scene 4. 棄てられないナイフ

 アラームの音に目を覚まし、ジョニーはベッドで半身を起こした。

 頭が重い。ぐっすり眠れたという感じはしなかった。ゆるゆると頭を振り、着替えもしないままいつ眠ってしまったのだったかと、ジョニーは少し考えた。

 そして、ああ、ラジオを聴いていて――消して、ベッドに横になってからつい昔のことを考えてしまったのだと思いだした。

 今日は木曜日だ。仕事に行かなければ――ジョニーは手早くシャワーを浴び、着替えをした。階段を下りてキッチンに行き、冷蔵庫からオレンジジュースのボトルを取りだす。タンブラーに注いで一息に飲むと、ジョニーは吊り戸棚からスライスされたホワイトブレッドを取りだした。

 プラスティックラップを切って敷いた上に二枚並べ、マヨネーズを塗り、ターキーハムを乗せてハニーマスタードを適当にかけ、挟んで包む。スライスしたトマトがあれば一緒に挟むのだが、切るのは面倒なので丸齧りするつもりでトマトをひとつ、できあがったサンドウィッチと一緒に袋に入れる。

 工場に持っていくランチの用意ができると、ジョニーは朝食は摂らないままキッチンを出、また部屋へと戻った。


 ジョニーが勤めているのは街外れにある金属加工業の製作所だ。といっても下請けも下請けの小さな自動車部品工場で、休憩を挟んで八時間、毎日ひたすら同じ流れ作業を続けるという仕事である。判で押したような作業の繰り返しに耐えきれず辞めていく者もめずらしくはなかったが、ジョニーは人と話したり電話をとったりする必要がないその仕事をとても気に入っていた。賃金はきつい仕事に見合う額とは云えないが、客に苦情を云われ店主に怒鳴られながらハンバーガーショップで働くよりは、ずっとよかった。

 着替えのTシャツとタオル、ランチの袋とバスを待っているあいだに齧る朝食代わりのスニッカーズをバックパックの中に入れ――底できらりと光ったものに目を留める。もうやめよう、もう切っちゃだめだと思い、どこかで棄てようと決心したきり、まだ手放せていないフォールディングナイフだ。

 手首をまた切りたくなるかもしれないから棄てられない、というのとはちょっと違っていた。また切りたくなることはわかっているのだ。そのとき、このナイフがもう手許になかったら、キッチンの重く大きな庖丁ナイフを使わなければならない。そうしたら今度こそ死ぬかもしれない。手首を切ることはなかなかやめられないけれど、決して死にたくてたまらないわけではないのだ。

 使い慣れない庖丁で切れば、意図せず傷が深くなってしまうかもしれない。死なないまでも手がだめになってしまうかもしれない。働けなくなれば、それはもう死ぬのと同じことだ。切るのならこのナイフでなければ――

 否。実のところ、庖丁がどうのというのは自分への言い訳だった。

 手首を切りはしなくても、このナイフを眺めているだけで落ち着けることもある。薄い皮膚に刃を滑らせ、緋い線を見れば厭な気分もリセットされる。そして、その鋭い刃を見つめていれば、いつだって自分を終わらせることができる、だから慌てる必要はないと奇妙な安心感を得られる。ジョニーにとってこれは、ぎりぎりのところで自分を守ってくれるアミュレットのようなものなのかもしれなかった。

 ナイフを棄てたいのではなく、棄ててしまっても平気な自分になりたい、というのが正確なところなのだろう。

 考えるように首を傾げ、ジョニーはナイフをバックパックの底に入れたまま、上からTシャツを突っこんだ。

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