第37話 情熱の後遺症


 母にエストレジャの花のエッセンスを肌に塗りこめられながら、デシルは自分の耳を疑った。


「お母様、初夜の前倒し… と言ったの?」

 初夜… て… アレだよね? セックスする、アレのことだよね?! んんん?!


「ええ、そうよ!」

 母は微笑みながら、機嫌良く答えた。


「何で?! 前倒しなの?! 別に結婚してからでも良いでしょう?! 何でぇ?!! というか… 結婚して、するから初夜と言うのではないの?!」

 顔を真っ赤にして、目の前にいる母にさけぶようにたずねた。

 

 

「これから社交シーズンに入るでしょう? あなた、いくつも招待状を受け取っていて、結婚前に1人で出席する予定のものがたくさんあって、とても危険だとお父様が判断したのよ?」


 結婚式まで、もうひと月を切っているが… すぐという訳ではない。


「危険って何が?!」


「もちろん独身のアルファたちよ」 


「でも、僕はサリダ様と婚約しているのに?」


「そこなのよ、問題は! フリオとアオラ様のけ落ちのせいで、今年の社交界は略奪婚りゃくだつこん流行はやっているの」


「略奪婚?!」


「婚約者のいるオメガを、独身アルファが横取りして、先に“つがいちぎり”を結んでしまい、強引に結婚へ持ち込もうとする結婚よ」


「うわぁっ… 僕たちのせいで、社交界が情熱に目覚めたということかなぁ?! 嘘でしょ?!」

 そんなバカな! 僕たちが醜聞しゅうぶんに巻き込まれないようにと、サリダ様が考えた、フリオとアオラ様の浮気を美談びだんにした方法が、社交界にそんな波乱を巻き起こしていたなんて!


「いいえ、嘘ではないわ… 残念なことに、すべての略奪婚に、愛と情熱がある訳ではないのよね…」


「…えっ?!」

 それって、無理矢理未婚のオメガを犯して…? ということ…だよね? あとはだまして自分のものにするとか?


「貧乏貴族のアルファが、裕福な花嫁の持参金を狙って、そんな恥ずべき行為を犯す事件が増えているの… それで、サリダ様の王立騎士団が呼び出されるほど大騒ぎになることも、あるらしくて…」


「そ… それで、初夜の前倒しなの?!


「あなたにも付きまとっている、若いアルファがいるでしょう? 一緒に学園を卒業した人… 確か、侯爵家の次男だったかしら?」


「え? …彼が?」

 買い物に行ったお店で会った人だよね? 僕とおしゃべりしてたら、嫉妬したサリダ様に追い払われたけれど…?


「先代の侯爵様が、ギャンブルで財産を使ってしまって、借金ばかりが残っていて、その方が相続するはずだった土地を、売ってしまったらしいの… それで以前の婚約も解消されたらしくてね」


「ええええ~?!」

 それじゃあ、僕とおしゃべりをしていた彼は、僕を狙っていたの? 偶然、お店で会ったのではなくて、僕は付きまとわれていたの?!


「あなたの近くにいる人たちは、全員サリダ様が調査してくれているから、変な人はすぐにわかるのよね! 本当に頼りになる婚約者を捕まえたわね、デシルは!」


「うう~~~ん…」

 ごめんなさい、サリダ様! 嫉妬深いとか誤解してしまって! 過保護かほご過ぎるとか、言ったりして! 本当にごめんなさい!


 自分の間違いを知ると、急激に恥かしくなり、デシルは顔を隠してうなり声をあげた。


「安全だと思っていた男爵邸の玄関先で、あなたはフリオに襲われたでしょう? それで、お父さまもサリダ様も、このままではデシルが危険だという、結論になったらしいのよ」


「お母様…」


「だからサリダ様に、“番”にしてもらいなさい… デシル…」

 顔を隠すデシルの頭を母は優しくなでた。


「は…ぃ…」






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