妖精女王の住む山 7
夜。
空には、キラキラと、信じられないほどたくさんの星が瞬いている。
よく星を宝石に例えることがあるが、なるほど、山の上で見る星は確かに宝石かもしれなかった。そのくらい綺麗なのだ。
そんな星々がきらめく中、ユーインの髪色のような柔らかい金色の月が輝いている。
(そろそろ、かしら)
見れば、湖の上で妖精たちがくるくるとダンスを踊っていた。
焚火のそばで、ユーインがすやすやと寝息をかいている。
エマはユーインを起こさないようにそっと立ち上がると、ポリーに火の番を頼んで湖に足を向けた。
靴を脱いで、そっと足の先を湖に入れる。
(冷たい……)
夜だからだろう、昼に触れた湖の水よりも幾分か水温が低い。
エマは大きく息を吸って、ざぶざぶと湖の中に入っていった。
「大丈夫か、エマ。冷てーだろ」
「ええ、でも平気よ」
妖精たちと話すためには、妖精たちに近づかなくてはならない。
夜の空が映りこんだ暗い藍色の湖に移りこむ月影が、エマが立てた波紋でゆらゆらと揺らめいて見えた。
しばらく歩いていくと、膝下までが湖に飲まれる。
「妖精さんたち」
湖の上で華麗に踊る妖精の一人に話しかければ、彼女はくるくると回りながら答えた。
「あら、あなたわたしが見えるの」
その声を聞きつけて、近くで遊んでいた妖精たちがわらわらと近づいてくる。
「まあ珍しい」
「珍しいね」
「心の綺麗な人間だわ」
「でも今、ちょっと傷だらけね」
「心の傷は妖精女王様にも癒せない」
「人間、何がそんなに悲しいの」
エマは目を見張った。
妖精は人の心の様子がわかるというが、こうもはっきり指摘されたのははじめてだ。
驚くエマに、妖精たちはくすくすと笑う。
「何を驚くの人間」
「月夜はわたしたちのテリトリー」
「満月の夜は力が強くなるのよ」
「わたしたちは悲しみに敏感」
「気づかないはずがないのよ」
「さあ、わたしたちに話してごらんなさい」
「聞いてあげるわ、悲しい人間」
歌うように言いながら、妖精たちがエマの周りをくるくると飛び回る。
エマは胸の上を押さえて、ゆっくり頭を振った。
「違うわ。……わたしのことを話しに来たんじゃないの。そうじゃなくて、エルフの住んでいる場所を教えてほしくて来たのよ」
「なんかしらねーか?」
そっとエマの肩に右の前足を乗せ、アーサーが妖精たちに訊ねる。
妖精たちは顔を見合わせた。
「エルフ?」
「エルフかあ」
「今はどこにいるのかな」
「うーん」
「エルフって言えば王様だけど」
「オーベロン様は妖精女王様と喧嘩中」
「家出しちゃっった」
「どこに行ったのかな」
「エルフの里に里帰り?」
「エルフの里ってどこにあるんだろう」
わいわいとにぎやかに話しはじめた妖精たちの言葉を聞いて、エマはアーサーを見やった。
「妖精王が家出中?」
「妖精女王と喧嘩って言ってたな」
エマは妖精が見えるが、妖精王や妖精女王とはもちろん面識もなければ、どんな妖精なのかもわからない。
妖精たちでも王や女王に面会できる妖精は限られるので、アーサーも知らないだろう。ポリーも仲間内の噂で聞くくらいで、会ったことはないと言っていた。
「なあ、妖精王にはどうやったら会える?」
アーサーが妖精たちに訊ねれば、彼女たちは「うーん」と右に左に首を傾げた。
「どうかなどうかな」
「妖精女王様の許可がないと」
「勝手に会ったら怒られちゃう」
「妖精女王様はとっても焼きもち焼きだから」
「だから妖精王様とよく喧嘩するのよ」
「だから妖精王様は家出したの」
「だから妖精女王様はカンカンなの」
「「「だからよくわかんなーい」」」
結局「わからない」に集約されてしまった。
(でも、つまりはやっぱり妖精女王に先に会う必要があるってわけね)
当初の目的通り、妖精女王と話をする必要があるだろう。
「じゃあ、妖精女王にはどうやったら会えるの?」
「女王様?」
「そうねえ」
「今日は水浴びに来られると思うけど」
「でも注意しないと、カンカンだから」
「ご機嫌斜めなの」
「すぐ怒る」
「……それは困るわね」
エマは考え込んだ。
妖精女王に会えても怒っていては話もできないだろう。
「ねえ妖精さんたち。妖精女王が好きなものはあるかしら?」
「好きなもの?」
「妖精女王様は、うーん、キラキラしたものが好き」
「綺麗なものが好き」
「綺麗な石とか貝殻とか」
「人間の作るものもお気に入り」
「そう……綺麗なものが好きなのね」
だったら、エマがレースで編んだレース編みも気に入るかもしれない。ハベトロットであるポリーの紡いだ絹糸はとても綺麗だし、光にかざすとキラキラと輝くのだ。
「ねえアーサー。コサージュを……いえ、この前完成したベールがあったでしょう? それを取って来てくれないかしら」
「いいけどよ、あれって何日もかけて編んだ大作だろ? めっちゃ高く売れるやつじゃん」
「いいのよ。今は妖精女王に会うことの方が大事だもの」
「わかった、ちょっと待ってな」
ベールを編むのは大変だが、妖精女王を相手にするのだ、エマが今持っているものの中で一番のものを差し出したほうがいい。
ポリーの元まで飛んで行ったアーサーが、ポリーに事情を話してベールを出してもらうと、それを咥えて戻ってきた。
「ありがとう、アーサー。……ねえ、妖精さんたち。このベールなら、妖精女王は気に入ってくれるかしら?」
エマが月光にかざしたベールは、キラキラと輝いている。
蔦薔薇の模様を丁寧に編み上げたベールは、白の糸だけを使ったけれど、光の加減で濃淡を変えるのだ。
妖精たちが手を叩いてきゃっきゃと騒ぎ出した。
「わー、わー、キラキラしてるよ」
「きれいだね、きれいだね」
「妖精女王様もきっと好き」
「おしゃれをするのが大好きなの」
「あ、ほら、見つけたみたい」
「いらっしゃるよ」
「よかったね、人間」
「妖精女王様が会ってくださる」
エマの周りを飛び回っていた妖精たちが、パッと蜘蛛の子を散らすように四方八方に飛んで行った。
エマの目の前で、夜空の満月から一条の光が差し込んだかと思うと、湖に映る月影に向かって伸びていく。
それはまるで、月の光でできた階段のようだった。
その階段の半ばにふっと現れた人と同じくらいの大きさの妖精が、一段、また一段と優雅に階段を下りてくる。
さらさらと揺れる長いトレーンの純白のドレス。
月光のような色の髪は、銀色のティアラと赤い薔薇で彩られていた。
透けるような白い肌に、サクランボ色の唇。
息を呑むほどに美しい妖精女王は、ゆっくりと湖面に降り立った。
瞬きのたびに音がしそうなほど長いまつげを揺らして、妖精女王ティターニアはゆったりとした動作でエマに向き直る。
「人間、わらわに何用じゃ」
エマはハッとして、手に持っていたベールを妖精女王に向かって差し出した。
妖精女王がくいと顎をしゃくると、三人の妖精が飛んできて、エマからベールを受け取り、恭しく妖精女王のもとに運ぶ。
妖精女王がベールを手に取って、じっくりと確認をはじめた。
「ハベトロットの紡いだ絹糸が使われておるな。……見事じゃ」
どうやら気に入ったようだ。
妖精女王が妖精たちに命じて、自身の頭にベールをかぶせてもらっている。
ベールを身に着けた妖精女王は、幾分か目元をやわらげた。
「人間、わらわに用があるのだろう? これに免じて聞いてやろう。話してみよ」
エマはホッとして、エルフの秘薬を求めて、エルフを探していることを告げる。
妖精女王は細くしなやかな指を顎に当てて、ふむ、と頷いた。
「エルフの里は知っておる。……だが、あれらは……ふむ、わらわの使いとすれば問題ないか」
妖精女王は顔を上げ、ベールを撫でながら言った。
「一つばかり条件がある。エルフの里に、わらわの困った夫が家出中なのじゃ。エルフの里に行くついでに、夫を連れ戻してくれぬか?」
(妖精王を連れ戻す⁉)
またすごいことを頼まれてしまった。
エマが困惑していると、妖精女王はころころと笑いながらベールを撫でる。
「それほど難しいことではなかろう? わらわが戻れと言っておったと伝えれば、夫もいい加減戻ってくる気になるはずじゃ。どうせ意地を張って戻って来られぬだけだろうて」
(そ、そうなのかしら?)
妖精王を捕まえて連れてくるのは不可能だが、妖精女王の言葉を伝えるだけならばまあ、エマでもできるだろう。
「わかりました。伝言するだけでいいなら……」
「うむ。頼んだぞ」
妖精女王は満足そうだ。
戻って来いと告げるだけなら自分で告げればいいのにと思わなくもなかったが、妖精女王には妖精女王のプライドがあるのだろう。
エマは結婚していないので夫婦間の問題はよくわからなかったが、こういうのも一種の駆け引きというやつなのだろうか。
「では、そなたにこれを。これが指し示す方向へ向かうとよい。さすればエルフの里にたどり着ける」
妖精女王が妖精に命じてエマに届けさせたのは、大きなムーンストーンだった。
妖精女王はくるりと踵を返すと、月光の階段に片足をかける。
「では頼んだぞ。……ああ、今回はわらわの頼みもあるゆえ、このベールの分は貸し一つにしておいてやろう。困ったことがあれば、また来るがよい」
「え? あ、ありがとうございました!」
妖精女王は最後にエマを見下ろして、優しく目を細めたのち、光の階段ごと煙のように消えてしまった。
「すげーなエマ。妖精女王に貸しってなかなかないぜ? せっかくだし、妖精界にでっかい城でも建ててもらったらどうだー? 人間界に飽きても、そっちで面白おかしく暮らせるぜ?」
「もう、アーサーってば」
エマはくすりと笑って、ムーンストーンを握り締めると、エマは妖精女王の消えたあたりを見上げる。
これで、エルフの秘薬への手掛かりが得られた。
(ユーインの恋人も、エルフの秘薬があればきっと助かるわ。……そうすれば、ユーインともお別れね)
チクリ、と胸の奥が痛んだ気がしたが、それには気づかないふりをしてエマは岸へ戻ろうと振り返り――ぎくりと肩を強張らせた。
振り返った岸にはユーインが立っていて、茫然とした顔でこちらを見ていたからだ。
「エマ……君は一体……」
ユーインのかすれたつぶやきが風に乗って聞こえてくる。
エマは息を呑んだまま、しばらくの間動けなかった。
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