第52話

「ク、クレイさんと呼べばよろしいですかな?」

「サモアが呼びたいように」

 俺は大剣クレイモアとの初夜を迎えることになった。


 人であれ、剣であれ、何はともあれ、

 ──人生初めてのオナゴだ。


 しかも俺には不釣り合いな絶世の美女。言わずもがな、全身全霊カチンコチンだった。

 それに比べて、クレイモアは凛とした佇まいで、威風堂々と俺を見据えている。


「と、ところで、つ、つかぬ事をお聞きするが、ど、どうして俺を選んだのですかな?」


 大剣クレイモアが俺を選んだ理由。

 自分をさらけ出す前にどうしても知っておきたかった。ホワイトアイズには屈強な戦士たちが、魅力的な男性が沢山いる。その中でどうして俺が。

 俺には知る権利がある。いや、知る必要がある。それによって大剣との付き合い方や、呼び方すらも考えねばなるまい。


「全部よ。サモアの純粋な人間性。そして素敵な筋肉。すべてが私の理想よ」


 その答えに舞い上がった。やっぱりだ。オナゴは筋肉が大好きなのだ。筋トレをやっておいて良かった。俺はつくづくそう思い、思いがけない展開にも少しの自信が湧いてきた。惚れられている。だとすると話が早い。恋愛とはイーブンではない。どちらが主導権を握っているのか、それが重要なのだ。


 鍛えあげた筋肉。この造形美、お前にくれてやる。好きにするがよい。俺は腕組みをして筋肉の筋を際立たせるように魅せつけた。


「こ、こ、これから長い付き合いになる。め、夫婦めおととして、さん付けで呼ぶのも堅苦しいかと、わ、わ、吾輩わがはいは思う……」


 自分で発した夫婦という響きに小っ恥ずかしさを覚え、目のやり場に困った。おまけにあまりの緊張で上手く舌が回らない。


「サモアが好きなように呼んでくれれば……」

「……ク、クレイちゃん」

 思わず声が裏返った。


「ちゃん?」

 クレイモアの表情が曇る。

 しまった。まずい、まずい、まずい。ブワッと毛穴が開き、嫌な汗が吹き出した。距離を縮めるために親しみを込めたつもりが裏目に出てしまったか──。


 何をやっているんだ俺は──。冷静に考えれば、可愛い系ではなく綺麗系の彼女に、ちゃん付けは失礼ではないかっ? そんなことも分からないのか俺は……。動揺を紛らわすべく早急に次の手を打つ。


「……ク、クレイ殿」

「殿?」


 ──これも違うのか? クレイモアが眉根を寄せている。まただ。またやっちまった。リスペクトを表したつもりが……。そうか、殿とは男性に対して使う言葉だ。女性に対して使用するのは失礼極まりない。痛恨のミスだった。


 ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ、これは失言だ。なんとかしなければ……。

 気まずい雰囲気に耐えきれなくなった俺は、

「セ、セニョリータ」

 咄嗟に口走ってしまった。

 クレイモアが眉を跳ね上げ、空気が凍りついた。


 し、しまったぁあああーーーーっ‼

 どこの国の言葉かも、その意味さえもよく分からない言葉を、ノリと勢いで口に出してしまった。そもそもセニョリータってなんだ? 人の名前か? まさか、差別用語スラングじゃないだろうな……。


 しばしの沈黙が流れ、俺が恐る恐るクレイモアの顔を伺うと彼女は笑っていた。


「クレイでいいわ、サモア」

 端正な顔立ちがクシャっと、いや、ほわっと綻び、柔らかな笑みが俺に向けられた。


 ドキュン。その融和な表情に胸が高鳴る。そして俺の手はクレイの両手によって包まれた。


 ズキュキュキュンッ‼ 

 や、やわらけぇーー! 


 こ、これがオナゴの手か。俺は手の甲に添えられた温もりと、治癒魔法のような感触に驚愕する。幾重にも豆が潰れ、豆の上に豆を重ねた、カチコチになった戦士の手とはまるで違う。

 雄と雌とではこうも違うものなのか? 本当に同じ生物なのだろうか? 俺が困惑と感動の念にあっけにとられていると、

「サモアは面白いのね」

 陽だまりのような笑顔がそこにあった。

 指と指が絡み合う。


「ク、クレイ」

 断崖絶壁から飛び降りるかの如く、思い切った。

 余計な物をすべて排除した原液よびすて

 正真正銘、彼女自身だけを表す響きに、

 ──照れる。


 クレイ。なんと素敵な語感だ。口にするだけで、彼女のすべてを支配するような気持ちに陥る。俺が彼女の主人あるじだ。も言われぬ独占欲に満たされた。クレイよ。俺は人生をかけてお前の愛に応えてみせる。


 ぬぬぬっ⁉

 感極まっていたのも束の間、クレイの唇が俺の唇を塞いでいた。


 せっ、せっ、せっぷーーーーんっ‼


 ああ、セニョリータよ、

 なんて君は積極的なのだ。

 俺は勘違いしていた。女性とは慎ましい生き物。常に自分を押し殺し、自我と欲求と恥じらいの狭間で身悶える妖精。勝手に思いえがいていた既成概念は、瞬時に覆され、性的ポピュリズムに目覚める。


 世の男性よ、喜ぶがいい。女性とはまことしやかに囁かれる幻想とは似て非なるもの。雄とついなる雌はやはり、生物としてのメスなのだ。


 や、や、やわあたたかい。

 ぷる。もち。ぷに。ぬちょ。

 ねちょ。はむ。ちゅば。


 な、なんだこの感触は⁉ 小さなスライムが俺の唇になつき、じゃれついてくる。


 おとことしての、騎士ナイトとしての、矜持や支配欲が、──音を立てて崩れていく。


 唇が離れると息もかかるほどの至近距離にクレイの顔があった。頭の中を網羅する理屈や、大義名分はスライムによって捕食されていた。


「ぼ、ぼ、ぼくね、ク、クレイのことが、だ、だ、だいちゅきなのっ! も、もう、め、めちゃくちゃにちてくだちゃいっ!」


 無意識にこぼれた言葉に、恥じらいはない。すべてが濾過ろかされた不純物ゼロの本心。俺の魂の叫びだった。


 クレイは妖艶な眼を輝かせ俺を押し倒すと、俺の着衣をぎ取っていく。


 えっ⁉︎ あれっ⁉︎ そんな大胆な……。

 ビーーンッ‼︎


 下半身が脱がされ、それがき出しになった直後だった。

 着衣の擦れる僅かな刺激に、それは弾丸のような勢いで、白き血潮を噴射した


「あっ!」

 欲望も快楽も、時間の流れさえも、すべてが止まる。


 シーーンッ‼︎


 無心とも言える悟りの境地。

 しかし、目の前の美女の顔面に、その事実が現実に起こった痕跡として、こびり付いていた。白濁とした液体が眉間から鼻筋を伝い滴っている。


 ……ぼ、ぼくの精液スライム


 ホワイトスライムの強襲に仰け反ったクレイが、しばらく硬直して、動き出そうとした刹那、


 あわ、あわわわわわっ!


 ようやく、ことの有り様を理解した俺が、我先にとばかり慌てふためいた。


 クレイは細く長い指先で、不名誉な恥物スライムを拭き取るとにこやかな笑みをみせた。 

 きゅん。高鳴る鼓動を差し置いて、癒される。失態をさげすむことなく向けられた温情に俺は甘えた。


「ク、クレイ。こ、このことは二人だけの秘密にしておいてくれ……」


 本能のままに飛び出した赤ちゃん言葉。

 大魔道士顔負けの──無詠唱射精むえいしょうしょうかん

 人に知られたくはない。


 小さく頷いたクレイは、再び俺を押し倒した。夫婦間の秘め事も悪くはない。むしろ秘密があるからこそ信頼関係が築かれる。俺のすべてを知る女性。それがクレイだ。


 そうして、俺の初体験は無事に? 終わるのであった。

 

 翌朝、お頭がニヤけた顔で俺を待ち受けていた。


「どうだったんだよ? クレイの使用感は?」

 クレイ? お頭の言葉に憤りを覚えた。クレイと呼び捨てにできるのは俺の専売特許だ。いくらお頭でも許さないぜ! そう思いつつも、女々しい男と勘違いされるのはしゃくだ。俺は大見栄を切った。


「クレイはドMの子猫ちゃんでしたわ! ガハハハハ!」


 罪悪感よりプライドが優先。俺はいつもより肩幅を広げ、誇らしげに胸を揺らしてみせる。


「サモア、言っとくけどお前が昨晩抱いたそれ、人じゃなくて剣だからなっ!」


「……剣?」

 、、、──剣? ……剣⁇


 負け惜しみなのか、お頭が身も蓋もないことを言った。


「剣は剣でもオナゴの剣ですぜ。世界屈指の大剣も所詮はただのメス。俺の黒曜石の大剣ブラックソードをぶち込んでやりましたわっ! ガハハハハ!」


 俺は自分で言っていることの意味が途中で分からなくなり、とりあえず笑って誤魔化した。

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