行き倒れの剣士 2

「本当にすまない! 三日前から何も食べていなかったんだ! 助かった!」


 一度宿に戻り、女将さんに頼んでパンを三つと水をもらって男の元に戻ると、男は飢えた肉食獣のような勢いでパンを口の中に押し込んでから言った。

 道の真ん中に座り込んでいたら迷惑になるので、男を連れて宿の前まで移動して、もぐもぐと口を動かす男をしげしげと見つめる。

 無精ひげのせいではっきりとはわからないが、外見から男はおそらく二十歳かそれをいくつか過ぎたくらいの年齢であろうと思われた。

 腰に一本の剣を挿しているから、旅の剣士か傭兵か、というところだろうか。


「変な男だなぁ、おい。エマ、こういう変人にはな、お近づきにならない方がいいぜ」


 アーサーがエマと男の周りを飛び回りながらそんなことを言っているが、エマも、確かに変な男だなとは思う。

 貧乏人が行き倒れたという話なら聞くが、この男が来ている服は、汚れてはいるが元はいいものだ。それなりにお金持ち、もしくはお金持ちだった男であるのは間違いない。


(それなのになんで空腹で倒れたのかしら? そのマントを綺麗に洗って中古服を扱っている店に売れば、それなりのお金にはなるでしょうに)


 金がないなら、空腹で倒れる前に、何か売れそうなものを売ってお金を手に入れればよかったのに、なぜそれをしなかったのだろう。

 アーサーは関わるなというが、むくむくとエマの中の好奇心が頭をもたげた。


「ねえ、どうして三日もご飯を食べなかったの?」

「おいやめとけよエマ。関わるなって。さっさと宿に入ろうぜ」

「アーサー、静かにおし。あたしたちの声はほかの人間には聞こえないけど、エマが困るだろう?」

「ポリーばあさんはうっせーなぁ」

「なんだって⁉ あたしゃまだ若いんだよ‼」

「よく言うぜ」


 エマの周りで、アーサーとポリーがぎゃーぎゃーと言い合いをはじめてしまった。

 エマはこめかみを押さえて、「無視よ、無視。今は相手にしちゃだめ」と自分に言い聞かせながら目の前の男に集中する。

 男は水で口の中のパンを胃に流し込んだ。


「路銀が底をついたんだ。それで……」

「底をついたんなら働くなりそのマントを洗って売るなりすればよかったのに」

「え?」

「え?」


 男がきょとんとして首を傾げたので、エマも思わず同じように首を傾げてしまった。


(もしかしてこの人、働くとか、持ち物を売るとか、そういうことを知らない人なの⁉)


 もとは金持ちそうな男だと思ったが、本当にいったいどこのお坊ちゃんなのだろう。

 エマは家を追い出されるまではここアンヴィル国の隣のブラクテン国の伯爵令嬢だったが、さすがにお金が無くなれば稼がなくてはいけないし、物を売ればお金になることくらいはわかっている。


(……って、まあ、はじめはポリーに教わったんだけど。……そうよね。確かに、お金を稼ぐ必要のない生活をしていたら、お金の手に入れ方なんて知らないわね)


 エマには妖精たちがいたが、男は見るからに一人旅のようだった。教えてくれる人がいなければわからなかったのかもしれないが、だったらなぜ、充分な路銀を用意して旅に出なかったのだろう。エマのように身一つで家を追い出されたりしたのだろうか。謎すぎる。


(ずいぶん汚れているし……食事もとれていなかったのなら、宿もとっていなかったに違いないわね。……仕方ないなぁ)


 このまま、はいさよなら、とここに放置していくのは良心が咎めた。

 こういうのを乗り掛かった舟と言うのだろう。


(幸いにして今日の稼ぎは多かったし、少しくらいならいいわ)


 エマは腹を満たして落ち着いている男に「少し待っていて」と声をかけて、一度宿の中に戻った。

 すると、女将がカウンターの奥で心配そうにこちらを見ている。


「あんた、あんな怪しい男に声をかけたりして大丈夫なのかい?」


 パンと水を受け取ったときにも同じことを言われたので、エマは今回も同じことを返した。


「いい人そうですし、大丈夫ですよ。それよりも、お部屋はまだ空いていますか? 一つお借りしたいんですけど」

「まさか、あいつの部屋かい?」

「宿に入る前に服を着替えてもらうので。あと、大浴場はこの時間ならあいていますよね?」

「……あんた、お人よしって言われないかい?」


 女将があきれ顔をした。

 エマが苦笑していると、女将の周りをアーサーが飛び回る。


「お、気が合うな女将! だろう? エマはいっつもおせっかいなんだ。放っておきゃいーのによー、野良猫とか野良犬とかにも餌をやるし、貧乏人には商品を安く売るしで、どうしようもねーったらねーよ」

(悪かったわね、おせっかいで!)


 ムッとしたせいでちょっと笑顔が引きつってしまったではないか。


「まあいいさ、あんたにはこれをもらっちまったからねぇ……。ただ、宿の中を汚さないようにだけ注意しておいておくれよ」


 女将はそう言って、胸元についているコサージュを撫でた。

 これは、店の前で商売をさせてもらう代わりにエマが女将に上げたレース編みのコサージュだ。女将はこれが気に入ったようで、すぐにその豊かな胸元に飾ってくれたのである。


「ありがとう、女将さん。大丈夫、服を着替えたあとで、大浴場で汚れを落としてから部屋を使ってもらうわ」


 本当は、着替えはお風呂に入った後の方がいいのだが、あの汚れた服で宿の中に入られると女将が困る。

 この旅籠はお金持ちも大勢泊まっているので、評判が第一なのだ。


「なあなあエマ。あんな男を助けたところで一ルースにもならないぜ。考え直せって」


 エマが借りている三階の部屋に向かっていると、アーサーがエマの横を飛んでついてきながらそんなことを言う。


「おせっかいもほどほどにっていつも言ってるだろ? なあばーさんも言ってやれよ」

「誰がばーさんだい‼ それに、エマが優しいのは今にはじまったことじゃないだろ。あきらめるんだね」

「でもよー、エマも一応、うら若き乙女ってやつだろ? 変な男に惚れられて追いかけまわされたら大変じゃねーか。黙ってりゃそれなりなんだからよー」

(黙ってりゃそれなりって、ほめているつもりなのかしら?)


 エマはそっとため息をついた。

 エマは生まれつき暖炉の炎のように真っ赤な髪をしていて、それがちょっとコンプレックスだった。

 瞳は父譲りの茶色だが、両親ともに金髪なのに、どうしてエマだけ赤い髪なのだろうか、と。両親と同じように金色の髪なら素敵だったのにと、何度思ったことか。


(そういえば、あの人の髪も優しい金色だったわね。うらやましいわ……)


 ポリーはエマの顔立ちを目が大きくて愛くるしい顔だと言ってくれるけれど、このくらいの年齢の少女なら、どこかしらの愛くるしさは持ち合わせているだろう。鏡に映った自分を見ても、ひいき目にも美人だとは思えないので、十人並みの容姿であることは間違いない。

 アーサーの「それなり」も「まあ普通」くらいの意味あいに決まっている。

 エマは三階の部屋に入ると、旅行鞄の中から一着の男物のシャツとズボンを取り出した。


「おい、エマ……」


 アーサーがギョッとするが、エマは服を抱えて微笑む。


「ちょっと貸すだけ。……お父様が生きていたら、わたしの判断を褒めてくれると思うわ」

「でもよぅ、それ、唯一残った親父さんの形見だろ……」


 エマは身一つで家を追い出されたが、アーサーとポリーが、両親の形見をこっそりと燃え残った邸の中から持ち出してくれていたのだ。

 父の形見は、洗い場に出していて唯一燃え残っていたこの服。

 母の形見は、母が愛用していた靴の片一足。

 たったこれだけだが、エマが両親を思い出せる大切な形見である。


「あげたりしないわ。あの人の服を洗って乾かす間に着てもらうだけよ。お父様も背が高い方だったし、サイズは大丈夫だと思うわ」

「だがよ……」

「こうしないと、あの人、お風呂にも入れないでしょ?」


 まだ何か言いたげなアーサーの背を、ポリーがぽんぽんと叩く。


「万が一着たまま盗まれそうになっても、あたしたちが取り返してくりゃいいんだよ」

「……しゃーねぇなぁ」

「ありがとう、アーサー、ポリー」


 エマは笑って、服を抱えて宿の玄関先に戻ると、男が所在投げにぼんやりしている。


「お待たせしてごめんなさい。その格好だと宿の中には入れないから、はい。あっちに茂みがあるから着替えてくれるかしら? お風呂に入れるように頼んでおいたの」

「そ、そこまでしてもらうわけには……ええっと」

「エマよ」

「エマか。俺はユーインだ。それで……その……」

「さっきも言ったけど、そのままだとお風呂には入れないのよ。宿の中にはお金持ちの方が大勢いて、その格好だと玄関ホールにも入れないんだもの。服を着替えたら大丈夫だって女将さんには了承を取ったから、はい」

「……ありがとう」


 ユーインは少し逡巡したのち、エマの差し出す服をそっと受け取る。彼だって、いつまでも汚れたままではいたくないだろう。


「パンだけだと足りないでしょ? お風呂に入ったあとで食事にしましょ。あ、脱いだ服は貸してくれる? 裏の洗濯場を借りて洗っておくわ」

「……すまない」


 ユーインはちょっと恥ずかしそうな顔をして、着替えを持って少し離れたところにある茂みに向かうと、手早く服を着替えて戻ってくる。父より肩幅があるようで、シャツは少し窮屈そうだったが、丈は問題なさそうだ。


「おいお前、ユーイン! その服をちょっとでも破いてみろ、俺がワンパンで沈めてやるからな‼」


 空中に二本足で立って、前足でパンチを繰り出すふりをしながらアーサーが言うが、ユーインにはアーサーの姿が見えていないので気づくはずもない。


(まったくもう、アーサーってば)


 本人曰く、クー・シーであるアーサーはとても強い妖精らしいのだが、小さな緑色の犬の姿しか見たことのないエマには、アーサーがユーインを殴って沈められるとは思えない。

 ユーインに気づかれない程度に小さく苦笑しつつ、エマは彼から汚れた服を受け取った。


「大浴場は玄関を入って左手の奥にあるわ。部屋付きのお風呂を使う人が多いみたいだし、この時間にお風呂に入る人はほとんどいないから、今なら落ち着いて入れると思うわよ。……あ、そうだった。ソープとタオルが必要ね。カウンターの女将さんに言ったら売ってくれるから、はい、これを持って行って」


 エマは服と一緒に持ってきた銅貨を二枚ユーインに手渡す。ソープとタオルのレンタル料が合計二ルースであることは、宿を借りる前の説明で女将に聞いていた。

 ほかにも、女性やお金持ちに人気の、ちょっと高級なソープやマッサージオイルなども売られているが、汚れを落とすのが目的なので、ユーインには必要ないと思われる。


「お風呂から出たら、一階の休憩所で待っていてくれる?」

「何から何まで、ありがとう」

「いえいえ、困ったときはお互い様よ」


 エマはユーインが宿の中に入るのを見届けてから、汚れた服を持って宿の裏の洗濯場へ向かった。

 旅籠なので、旅人も大勢泊まることから、こうした洗濯場が設けられているのだ。

 洗濯場の利用料金は宿代に含まれている。洗濯場に置かれている洗濯用の桶やブラシ、ソープも自由に使うことができるのがいいところだ。

 エマは井戸から水を汲んで桶に移すと、さっそくユーインの服を洗いはじめる。


(さすがに下着は脱がなかったみたいだから、それは後で自分で洗ってもらいましょ)


 ごしごしとマントとシャツ、ズボンを洗っていくと、あっという間に桶の中の水が墨のように真っ黒になった。


「そういやぁ、あの男、腰の剣以外の荷物を持っていなかったね。どうしたんだろうねぇ」


 桶の水を変えていると、ポリーが思い出したように言う。


(そういえばそうね。荷物も持たずに旅をしていたなんて不思議だわ)


 少なくとも着替えの一着や二着は持っているはずだが、手荷物らしいものは一つもなかった。

 詮索するのはよくないが、あとでそれとなく聞いてみようかしらと思いながら、エマは何度か水を変えて、汚れが綺麗に落ちるまで服を洗い続ける。

 最後に服をぎゅっと絞って完成だ。

 服を干すのは宿のバルコニーである。女将から、たまに洗い場に干して盗まれた人がいるから注意するようにと言われていたからだ。


 まだユーインの部屋は借りていないので、エマはひとまず、自分の部屋に戻ってバルコニーに服を干し、一階の休憩所へ向かった。

 エマが向かうと、ユーインはすでにお風呂から上がっていて、窓際の席に座ってぼんやりと外を見ていた。

 無精ひげも剃ったのだろう。汚れを落とした彼は、一瞬、別人かと思うような外見だった。

 月のように優しい金髪はまだ湿っているが艶が出ているし、ひげがなくなったせいか、輪郭がとてもシャープに見える。

 汚れていても端正な顔立ちだとは思っていたが、こうしてみると気品すら漂ってくるようだ。


(やっぱりいいところのお坊ちゃんよね?)


 同じく休憩所にいたご婦人方が、ちらちらとユーインに視線を送っているが、本人は他人の視線に慣れているのか、まったく気にも留めていないようだ。人の視線に無頓着になれるのは、常に見られて生活してきた人間特有の感覚だろう。例えば、使用人を大勢抱える貴族とか、資産家とかがそれだ。


「待ったかしら?」


 エマが声をかけながら近づいていくと、ユーインがハッとしたように振り返った。


(さっきも思ったけど、やっぱりこの人の瞳、とっても綺麗……)


 曇りがない青い瞳はどこまでも純粋に映る。


(アーサーはともかく、ポリーがそれほど警戒しなかったってことは、この人、妖精に好かれる人みたいね)


 妖精は人の内面に敏感だ。

 おそらくユーインは心の綺麗な人間なのだろう。そういう人は妖精に好かれる。心の綺麗な子供が妖精に気に入られて妖精界に連れていかれて帰ってこられなくなると言う話は、人々が妖精の姿を見ることができなくなった今でも、たまに耳にする噂だった。

 その噂が単なる噂でなく、真実であることを知る人は少ないだろうが。


「ここでご飯も食べられるの。パンだけだと栄養が偏るし、まだ足りないと思うから、先にご飯にしましょ。ちょうどお昼だし。それから、ご迷惑じゃなかったら、宿を一泊取っておくわ」

「しかし……その、俺はとっても助かるが、そんなことをすれば君のお金が……」

「大丈夫よ。さっき稼いだばかりだから、今は余裕があるの。……すみませーん」


 休憩所にいた宿の従業員に食事を頼む。

 高いお金を払って頼むルームサービスはメニューが選べるが、休憩所で出される食事はその時々で決まっていて、今日の昼はボイルしたソーセージとサラダ、パン、スープ、それからリンゴが半分だ。パンはお代わり自由で、追加料金はかかるがお酒や紅茶も出してもらえる。

 エマは食事を二人分頼んで、自分の分のリンゴをさりげなくアーサーの方へ動かした。アーサーが食べたそうにしていたからだ。

 ポリーはテーブルの上に座って、さっきからちまちまとパンをちぎっては口に入れている。


「なあエマ。エールを頼んでくれよ、エール。ブッカのためにあとで買ってやるんだろ? だったらオレにも買ってくれたっていーじゃねーか」

(何を言っているのかしら。真昼間から)


 昼間から酒をくれと言うアーサーのおねだりはもちろん無視だ。

 ユーインを見れば、やはり先ほどのパンだけでは足りなかったのか、もくもくと食事を口に運んでいる。

 さっきと違うのは、勢いよく口に詰め込むのではなく、カトラリーを使って品よく食事をしているところだ。マナーを見ても、やはりいいとこ育ちのお坊ちゃんだと思われた。


「そういえば、ユーイン、あなた荷物はどうしたの?」


 食事も半分ほど終え、エマが訊ねると、ユーインは恥ずかしそうに頬をかいた。


「えっと……四日前に乗った馬車に置き忘れてしまって……」

「まあ、それで路銀がなかったの?」

「いや、路銀はその時にはほとんど底をついていたから、結果を見れば変わらなかったと思うんだけど……」

「……。どこまで行くつもりなのかは知らないけど、計算して路銀を用意しないとダメじゃない」


 もしかしなくてもこの男、ちょっと抜けているのだろうか。


「ぬけさくだなー」


 エマの心を読んだように、アーサーもけたけたと笑っている。


「あ、いや……行き先は、その、俺にもよくわかっていないと言うか……」

「はい?」

「ちょっと探し物をしているんだ」

「探し物ですって?」


 エマは少し驚いた。

 まさかユーインがエマと同じだとは思わなかったからだ。

 まあ、エマの場合は、探しているのはモノではなく友人なのだが。


(行き先がわかっていないってことは、この人も、探し物の場所の検討もついていないのね)


 面白い偶然もあったものだ。

 ユーインは食事を再開しながら訊ねた。


「ええっと、それで、君も旅をしているのかな? 見たところ、ひとりみたいだけど……」


 若い女の一人旅は目立つ。ユーインが興味を持つのも当然だった。


「そうね。あなたと同じで行き先は決めていないけど、旅の途中よ」

「一人で?」

「ええ……まあ、そうね」


 アーサーやポリーのことは説明できないので、エマは曖昧な笑みを浮かべて頷く。

 するとユーインは、その笑顔を「訳あり」と判断したようで、どこかバツの悪そうな表情を浮かべた。


「その……危ないんじゃないかな? 若い女の子が一人旅なんて」

「このあたりは治安もいいし、今のところは問題なさそうよ」


 もし追いはぎや盗賊に出会ったところで、多少のことであればアーサーがいれば大丈夫だ。この小さな緑色の犬はやるときはやる犬だから。無駄口をたたいているだけではないのである。


「でも……」


 ユーインは食事の手を止めて考え込んだ。


「……やっぱり危ないよ。そうだ! 俺も行き先を決めていないというかわかっていないし、何なら少しの間一緒に行こうか? その、いろいろお金を使わせてしまったから、せめてものお返しというか、用心棒みたいな形で……」

「おいエマー、こいつやっぱりぬけさくだぜ。若い女の一人旅に男がついてくる時点でそっちの方が危ないじゃねーか。第一さー、こいつ路銀ないんだろ? つまり用心棒でくっついてきたこいつの旅の資金もエマ持ちじゃねーか。馬鹿なのかこいつ」

「アーサー、およしよ。ユーインとかいうこの男は、純粋にそれがエマのためになると思って言っているみたいだからね」

「だからぬけさくだって言うんだよ。エマ、こんな頓珍漢な男に付き合う必要はねーぞ。さっさと断って縁切りしようぜ」


 やいのやいの外野がうるさいが、エマはもちろん反応せず、困った顔でユーインに応じた。


「あなたは探し物をしているんでしょ? わたしなんかに構っている暇はないんじゃないの?」

「確かに探し物をしているんだけど……手掛かりすらないから、どこへ行こうと同じようなものなんだ」

「ちなみに、何を探しているの? もちろん言いたくないのなら無理には聞かないけど……、わたしに心当たりがあるかもしれないし」


 エマは妖精たちの噂話をよく耳にするので、人が知らないこともよく知っている。

 五日前に立ち寄った町では、子供がなくしたという人形も妖精の話を頼りに探し当てた。失せ物探しは意外と得意なのだ。


「うーん…………。言っても構わないんだけど、でも笑わない?」

「それが真面目な話なら笑ったりしないわ」

「もちろん真面目な話だよ。真面目に探している。……少なくとも俺はそのつもりだ」


 ユーインはふわりと微笑んだ後で、ふと真顔になった。


「実は、パナセアを探している」

「パナセア? ……え、それって、あのパナセア?」

「君が思っているもので間違いないと思うよ」


 エマは目を丸くした。

 パナセア。別名、万能薬。

 一般に、妖精の存在以上に伝説と言われている、どんな病も怪我もたちどころに癒し、飲んだ人間を不老不死にまでしてしまうと言う、とんでもない薬だ。

 パナセアを手に入れた人間は、世界が手に入るとさえ言われている。


「え? あなた、そんな善良そうな顔をして、まさか世界征服とかをもくろんでいたりするの?」


 エマが真面目な顔で言うと、ユーインはプッと吹き出した。


「まさか! そんなはずないだろう?」

「そ、そうよね? でも……パナセアよ? 真面目に探しているそうだけど、いったいそんなものをどうするつもり?」

「エマ、お前馬鹿だろ。冗談に決まってんじゃねーか。揶揄われてるんだよ」


 アーサーの声がしたが、エマにはどうも、ユーインが冗談を言っているようには見えなかった。

 ユーインはにこりと笑う。


「君は笑ったりしないんだね。うん、やっぱりエマは優しい女の子だ」

「そんなこと……。わたしは別に、優しくなんてないのよ」


 エマはわずかに胸の痛みを覚えて目を伏せたが、ユーインはそれに気づかずに話を続ける。


「俺がパナセアを探しているのは本当だ。それも真剣に。パナセアが伝説の薬だってことも知っているし、一生探したところで見つからないかもしれないこともわかっている。でも今の俺には、それにすがることしかできないんだ」

「どういうこと?」


 いつの間にか食事が空になったので、エマは宿の従業員に紅茶を二つ頼んでからユーインに続きを促した。


「友人が……大切な友人が、病気になったんだ。一般に、不治の病と言われているそれだ。すぐに命の灯が尽きるわけではないけれど、このまま進行すれば、少なくとも数年先には命を落とすだろう。すでに一日の半分以上をベッドで過ごすありさまで、起き上がるだけでも辛そうだ」


 ユーインはぎゅっと眉を寄せた。

 従業員が紅茶を運んできて、テーブルの上に置いて去っていく。


「彼を死なせるわけにはいかない。絶対にだ。だから俺は、何が何でもパナセアを探さなくてはいけない。探し続けなければいけないんだ」

「大切なお友達なのね」

「ああ。大切だ。彼だけは絶対に失うわけにはいかない」


 沈痛な面持ちから、ユーインがどれだけ思い詰めて伝説のパナセアを探しているのかが伝わってくる。


(そんなにつらそうな顔をするなんて、もしかして……恋人なのかしら?)


 世の中には同性に恋をする人がいると言うが、もしかしなくてもユーインはそうなのかもしれない。きっと愛する人を死なせたくなくて必死なのだ。


「おいポリー、エマがまたなんか変な勘違いしてないか?」

「おやおやエマは可愛いねえ」

「果たして可愛い勘違いなのか? 俺はなんかいやな予感がするんだけどよ」


 またもや外野がうるさいが、エマは今回も無視をする。


(恋人を失いたくないのは当然だわ。わたしは誰かに恋をしたことがないけれど、お父様とお母様は本当に仲が良かったもの。それに……大切な人を失いたくない気持ちは、わかるわ)


 だが、残念ながらパナセアは存在しない。この世の中のどこにも、だ。

 たとえどんな妖精であっても、人を不老不死にするような薬は作れない。

 だが――


(不老不死は無理だけど、この世界で一番よく効く薬になら心当たりがあるわ)


 それもまた、ある意味伝説級の薬だが、エマならばたどり着けるかもしれない。


「いいわ。あなたが薬を見つけるまでの間、あなたに用心棒をお願いするわ」

「おいエマ、やめとけって!」


 アーサーの非難めいた声がするが、エマだって行く当てはまだ決めていない。

 だったら少しくらい寄り道をしたっていいだろう。それが結果としてエマの探し人にたどり着く手掛かりになるかもしれないし。


(エルフの秘薬。もしかしたら、それならユーインの言う不治の病を治せるかもしれないもの)


 ユーインが驚いたように目をしばたたいて、それから嬉しそうにふわりと破顔する。

 その笑顔を見ながら、この人は自分よりも年上のようだけど、子供のように純粋に笑う人なのだなと思った。




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