1-2.ディアヴォルス、黒い塊を拾う

 ごつごつとした岩場を、ひょいひょいと跳ねるように歩く。鼻をつく硫黄いおうのにおいはぎ慣れたものだが、においの濃い方へ行きすぎると神に魅入みいられて引っ張られてしまうので気を付けなければならない、と、そんなことを言われている。


「神、ねえ」


 本当にいるのだろうか、という言葉は禁句だ。ディアヴォルスは自らの手のひらを見下ろす。

 パチンと指を鳴らせば、何もない空間に炎がおどった。不思議な力だ。魔術あるいは加護と呼ばれるこの力は、神から与えられるものである。


「ま、もらえるもんはもらうけどな」


 大きな岩の上から、少し離れた場所にある同じぐらいの大きさの岩の上へ。身長と体格のわりに身軽に飛び移ったディアヴォルスは、戦神エクスロスを奉じる一族の一人である。

 エクスロスが与えるのは、戦いで有利となる膂力りょりょくやすべてを焼き尽くす炎の力。

 一族の中でもディアヴォルスは、比較的その力を多く与えられている一人だった。そのため、周囲はディアヴォルスにひどく期待をかけてくる。領土を広げる槍となってくれるように、一族を盛り立てる旗となるように。


 ディアヴォルスにとってはどちらもどうでもいい話だ。

 ただ好きなように戦って、好きなように生きていたい。わずらわしいしがらみも身内の声も全部を薙ぎ払いたい衝動に駆られるようになって久しいが、その衝動は誰にも口にしたことはなかった。

 流石のディアヴォルスも、言ってはならぬことがあるとわかっている。代わりのように、彼は良く領地の外をふらふらと出歩いていた。武器も持たぬ一人での道行は何があるかわからないと反対され叱られるが、どこ吹く風である。

 武器を持っていかめしく行軍していれば、それは散歩ではなく進軍であろう。ディアヴォルスがしたいのはあくまでも気ままな散歩だ。時にはこうして馬すら使わず徒歩で移動することも多い。

 もっとも、現在エクスロス一族が所有している土地は火山帯で岩肌が多く露出しているため、馬での移動がしにくいのだが。


「さーて、どこで昼飯にするかな」


 先日は適当な獲物を捕らえて食事にありつこうと画策していたのだが、見事にからぶった。獣たちもディアヴォルスのことを見知っているのか、賢いことに姿を見かける前にさっさと逃げていく。狩られてはたまらないのは人も獣も同じということだろう。

 その反省を踏まえ、今日はきちんと弁当を持ってきた。とはいってもそう大それた弁当ではない。パンにあぶった干し肉を挟んだだけの簡単な代物だ。出かけることを誰かに注げると確実に反対されるので、自分で作った弁当だから簡素なものになるのは致し方ない。

 そもそも、ディアヴォルスはった料理には心を動かされない類の人間だ。

 大きな岩の上からぐるりと周囲を見渡す。不思議なもので、ごつごつとした岩肌は一定地点から急速に緑が増えている。

 そうして、もっと北の方には森があるのだ。森まで行けば木陰もあり、涼しく、獲物や果物も豊富に手に入る。だがあそこまで徒歩で進むのはさすがに遠すぎる上に散歩の域を超えていた。


「ん? なんだ、あれ?」


 仕方がないので適当な窪地くぼちに腰を下ろそうかと思っていたディアヴォルスは、ふとその鋭い視界に何かをとらえた。

 いつもとは違うかたまりがある。

 黒いかたまりは、今の場所からではそれが何なのか判別がつかない。眠っている獣か、あるいは飛んできたごみか、それとももっと違う何かか。興味をかれたディアヴォルスはかたまりのある場所で弁当を食べることを決めた。


「怒りを歌え、女神よ。数知れぬ苦難をもたらし、あまた勇士を冥府めいふの王に投げ与え、その亡骸なきがらはあまたの野犬野鳥の食らうに任せたかの呪うべき怒りを。かくて神慮しんりょげられた」


 歌を口ずさみながら岩場を下っていく。下れば下るほど、硫黄いおうのにおいは遠のいていく。

 においがなくなっていくにつれて呼吸がしやすくなる気がするのは、やはり何かが立ちこめている場所だからなのだろうか。


「この辺だった、はず……お、あったぞ」


 記憶を頼りに先ほどのかたまりを探すと、おおむね予想した付近の場所にそれは落ちていた。最初、ディアヴォルスは獣がうずくまっているのだと思った。黒い毛並みの見慣れない獣だ、と。

 だが近づくにつれて、どうやら違うことに気づく。


「人か、これ」


 毛皮だと思った黒いものはぼさぼさに乱れた長髪で、うずくまっているように見えたのは倒れているからだ。近くにしゃがみ込んで、遠慮なく髪をかき分ける。顔を探したのだがどうやら後頭部だったらしい。

 だが触れられたことに気が付いたのか、人間らしきものは飛び起きてディアヴォルスから距離を取る。じっとこちらを見る金色の瞳は血のような色が混じっていて、ディアヴォルスと似ているようで似ていない。

 まだ少年のような幼い顔立ちをしているが、このあたりでは見かけない顔立ちでもある。どこかの土地から流れてきたのだろうか。それとも、油断を装って敵地へ潜入させるための少年兵かもしれない。


「おお、生きてんのか。ほれ、食うか?」


 可能性は様々頭に浮かんだが、ディアヴォルスは特に問いただすことはせず弁当を差し出す。じっとパンを見たその少年は怪訝そうな顔をしている。

 まさかパンを知らないのかと思ったのは、身なり的に浮浪児の可能性も否定できなかったせいだ。半分にちぎって一つは自分の口に運び、片方は少年の口に半ば無理やり押し込んだ。少しだけぽかんと空いていた口にパンをねじ込むことは、別段難しいことではなかった。

 少年は突然の暴挙に目を白黒させ、手足をばたばたと動かして抵抗する。


「ほれ、食え。そんで水を飲め」

「もが!」


 ややあって諦めたのか、少年は大人しく口を動かし始めた。それを確認して、ディアヴォルスは満足げに鼻を鳴らす。

 ディアヴォルスが二口で食べきった半分の弁当を、少年は小さくかみちぎりながら長いこと咀嚼していた。ちまちまとした食べ方はまるで鳥のようで、ディアヴォルスは愉快になって喉を鳴らした。

 腹をすかせた肉食獣が獲物を見て喜ぶような音に少年がちらりとこちらを見たが、笑っているディアヴォルスを見てまたすぐ視線を外した。


「よし、食ったな。お前、名前は?」


 すっかり食べきってしまったところで名前をたずねれば、警戒するような視線で見上げてきた少年はだんまりを貫いている。仕方がないので、先に名乗ることにした。


「俺はディアヴォルス。ディアヴォルス・プロクス・エクスロス。お前は?」


 この名前を聞けば何か反応するかと思っていたが、少年の顔色に変化はない。これは本当に名前の示す意味を分かっていない他所者よそものの可能性が強まってきた。


「……空明くうめい、だ」

「ク……なんだって?」


 ようやく口にした少年の名前は聞き馴染なじみのない発音をしていて、ディアヴォルスは眉をひそめた。一度で聞き取れなかったのでもう一度と身振りをすると、わざとらしく溜息ためいきかれた。


空明くうめい

「なるほど、クゥな」

「おい」

「国が違うのか。呼びにくいだろ、俺のことはディーでいいぞ」


 ディアヴォルスの三分の一しかなさそうな体をひょいと担ぎ上げる。流石にじたばたと抵抗されたが、その程度何ということもない。


「お前、こんなとこにいたってことは家もないんだろ。喜べ、俺の客分にしてやろう」

「いや、いい! 結構だ! おろしてくれ!」

「メシも寝床もあるぞ? 風呂に入ってそのボロ雑巾みてえな身体も洗ってやろうな!」

「一人でできる!」

「そーかそーか」


 やはり散歩はしてみるものである。思いがけない拾い物をした。

 何が彼の琴線に触れたのか、少年はディアヴォルスの提案に少しだけ大人しくなる。


「不自由はさせねぇから、ま、ついてこいって」

「いや、連れてかれてるんだが……」


 鼻歌交じりに家路をたどるディアヴォルスは、この先しばらく、この風変わりな少年を連れまわすことになる。

 そして連れ回して数年、友人に会いに行こうとした途上で彼らは北方の森のところに立ち寄ったのである。

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