴槽のヘリのあたりを指さす。
「シャンプーならそこにもあるでしょ。そっちを使って」
私が指さしたのは、辰一郎のシャンプーである。スーパーで三百円くらいで売っているやつだ。
「パパのじゃダメなの! ママのじゃなきゃダメなの!」
訳の分からないこだわりを叫んだところで、ついに瑛人が泣き始める。
とはいえ、私の高級シャンプーを差し出す気にはなれなかったので、代わりに、瑛人に質問する。
「そもそも、その『ヒミツの薬』って何なの?」
「ハンニンにジハクさせる薬だよ」
「は?」
そんな物騒な言葉、一体どこで覚えたのだろうか――
――辰一郎に違いない。
辰一郎が、暎人に、自らの仕事のことを面白おかしく話しているのだろう。そうじゃなきゃ「犯人」も「自白」も、三歳児が学ぶ機会のない言葉であるはずだ。
「この薬を使って、ジケンをカイケツするの! ボクはメイタンテイなんだから!」
――やはりそうだ。完全に辰一郎の仕業である。
私は、暎人を優しく抱きかかえる。
「暎人、探偵ごっこはやめようね。ロクな仕事じゃないんだから」
これも子どもに言っても仕方ないことなのかもしれないが、どうしても口に出さずにはいられなかった。
「ママも昔はタンテイだった、ってパパが言ってたよ」
あの男は、暎人に、そんな余計な情報まで教え込んでいるのか――
「だから、ボクにもタンテイのサイノウがあるんだって」
「ううん。暎人はもっとちゃんとした仕事に就いて、ちゃんと社会に貢献するんだよ」
私は、私の身体に巻いていたバスタオルを外し、そのタオルで暎人の身体を優しく拭く。
よくもまあ、私の知らない間に教育的に悪いことを暎人に吹き込んでくれたものである。
もしかすると、辰一郎は、暎人を将来探偵にしようなどという謀略を有しているのかもしれない。
それだけは、絶対にさせない――
「ママ、パパは今お仕事でいないんだよね?」
「……多分」
「じゃあ、タンテイを頑張ってるのかな?」
はあ――
ため息しか出ない。
私が、辰一郎に文句を言ってやろうと思いたったタイミングと、台所の方からスマホの通知音が聞こえたのとはほぼ同時だった。
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