第14話 砂漠姫

 その日、ウィンソー公爵家の朝食が始まると同時にアネットが「旦那様」と不自然なほど明るい声でローランドを呼んだ。


「トレヴァ侯爵夫人から聞いたのですが、サハラリア帝国から使節団がくるというのは本当なのですか?」

「……ずいぶんと耳が早いな」


「お褒めいただいて光栄でございます。それでね、トレヴァ夫人が言うには、使節団には皇女様もいらっしゃるそうですね。しかも目的が“三人目の夫を探すため”だとか?」


 すごい皇女様がくるな、とアリエッタは思いながらサハラリア帝国についての情報を思い出す。



 サハラリア帝国は隣国一つ越えた先にある砂漠の国で、アルデニアとの国流も民間レベルではあったものの国として交流が始まったのは二年ほど前のことだ。

 

 サハラリア帝国の工芸品はアルデニアにはない異国情緒漂い、珍しいものに重きを置く貴族の間ではとても人気の品だが、アルデニア国民にサハラリア帝国について問えば、


「ああ、あの一夫多妻制の国ね」

「違うよ、一妻多夫制の国だよ」


 このように議論になる国であるが、その答えはどちらも正しい。


 サハラリア帝国では、皇族と貴族に限って配偶者を何人でも娶れるという、一夫一妻制のアルデニア王国民が戸惑ってしまうルールがあるのだ。


 実際、現在のラシード皇帝には両手両足の指の数では足りないほどの妃がいて、子どももたくさんいる。

 それだけ子どもがいても、次期皇帝候補は有力な貴族の娘が産んだ五人の子どもに絞られているというのだから、「ラシード皇帝は精力旺盛」という結論に帰着してしまう。


 今回アルデニア王国に来るというユリアナ皇女は第三皇女だが、母親がラシード皇帝の正妃なので次期皇帝の座に一番近いといわれている。


 そんな彼女にはすでに夫が二人いる。


 どちらも母親とその家門が厳選した人物で、「この二人が王配ならばあのユリアナ皇女が女帝になっても帝国はだいじょうぶだろう」というのが大多数の意見である。


 そんな国も認める夫がすでに二人もいるというのに、皇女が自ら旅に出て異国に夫を探しに行くというのには理由がある。

 それは「恋をしたい」という、帝国の貴族を呆れされた皇女にしかわからないとんでも理論ではあるが、本人はそれを理由に旅に出た。


 そして、彼女の最初の目的地がこのアルデニア王国だった。


 先ほども述べたが、アルデニア王国の者にとってサハラリア帝国の皇族・貴族の結婚制度は戸惑いでしかない。

 しかも将来他にも夫をもつかもしれないというレベルではなく、すでに国にも認められた立派な夫が二人もいるのだ。


 正直言って、迷惑でしかない。


 アルデニア王国側も黙って使節団を受け入れたわけではない。

 むしろアルデニア王国の外交を担う高官たちは「わが国ではなく同じく多重婚を認めている国に行ったほうが効率がよいのでは?」というのを、もう少し外交的で上品な表現にして使節団側に伝えた。


 しかし、これがかえって良くなかった。


 相手を引き下がらせるために強気で言ったというのに、いままで叱られたことがなかったユリアナ皇女はアルデニア王国側の拒絶を新鮮に感じた。


 ダメと言われればやりたくなるのが人間である。

 ユリアナ皇女はその言葉に貴賤がないことを証明し、「絶対に行く」と、むしろ他の国を選択肢から消去してアルデニア王国で必ず恋人(しかし三番目の夫)を探すと意気込んでいるという。



「厄介ですわよね……皇女に見初められても力のある家なら断れますが、伯爵家以下では断りにくいでしょうね」


 アネットの目がチラリと息子に向かう。


「ユリアナ皇女は優男、絵本に出てくる白馬の王子様みたいのがお好みらしいのだが……『愛嬌のないヒグマ』に『麦畑のでっかい案山子』といわれるお前とは正反対だな」


 ローランドの目もチラリと息子に向かう。


「私がヒグマなのは同じ髪色の父親が『冷酷なヒグマ』と呼ばれているからですし、社交場の荒唐無稽な噂やムダ話に付き合うくらいなら案山子のほうがマシです」


 エドワードの憮然とした顔にアリエッタはクスリと笑う。

 エドワードもその父ローランドも体が大きくて一騎当千の武人のようだが、実際は武芸は貴族男性の嗜み程度、その体格は剣ではなく畑で鍬や鋤を振り回して作り上げたものだった。


(王子様、か)


 アルデニア王家には男性はいるが、ユリアナ皇女に合う妙齢の男性はいない。

 そもそも国力はアルデニア王国のほうが上、例え皇女に請われても一国の王子を皇女の“第三の夫”に差し出すようなこともしない。


 ただ王子ではないが、アルデニア王国には「まるで王子様みたい」と貴族女性に人気が高い男がいる。

 アリエッタの従兄で、アデルの息子であるアルバートは父ヘンリーによく似た金髪碧眼の美青年で、アリエッタの記憶の中ではまだ婚約者もいなかった彼は数多の女性と浮名を流していた。


「アルバートはもう結婚していますよね?」

「それが未だなんだ……厄介なことにならなければいいが」


 エドワードの言葉に「フラグを立てた気がする」と父親のローランドは小さく呟き、そんな夫にアネットは深く頷いた。


***


 サハラリア帝国のユリアナ皇女の来訪とその目的の話がアルデニア王国に拡がると、貴族の動きは二つに分かれた。


 大多数の貴族はユリアナ皇女に見初められて困ることのないよう、婚約者持ちは急いで籍を入れ、婚約者もいない男は『とりあえず結婚できるなら誰でもいい』と結婚相手を募った。


 アルデニア王国は過去に例をみないほどの婚活ブームである。


 極少数、力も資金もなくってほぼ庶民と変わらない生活をしている貴族はユリアナ皇女の来訪を千載一遇のチャンスととらえていた。

 実体は皇女を愛することだけを求められた男娼だが、その肩書きは皇女の『夫』である。


 そういう貴族はユリアナ皇女が参加する夜会に積極的に出席した。

 そしてユリアナ皇女がアルデニアにきて一週間たった今朝、新聞が皇女の恋人について大々的に報じた。


「砂漠の姫君の新恋人の名前はアルバート・ラ・モードレー、か。……やはりフラグを立ててしまったな」


 ローランドは苦笑交じりのため息をついて、新聞を折り畳んで机に置いた。

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