第10話 部屋
「アリエッタ様。注文した調度品の最後の品が納品されたので、今日の午後から新しい部屋に移ることになります」
(“戻る”ではなく“移る”……ダメだわ、何でも疑ってかかってしまう)
エドワードを責めたあの日、結局エドワードはアリエッタの質問に答えることはなく、急ぎの仕事があるからといって部屋を出ていってしまった。
答えはなかったが、エドワードのその態度と、いつもは表情を変えないその顔が青くなっていたことが答えなのだとアリエッタは感じていた。
あの日以来アリエッタは、まるで喉に小骨が刺さったかのように、ことあるごとに疑いを抱く様になってしまった。
いまだってアリエッタはミリアムの言葉を疑ってしまっている。
ボヤがあったという公子夫人の部屋、エドワードの部屋と内扉でつながっているその部屋に暮らしていたのは本当に自分なのか、とか。
もし仮に自分以外の者がそこで暮らしていたならば、アリエッタは義父母を始めとしてこの公爵邸にいる者全てを疑わなければならない。
そう考えるとアリエッタは気が滅入った。
「……ミリアム、リチャードはいまどこに?」
「リチャード様はいま旦那様と奥様と御一緒にお庭を散策中です。リチャード様は庭師が作った砂場に夢中ですから、そちらにいらっしゃるかと。アリエッタ様もいかれますか?」
「……いいえ、お二人と一緒ならば安心だわ」
―――二人にリチャードを盗られてしまうかもしれないわよ?
そんな風に思うのは、先日の新聞にリチャードのことが載ったからだとアリエッタは思う。
侍女たちの会話からリチャードのことが世間に知られていないと分かっていたが、これについては驚きも疑問もない。
アルデニアには子どもが産まれたからといって届出を出す必要はなく、貴族の場合は爵位の継承の関係があるのでいずれ手続きはするが、相続や遺産の争いを避けるため、貴族が子どものことを物心がつく三歳くらいまで世間から隠すことはよくあるからだ。
問題はローランドがリチャードを『特別』だと言ったこと。
その証拠にローランドは自分の死後、今までは自分の保有しているヴァルソー商会の株式を半分ずつエドワードとアリエッタに分けると言っていたが、リチャードが公になったことで彼の株はエドワードとアリエッタそしてリチャードで三等分されることが発表された。
(エド様はとても怒っていらっしゃったわよね)
この発表について、ローランドはアリエッタには事前に了承をとったが、息子であるエドワードには何も言わなかったらしい。
そして聞いた話では、新聞でその発表を知ったエドワードは血相を変えて父親の執務室に怒鳴り込んだという。
その書斎はいまアリエッタがいる部屋とは離れていて階も違うため、そんな騒ぎがあったと知ったのは「書斎が半壊状態だわ」とぼやく声がアリエッタの耳に入ったからだった。
(エド様が怒ったのはなぜ?……だめだわ、全てに曇りガラスでできた厚い壁があるみたい)
そこに何かある気がするのに触れないし、もやっとしていて形を見ることも敵わない。
そんなもどかしい気持ちを持て余したアリエッタは深くため息を吐いた。
夕刻になって執事長のヴィクターと侍女長のノラ、そして乳母のトーリに抱っこされてリチャードがアリエッタのもとにやってきた。
「少し距離もありますので、車イスにお乗りください。坊ちゃま、後ろの台に乗って押すのを手伝ってくださいますか?」
お手伝い、それも母の役に立てると聞いたリチャードは歓声をあげる。
車いすの背中側につけられた台の上に喜んで乗ると、意気揚々とプッシュハンドルを握った。
台は椅子の背に打ち付けられているので実際は全く押せていないのだが、その満足そうな様子にアリエッタは微笑み「よろしくね」と声をかける。
「坊ちゃま、出発しますよ」
「しゅっぱつ、しんこー」
蒸気機関車が出てくる絵本がお気に入りのリチャードのかけ声で、一行は部屋を出て廊下を進む。
角を二つ曲がってしばらく進んだところで、先を歩いていたノラが一つの部屋の扉を開けた。
「……まあ」
窓から見えた先、庭の中央に鎮座する
「いまはまだ小さなツボミですが、あれが大きくなって花を開くとそれは見事で……まるで一面が雪景色のようになります」
それは楽しみだとアリエッタがその景色を想像したとき、頭の中で何かが弾けた音がして、夜の闇に白いものが無数に浮かぶ映像が浮かんだ。
「……うっ」
「アリエッタ様?」
頭の痛みにアリエッタが呻くと、映像がパッと消えて、それと同時に痛みも引いていった。
「大丈夫ですか?夕食まではまだ時間があるので、それまでお休みになってはいかがですか?」
「……ありがとう、そうさせてもらうわ。リチャード、ごめんなさいね。あなたの部屋も見てみたかったのだけれど」
アリシアの謝罪にリチャードはぷるぷると首を横に振って、
「だいじょーぶ!さきにトーリとたんけんするから、ママがきたらぼくがいろいろ、たくさん、いっぱいおしえてあげる!たんけんたい、しゅっぱつ、しんこー」
そういって両手を広げて抱っこをせがむリチャードを、ヴィクターは目元を緩めて抱き上げると床に下ろす。
そして床に足がついたリチャードは、トーリを放って先に部屋を出ていってしまった。
「階段のほうにいったら危険なので、私も行ってまいります。ミリアム、あとは任せましたよ」
「私は一人で大丈夫だから、ノラとミリアムもヴィクターと一緒にいってちょうだい。ね、おねがい」
アリエッタを一人にすることに些か抵抗があったが、ノラとミリアムもリチャードの後を追うように部屋をでていった。
「マグノリア……雪のように白い花」
あの巨木に白い花が咲く様子はさぞ見事だろうとアリエッタは楽しみに思えたが、心の中に漠然とわく不安を払拭することはできなかった。
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