第11話 恐怖
エドワードは仕事で義父母は夜会。
リチャードと二人の夕食を終えてアリエッタが部屋に戻ってしばらくすると、廊下とつながるほうの扉がノックされた。
「アリエッタ、話しがあるのだが……入ってもいいか?」
就寝のための準備にミリアムが来てくれたのかと思って入室を許可すると、聞こえてきたのはエドワードの声だった。
「……どうぞ」
食事の席では何度も顔を合わせ、体調やリチャードのことなど差しさわりのないことは話していたが、二人きりで話すのはアリエッタがエドワードを責めるように詰ってしまった日以来だった。
入室してきたエドワードは小さな箱を持っていた。
エドワードがアリエッタと二人になることを避けていることにお互いに気づいておいて、ここで「お久しぶりです」というのはさすがに嫌味が過ぎるとアリエッタは黙っていた。
そして、ふと気づく。
いつから自分はエドワードに対してこんな態度を出せるのか、と。
アリエッタの記憶ではつい先日まで、アリエッタは婚約者のエドワードに嫌われるのが怖いと思っていた。
両親を亡くした後に引き取られた伯母の家で、アリエッタは一人離れで暮らしていた。
これについては伯母家族から疎まれていたとかではなく、両親の莫大な遺産とヴァルモント伯爵位の継承権を持つアリエッタの身の安全を考えた上の措置だった。
安全のためと分かっていても、つい最近まで家族仲良く暮らしていた十歳の少女が突然独りになれば寂しさは避けられない。
社交デビューもまだの年齢。
居候の身で友人を呼びたいとも言いにくくて、アリエッタは自然と離れに来る人物、婚約者のエドワードと従姉妹のエリザベスに依存していった。
アリエッタより年上の二人は次第に忙しくなってアリエッタのもとに来ることが減り、寂しい時間を過ごすことが増えたアリエッタは一緒にいるときの楽しさよりも次回のことを不安に思うようになった。
嫌われたら、もう来てくれないかもしれない。
それが怖くて、エドワードやエリザベスが来てくれるとアリエッタは精一杯もてなし、二人に嫌われないように頑張らなければいけないと思っていた。
嫌われないといけないと思わなくなったのはなぜ?
「……結婚して、“妻”になったから?」
無意識に考えていることが声に出た。
「アリエッタ?」と戸惑うエドワードの声でアリエッタはそれに気づく。
慌てて「何でもない」と言おうとしたが、何でもないというには少々言葉が意味深過ぎると思って白状することに決める。
「エド様に文句をいった自分に驚いていたんです……私、婚約期間中の私はエド様に嫌われたくないと思っていたから……」
アリエッタの言葉にエドワードは少し驚いたように目を見開き、俯いて「そうだったのか」と言った。
「俺は……君は覚えていないけれど、君に申し訳ないことをしたんだ」
「申し訳ないこと?」
「俺を信頼してくれた君を裏切るようなひどいことをしてしまった」
「それは……それはやはり、浮気ですか?」
顔も名前もしらない女性がエドワードの隣に並ぶ姿がアリエッタの脳裏に浮かび、思わず涙が目に滲んだ。
しかし、その涙も次の瞬間に聞こえた盛大なため息でひゅっと引っ込む。
「どうしてそうなる、といいたいところだが……そうだよな、冷静に考えれば、そう思っても仕方がないし……そう思うのが、自然だ」
エドワードは呆れたような、それでいてどことなく安心した様子に見えた。
愛人の存在を責められている今の状況のどこに安心の要素があるのか問うたかったが、それよりも愛人の有無を問うほうが先だとアリエッタは思った。
「そういう女性がいらっしゃるのですか?」
「いない」
「それでは……なぜエド様は腫れものに触るような態度で……あ、やっぱり私はあの日、暴漢に……」
暴漢に襲われたと教えてもらったときは、まだアリエッタはキズも治療したばかりのひどい状態だった。
ショックを与えてはいけないから嘘をついたのかもしれない、そういう考えに至ったアリエッタは青褪めた。
聞いたことがあった。
どんなにその女性を愛していても、事故だったとしても、他の男に穢された女を前と同じように愛せる男はなかなかいない、と。
「違う!!全く、なんでそんな結論に達するんだ⁉あの日、君は暴漢に刺されただけで、“だけ”というには生死の境をさまようほどのひどい目にあったのだが、暴漢の男が君を穢していないことは本当だ。不安ならハリーにも聞いてみるといい」
「ハ……ハリー様?ですか?」
意外な人物が証人としてあげられて、アリエッタは戸惑った。
「今回のことは騎士団案件だから……君の被害状況を知るための調書が必要だったんだ。君はそういう目に合っていないとハリーがきちんと確認しているから、そういう心配は一切する必要がない」
エドワードのきっぱりした言葉にアリエッタはホッとしたものの、どうしても一つだけ疑問が残る。
「なぜエド様は私に触れてくれなくなったのですか?」
アリエッタの言葉にエドワードは虚を突かれたような反応を見せる。
その反応に、やっぱりとアリエッタは苦い思いを噛みしめた。
アリエッタの記憶の中のエドワードはアリエッタの手をとってエスコートし、十五歳の誕生日に口づけして以来ときどきだが使用人の目を盗んで二人はキスをしていた。
それなのに今はキスは愚か、目覚めてから一度もエドワードはアリエッタに触れていない。
穏やかな表情で傍にいるのに、いつも一歩引いた距離を保っているのだ。
「アリエッタ……それは君の本心か?……君のほうこそ、夫婦だからといって無理しているのではないか?」
今度はアリエッタが虚を突かれる番だった。
エドワードが触れてくれないことに不満に思うと同時に、心のどこかで安堵している自分がいたからだ。
「……アリエッタ」
エドワードの大きな手がゆっくりと近づいているのが目に入り、アリエッタはひゅっと息を飲む。
静かな部屋に息を飲む音は大きく響き、エドワードの手もぴたりと止まる。
「あの……」
失礼な態度を謝らなければいけないと思ったのに、なぜか声が出ない。
「何か、思い出したか?」
エドワードの、形式は疑問形だが、どこか確信したかのような声に気づきつつも、漠然と胸にわく否定しなければという思いでアリエッタは首をヨコに振る。
「……まだか……でも、俺が怖い?」
「す……すみません」
体が震える意味が分からず、原因も分からないため震えも抑えられなかったが、傷ついた哀しそうなエドワードに思わず謝る。
そんなアリエッタにエドワードは首を横に振り、
「俺は原因を分かっているから……君は悪くない。それは信じて欲しい。君は悪くない、悪いのは全て俺なんだ」
エドワードはそれ以上は何も言わずに開いていた扉とは違う、隣にあるエドワードの部屋へとつながる扉に向かう。
そして扉の近くに、もっていた小さな箱をおいた。
「これは君のものだ……君の許可なく俺がこの扉を開くのはこれが最後だ。だから安心してお休み」
そう言ってエドワードは扉を開けたが、そのまま動かず、
「アリエッタ、どうかこれだけは覚えていてくれ。俺が妻にと望むのは君だけだ……誰が何と言おうと、君が……この先何を思い出そうとも、どうかこれだけは忘れないで欲しい」
そういうと、エドワードは扉の向こうに消えた。
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