書類不備です。(カクヨム版/BL)
魚野れん
始まりは書類不備
第1話 書類不備は突然に。
「あれ?」
間違っている書類は旅費精算書である。祥順は三回、自分が間違っているのではないかと繰り返し確認した。だが、結果は変わらなかったのだ。
一枚、領収書が合わない。
この書類を提出したのは企画の
人気の理由は何でもない、書類ミスが全くないからである。
全国を飛び回る、この会社で働く営業達は書類ミスが多い。こんな事でどうして営業が勤まるのか、不思議なくらいである。
どうやら彼らは社外へエネルギーを放出して、社内の事務仕事に使うエネルギーが足りないらしい。この会社で働いている内、祥順はそう思うようになってきた。
元々中小企業であったこの会社は、現在百人を越える大企業の分類にある。社員を増やし始めてから十年も経っていないせいか、中小企業の気分のままでいる社員が多いのだ。
かく言う祥順は社員を増やそうという時に転職してきた組なので、新参者である。そこそこ大きな企業を経験した彼は、それを十分に活かせると思い転職してきたのだった。
大企業組と中小組には、思いの外認識にずれがあった。それをなんとか調整してきているから、現在がある。ベテラン営業は中小組や初期メンバーが中心で、大企業組は若手が多い。大企業で揉まれ、この会社の緩さに救われた若手も多いだろう。
だからこそ、書類不備が直らないのかもしれない。
初めての事に祥順は戸惑ったが、そのままにしておくわけにもいかない。彼はキーボードを叩いて本日の営業スケジュールをチェックした。
――よし、いる。祥順は心の中でガッツポーズをした。目的の彼――浩和――は「午前:本社 午後:一時半~外出」となっていた。
書類をコピーし、どうしても合わない部分にマーカーで線を引く。普通は赤ペンを入れて突き返すか、電話で確認してこちらで書き直したりするのだが、今回の人物は特殊なだけに丁寧な対応だ。
営業部と総務部のフロアは分かれている。単純に、人数が収まらないからである。元々小規模だったこの会社は、間貸しして一定の利益を得たいとの考えから自社ビルを奮発して建てた。小さめな坪数ではあるが、12階建ての綺麗なビルは小さな会社とはとても思えない。
社員が増えた今は数フロアだけ貸し出し、残りは全て自社で使っているのが現状だ。祥順は階段を使った。すぐ下のフロアが営業部である。このフロアは、企画課と営業一課が使っている。
「お疲れさまです」
部屋に入った祥順は、パーティションで区切られていない、風通しの良いデスクへと歩いていった。
「すみません、滝川さんは今離席中ですか?」
浩和のデスクは空いていた。その向かいに座っている営業へと声をかける。長身が目印の
学生時代にボクシングをしていたという彼は、細身だがしっかりと筋肉がついており、いわゆる細マッチョである。中々気さくで、どうして企画課に配属されているのか祥順はよく首をひねっているくらいだ。
「あー……今、軽い打ち合わせ中っすよ。
でも、カジくんなら大丈夫。声かけてやって」
英俊はパーティションに囲まれたスペースをくい、と顎で示した。
彼の言葉に甘え、祥順は打ち合わせに割り込む事にする。礼を言ってパーティションへと歩き始めた。
パーティションで区切られているのは、ちょっとした打ち合わせ兼商談スペースである。全てのフロアにあるこの小さなスペースは、少人数ですぐに打ち合わせもできる。
突然の来客でスペースが足りなかった際にも使える便利な場所として、設置されているのであった。
「滝川さん」
「はい――って、カジくんか。
珍しいですね」
パーティションを軽くノックし、声をかける。がたっと音を立てながら返事が聞こえた。
パーティションから顔を覗かせたのは浩和だ。驚いた表情をしていたが、すぐに柔らかな笑みへと切り替わる。書類を毎回完璧に提出している彼は、その仕事ぶりから神経質そうな印象を受けがちだが本人の雰囲気は甘い。
整ったスーツ姿に前髪をきちりと固めているにも関わらず、本人の雰囲気はもちろん表情や仕草はその几帳面さをも控えめにさせていた。
「中に来ます?
実は今、ここ使ってるの俺一人なんです」
浩和のミスを指摘しようという行為は、祥順の精神を確実に削っていた。やや緊張しつつ彼と対面した祥順は、和宏の冗談めかした言い方に軽く息を吐いた。
「では、遠慮なく」
軽く礼をしてパーティションの中へと入る。そこにはテーブルいっぱいに広がった書類が見えた。浩和にだけ分かる特別な並び方をしているのかもしれないが、テーブルを埋め尽くす圧倒的な雰囲気に立ち止まった。
「ごめん、汚くて。
今並行してやってる企画同士をタイアップさせるって企画があって、頭を整理する為に企画書を広げていたんだ」
そう言いながら浩和が書類をまとめ始めた。テーブルに広がった――とはいえ、やはり広げ方には法則性があるらしく、いくつかの山にまとめて端へと積み上げていく。
祥順はそれを見守りながら向かい側の席へと座り、自分の持っている書類を見つめた。祥順の持ってきたのは不備のあった旅費精算書の写しと原本、その修正メモである。
領収証を一式持ってきて、一緒に見てもらった方が良かったかもしれない、と祥順が思い悩み始めた頃に声がかけられた。
「お待たせしました」
「あっ、はい」
目の前に浩和が座り、話を聞くポーズを取る。祥順はそっとマーカーで線を引いた部分を差し出した。
「俺の見間違えかと思ったのですが、この部分の領収証が見つかりませんでした」
「マジか。
ちょっと待っててください、探してきます!」
浩和は祥順を疑う事もなく、さっと席を立った。間違えた事がない人物の為に、疑われる事を覚悟していた祥順は、呆気にとられたまま浩和が戻ってくるまで固まっていた。
「見つかったよ、これ。違っていないか確認してほしい」
浩和が一枚の領収証をテーブルへ置いた。祥順がそれを手にとって確認すれば、日付と金額共に見つからなかった領収証と同じであった。良かった、これで今日中に処理できるとほっと息を吐く。
「大丈夫です、ありがとうございます。
滝川さん……疲れてますか?
無理しないでくさいね」
軽く笑みを浮かべ、お辞儀をする。間違える心当たりがあったのだろう。そうでなければすぐに探しに行ってくれるはずがない。普段以上の何かがあり、集中力が欠けてしまっていたと考えるのが普通だと祥順は結論付けたのだ。
頭を上げれば、浩和が目を丸めて固まっていた。
「滝川さん?」
「あ、いやちょっとびっくりしただけだ」
そう言う彼は、口元を軽く押さえて顔を隠してしまう。どう反応して良いか分からず、祥順は微笑んだまま首を傾げた。
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