ふざけた男
「ママ!」
私の姿を見るやいなや、半ズボン姿の
この光景を見ると、仕事の疲れが全て吹き飛ぶような気がする。
そして、暎人同様、私までも自然と笑顔になる。
「ママ!」
暎人が、裸足のまま、私のいる園庭に飛び出して来そうになったので、私は、暎人の方へと駆け寄る。
そして、縁側で、暎人の両脇に手を入れ、抱きかかえる。
「暎人、靴を履かなきゃ」
「ママ、靴はあっちだよ」
暎人が、指差したのは、玄関の方ではなく、園庭の土が盛り上がり、山となっているところである。たしかにその頂上に、見覚えのある青い靴が一足置いてあった。
「どうしてあんなところに靴があるの?」
私の呆れた顔を見て、暎人は、嬉しそうにキャッキャと笑う。
三歳の子どもというのは、大抵こういう生き物なのだ――と思う。
イタズラ好きで、他人の困ってる様子を見るのが、楽しくて仕方がないのだ。
私は、暎人を抱えたまま、靴を取りに行くために、山を登る。
傾斜は三十度くらいあるだろうか。意外と急である。私が足を滑らせそうにしているのを見て、暎人は、さらに大きな声で笑う。
同い年の子どもは、皆そうなのだ――
決して、あの男に似てしまったわけでは――
「パパは?」
暎人に心を読まれたのかと思い、一瞬だけ動揺した私は、手に掴んでいた靴を思わず離してしまう。二つの靴は、傾斜に沿って、しかし、それぞれ別々の方向に転がっていく。
私は大きなため息をついてから、小山を降り、靴をひとつずつ拾っていく。
「ねえ、ママ、パパは家にいるの?」
「今日はいない……と思う」
少なくとも、今朝の段階では、家にはいなかった。そして、ここ三日間、一度も家に帰ってきていない。
一ヶ月間ずっと家にいるかと思えば、数日家を空けて帰ってこないのが、あの男の生活スタイルなのである。
それに文句を言うと、あの男は、必ず「俺の仕事はそういう仕事なんだ」と弁明するが、いつも怪しいなと思っている。
別に浮気を疑っているわけではない。
あの男が「仕事」と主張しているものが、世間一般的な感覚で言うところの「仕事」なのかどうかを疑っているのである。
「パパ、今日は帰ってると良いなあ」
暎人は、おそらく心の底からそう思っている。
あの男は、家にいる間は子煩悩な父親なのである。
世間が全会一致で認めるであろう、ちゃんとした「仕事」をしている私は、あの男が「家のことは女性がやるものだ」と微塵も考えていないことには救われている。
とはいえ、日頃子どもの面倒を見ていれば、ある日突然何も言わずに家を飛び出して、数日間家を留守にしても許されるのかといえば、私はそれは違うと思う。
今日も、保育園にお迎えに行くために、予め入っていた仕事の予定を前倒しするなど、面倒な調整を強いられたのだ。
ただ、仮に、あの男が家に帰ってきていたとしても、そのことについて文句を言うつもりはない。
そんな文句を言っても、あの男――
「名探偵の妻というのはそういうものだよ」
私――
きっと、辰一郎は、そんな私の表情を見て、こう言い放つだろう――
「ねえ、ママ、どうしてそんな怖い顔をしてるの?」
「……え?」
私は、見開いた目で、胸元にいる暎人の顔をじっと見る。
我が子は、人の心が読めるのか、それとも、本当にあのふざけた男に似てしまったのか――
暎人は、親の注目を得られたことが嬉しいのか、私の腕の中で、短い手足をジタバタさせて、「ママ、ママ」とはしゃいだ。
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