ただ駄弁るだけ
翡翠琥珀
弓波の料理スキル
「あー、腹減ったー! 今すぐなんか食べたい!」
弓波は帰ってきて早々、靴を脱ぎ、台所に向かった。
茶色に染めた髪を揺らしながら、鼻歌まじりで、足取りは軽やかだ。
「おかえり」
台所では、水越が野菜炒めを作っていた。暑い中で料理をしているので、
額に汗が溜まっている。振り返った時に、黒髪が静かに揺れる。
「あー、その野菜炒め美味そ〜!」
「その前に、手を洗ってこい」
水越が、弓波を諭す。
「あ、忘れてた! 今すぐ洗ってきまーす」
弓波は、そう言って洗面所に向かった。
全く……弓波はまるで子供のようだな、と水越は、菜箸を動かしながら思った。
「手も洗ってきたし、さっ、ご飯ご飯!」
「ちょっと待て、まだ味噌汁ができていない」
洗面所から戻ってきた弓波がそう言って台所に入ってきたが、水越は
炒め物を炒める手を止めずにそう言った。
「じゃあ、俺が味噌汁作るからさ、作り方教えてよ」
弓波がはりきってそう言った。
「お前なぁ……これはべつにままごとじゃなく、本物の料理なんだ。
甘くみてたら火傷や怪我をするぞ。手伝ってくれる気持ちはありがたいが、
お前は食器の用意でもしててくれると助かる」
水越は、呆れながらそう言った。弓波が料理が全然できないのは水越も
よく知っている。弓波が作れる料理といったら目玉焼きくらいなのだ。
*
前に水越が残業で遅くなった時に、弓波が水越のためにパスタを作ろうとしても
パスタの茹で時間が長すぎて、結局麺がくたくたになったりした。それに弓波が具やソースを作ることなんて、犬に芸を教えるよりも難しいことなので、結局ソースは無く、
「ごめん、麺だけだけど……」
と申し訳なさそうに言われた時には、有り難さとやるせなさが水越を同時に
襲った。
結局ソースは作らず、パスタに納豆をかけて食べたが、その後弓波にソースの作り方を教えた。結局覚えはしなかったが……。
それに、弓波がお好み焼きを作ろうとした時なんて、必要もないのに、まるで天ぷらを揚げるように多量の油をホットプレートに注いだおかげで、酷い目をみた。
ホットプレートに生地を流し込んだ瞬間、突然生地が暴れ始めた。いや、ものすごい勢いで油が四方八方に飛び散った。
「あ、あちち! 痛い! み、水越、助けてくれ〜!」
弓波の悲鳴を聞いて急いで駆けつけ、その惨劇を目撃した水越が、鬼神の如く怒ったのは言うまでもない。
「何やってんだお前ェ!」
その後、水越は、弓波が料理する時は絶対に俺がいるときにやってもらう、と
決意したのだった。
*
「えー、俺もたまには水越の役に立ちたい!」
「分かった、やらせてやるから! 頼むから暴れないでくれ!」
駄々をこねた弓波に、水越はついに折れてしまった。
「やった、俺も味噌汁作れる!」
「じゃあ、もう具材は切って鍋に入れて、出汁もとったから、
味噌を溶いてくれないか」
水越は弓波にそう提案した。正直、具材を切り鍋に入れたあとで良かった、と
水越は思った。弓波が具材を切るところを想像しただけでも、身の毛がよだつ。
「あ、それなら俺もできそう!」
水越は嬉々としてそう言った。
「じゃあ、俺がお玉に味噌を入れるから、それを鍋に入れて菜箸で溶いてくれ」
水越は弓波に指示した。
「分かった、これを菜箸で溶けばいいんだな」
「よし、入れるぞ」
水越がお玉に味噌を入れ、弓波が菜箸でかき混ぜる。お、いい感じだ。
上手く味噌が具材に溶け込んでるじゃないか。
水越は、まるで子供が初めて料理をする時のように、いっときも目を離さずに
見守った。
味噌は良い感じに溶け、美味しそうな味噌汁の色に出来上がった。
水越が、味噌汁を混ぜて確認しても、味噌が溶けきっていない、ということは
なかった。
「お、いいじゃないか! あとは味見だな」
水越は、子供が初めて料理が成功したときのように、弓波を褒めた。
「あぁ、今回は上手く作れてると思う!」
弓波は自信満々にそう言い、味見用の皿を出した。
「じゃあ、水越、味見してくれ」
弓波が味噌汁を皿によそい、水越にずいと手渡す。
水越は皿を傾け、味見をした。
口に入れた瞬間、水越の表情が少し変わった。
「うん、美味い!」
水越は、笑顔で弓波に言った。
弓波は、水越にそう言われた瞬間、一瞬硬直してしまった。
「ん? どうした、弓波。ちゃんと、美味いぞ」
水越は弓波が心配になり、声をかけたが
「ほ、褒められた! 水越に料理のことで褒められた! やったぁ!」
と、なにやら大喜びしている。
弓波が硬直した理由は、俺に褒められて嬉しすぎて固まってしまったのか、と
水越は推測した。
でもとにかく、弓波に、自信をつけられて良かった、と水越は思った。
もっとも、今回弓波がやったのは、味噌を溶いて入れただけだったが。
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