名探偵の妻

菱川あいず

第一章

最期

 最初、飲み込んだ紅茶が誤って気管支に入ってしまったのかと思った。


 しかし、胸の異物感は、すぐに痛みに変わり、瞬く間に全身に広がった。


 俺は、背もたれ椅子から転げ落ち、フローリングの床に疼くまる。



「カアッ……クハア……」


 俺の身体は、本能的に、飲み込んでしまったものを吐き出そうとするが、出てくるのは唾液だけである。



「どうかしましたか?」


 そう尋ねたのは、先ほどまで俺の対面に座っていた人物である。


 その人物は、倒れている俺に歩み寄りながら、渇いた声で言う。



「ご体調が悪いのですか?」


 俺の様子が尋常ではないことは、一目見れば分かるはずである。


 それなのに、その人物は、まるで健康診断の問診で予め決められた事項を質問する医者のように、機械的に訊いてくるのだった。



「……く、苦しいんだ。身体が痛くて、息もできない……は、早く救急車を呼んでくれ……」


 俺が震えながら伸ばした手を、その人物は、あろうことか蹴飛ばした。


 

 そして、呆然とする俺を見下ろしながら、不敵な笑みを浮かべる。



「アハハ。これが探偵バロックの最期か。拍子抜けにもほどがあるな。アハハ」


 雰囲気も、口調も、今までとは一変している。



「……ど、どういう意味だ?」


「それくらい自分で考えろよ。名探偵なんだろ?」


 そう言って、その人物は、今度は俺の背中を足で踏み付ける。


 痛みは感じない。それどころじゃない、灼熱のような痛みが、すでに全身を覆っているからである。



「……ま、まさか、君が俺に毒を……」


「そうに決まってるだろ。を紅茶に混ぜたんだ」


 「例の毒」と言われてピンとくる毒は一つしかない。

 俺は、その毒を巡る奇怪な事件の調査の真っ只中にいるのだ。


――否、真っ只中にのだ。



「……ど、どうしてそんなことを……」


 俺の問い掛けに、その人物は、アハハと高笑いをする。



「まだ分からないのかい? 本当に哀れだね。名探偵を名乗る君が、最期の最期まで事件の真相に気付かないだなんて!」


「……ま、まさか、君が……」


「もちろん。一連の事件の犯人だ。アハハ」


 笑われても致し方ない。


 実際に俺は、この人物が怪しいだなんて微塵も思わず、こうして家に招かれ、無警戒に紅茶までいただいてしまったのである。猛毒入りの紅茶を――



「……ろ、ろうして、き、きみ……が……?」


 舌がもつれて上手く動かない。もう毒は脳の中枢まで回っているのだ。



「『どうして?』? そんなの決まってるだろ」


 その人物は、俺に唾を吐きかけるようにして言う。



「そんなの教えるわけがない。名探偵なら自分で考えろ」


 そんなことを言われても、もう頭を動かすことはできない。


 視界も徐々に狭まってくる。



 そして――


 俺は、事件の真相を暴く半ば、命を落としたのである。


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