scene 9. 容疑者ジョナサン・ソガード

 連邦捜査局FBIシンシナティ支局に設けられた一室で、サムは備品室から借り受け、新たに増やしたホワイトボードに貼った資料を眺めていた。

 隠し撮りした金髪の男の写真には『魅惑の殺人鬼The Fascinating Killer』というマスメディアがつけた異名と、『Jonathan Sogard』という名前が書かれていた。ジョナサン・ソガード。一九五〇年生まれの二十四歳、身長5フィート9インチ。前科なし。W&Gという、主に自動車部品を扱う下請けの小さな製作所に勤めている。転職歴はなし。工場が買収されたときも解雇されずに残っている。

 シングルマザーの母とずっと二人暮らしであったが、半年ほど前にその母親が亡くなり、以来ロザリー・ブラニガンという事実婚の妻と暮らしている。飼い始めたばかりの犬も一匹。

 普段ジョニーという愛称で呼ばれているソガードは、子供の頃から吃音に悩んでいたらしい。今もスムーズに会話ができるとは云い難く、職場ではよく使う言葉を書いたカードの束をベルトにぶら下げていて、相手が聞き取りづらいときはそれを示して見せたりするという。性格はおとなしく、仕事は真面目、酒は多少嗜むが煙草やドラッグはやらず、誰に聞いても良い評判しかない。

 実際、聞き込みのあとしばらく張り込んで様子を窺っていたが、ソガードのどこにも残虐な犯行を繰り返してきたらしい狂気や陰りなど、欠片も感じられなかった。小柄で可愛らしい妻ロザリーと犬を連れて出かけたとき、尾行して遠目に見ていた若い夫婦はなにかの広告写真のように絵になっていた。ネッドが、あれが本当に殺人鬼なんですかね? と、今更ながらに疑いの言葉を吐き、思わずサムも自分は間違っているのではと途惑うほど、幸せそうだったのだ。

 しかし、そんなふうに揺らぎはしても、サムはソガードが殺人鬼であると確信をもっていた。

 朝昼兼用のチリドッグに齧りつきながら、誰かが映画スターのようだと云った端整な顔を、サムはじっと見つめた。

 連れ込み宿のマイラに写真を見せたところ、あの夜フロントの前を駆け抜けて出ていったのは間違いなくこの男だと証言が取れた。もしも街娼のメイジーが死んでいたのが彼処の部屋だったなら、今すぐ重要参考人として引っ張るところだ。だがメイジーはそのあと、ソガードを追ってホテルを出ている。

 なにかがあって、車で連れ去ってから殺したか。しかし、今あるあの車はつい最近購入したばかりらしい。犯行現場への移動に使った車があるはずだと睨んでいたサムは、ソガードがそれまで車を所有していなかったと知り、首を傾げた。

 もし犯行に盗難車を使用していたとしたら、その都度、適当な場所に乗り棄てているだろう。その場合、探しあてるのはほぼ不可能である。車内にうまくすると凶器や、なにか被害者の遺留品や髪、爪などがみつかるのではと朧気に抱いていた期待は、これですっかり立ち消えてしまった。犯行を止めてから買った車だなんて、肩透かしもいいところだ。

 そんなことを考えていたところへ、ネッドがコーヒーをふたつ手に戻ってきた。どうぞとひとつをデスクに置き、ネッドは「いい話と、悪い話のようでひょっとしたらいい話、どっちから聞きます?」と云った。

「なんだそりゃ。どっちでもいい、順に話せ」

 はい、とネッドはおどけた表情をしてみせ、椅子に腰掛けた。

「ジョニー・ソガードは毎週欠かさず日曜礼拝に通ってます。それだけじゃない、月末にあるバザーなんかもしょっちゅう手伝ってて、自分と同じように言葉に不自由がある子供らへのボランティアにも熱心、どこで聞いても良い評判しか集まりません」

「それは、いい話のほうなのか?」

「悪いかもしれないけどいい話のほうです。まさかこんな信心深い奴が連続殺人犯って思っちゃいますけど、日曜礼拝っすよ? 云ってたじゃないっすか、土曜は犯行現場まで片道三時間以内の理由です。で、もうひとつがいい話です……あの車、最近買ったなんて大嘘っすよ。所有者登録も保険の加入も、調べたら七三年の一月でした」

「犯行が始まってすぐじゃないか!」

 サムは驚いた。「じゃあ、奴はあの車を殺しのために買って、これまで――一年と八ヶ月ずっと、どこかに隠してたってことか!?」

「そういうことになりますね。犯行を止めてから八ヶ月経って、もういいだろうって普段乗り始めたんでしょう。あの嫁さんが車が欲しいとかって云ったのかも。家族が増えると買い物も増えますからね。犬もいるんだし」

 サムは話を聞きながら、じっと自分を取り囲んでいるボードの資料を見やった。

「しかし、一月か。初めの頃の犯行時にはなかったわけだな」

「そうなんすよ。それに一連の被害者はみんな犯行現場から動かされた形跡はないですし、なにか持ち去られたりもしてないっぽい。物証は無理じゃないっすかね、これ」

「無理かどうかは調べてみにゃわからん。よし、令状取ってくる」

 サムはそう云い、鼻息を荒くして部屋を出ていった。だが――

 その十五分後、サムは機嫌を急降下させて戻り、いきなり毒づいた。

「――くそったれ!! 金髪のハンサムが犯行が始まった頃に買った車を隠してたってだけじゃ、令状は出せんとさ!」

「あー……、まあ、そんな気はしなくもなかったっすけど」

「しかも、犯行が止まったままの状態が続くようなら、捜査もいったん打ち切りにするとか云いやがった! もう犯人はすぐそこにいるってのにだ! 二言めには証拠証拠って――」

 まるで次の犯行を待っているかのような言い種だった。当局にとっては、さらに被害者が増えようとも、犯人を確保し事件を解決することのほうが重要なのだ。

 ぎり、と唇を噛み、サムはがたんと勢いよく椅子に腰を落とした。

 怒りはなかなか収まらない。気を落ち着けようと、サムは煙草を咥えながら、ホワイトボードにびっしりと貼られている現場写真を見やった――三十五人の被害者たち。命の火が消えた三十四ヶ所の現場の、その凄絶な光景。女というものになんの恨みがあったのか、決まって二十ヶ所以上を滅多刺しにされている遺体の写真は、どれも着ていた服の色などわからないほど自らの血に塗れている。深夜の犯行とはいえ、これまで返り血を浴びた怪しい男を見たなどの目撃情報がほぼ皆無なのが不思議なほどだ。

「……奴があの車で獲物を狩りに行ってたのは間違いないんだ。必ず痕跡はある。あるはずだ」

 そう云うとサムはおもむろに立ちあがり、上着を手に再び部屋を出ようとした。ドアのノブに手をかけるのを見て、ネッドが「サム? 今度はどこへ」と腰を浮かせる。

「おまえはいい。ちょっと鑑識部に行ってくる」

「鑑識部?」

 ネッドは眉をひそめて首を傾げたが、その一瞬後「くそっ、まさかでしょ?」と呟き、慌ててサムの後を追った。

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