第18話

「魔女の湖」──それは森の中心部に存在した。

 湖の中央には、巨大な、きのこ雲のような巨樹がそびえ立つ。水底から生える極太の幹。その生命力は、まるでこの場所が世界の中心であるかの如く、──そんな錯覚さえもたらした。


 ──で、でけぇ!

 神秘的とも言える巨樹の存在に圧倒されていると、突如として、湖畔に群がる水鳥たちが一斉に喋り出した。いや、鳥たちだけではない。生い茂る木々、湖に生息する魚、すべての生命たちが同調するように声を発した。


『『『ワタシの名はドリアード。世界を見守る者。……許可なき侵入は許さない』』』


 湖全体がシンクロして、──語りかけてくる。

 重なり合う声に酩酊めいてい感を覚えた。

 俺は必死に声の主を探した。湖の中央に聳える巨樹に目を凝らす。

 巨樹の幹には人型の、それも女性の姿が樹木と同化するように輪郭をかたどっていた。


 ──こ、これが湖の魔女?

 魔女の正体は、精霊ドリアード。

 精霊は一般的に人間に危害を加えない。その精霊が一体どうして魔女に?


『『『オマエたち愚かな人間は自然を破壊する。ワタシはこの地から根を生やし世界と繋がる。世界の木々たちはワタシ。ワタシの果実を食べた生物たちも、またワタシ。ワタシの目はオマエたち人間を監視する』』』


 水面が大きく波打つや否や、首長竜とも巨大イカの触手ともいえる無数の木の根が、湖から突出した。

 長く伸びた円錐状の根は巨大な杭のように振りおろされる。ドスドスと音を轟かせ、地に穴を開け刺突する。

 俺たちは空から降る巨大な根の追撃を躱しながら、湖畔を駆けずり回るハメになった。


 くそっ! な、なんだよこれ!

 隕石のように降り注ぐ根の嵐に成す術がない。


「バロウさん、本体はドリアードです。俺がこの根を引きつけますので、フェイルノートでドリアードを撃ち抜いてもらえませんか?」

「了解しました」

 バロウさんが後方にさがり射撃に備えた。

 木の根とまともにやり合ってもキリがない。これはドリアードの根。

 本体は巨樹に浮かぶドリアードのはずだ。フェイルノートで射抜く。


「ドリアード! お前の相手は俺だ!」

 前線で身構えドリアードを挑発した。

 無数の根が一つの束となって飛来する。身を捻り躱したと思いきや、グッ、何かに引っ張られて体が動かない。はためいた隠密マントの裾が一つの根によって串刺しになり、地面に張り付けられていた。

 複数の根が振り上げられ、再び強襲しようと牙を向く。


 ──しまった。俺は素早くマントを脱ぎ捨てて、上方で待ち受ける牙に向かって剣をかざした。

 四方から振り下ろされた牙は一箇所に狙いを定め、巨大な熊手のように襲いくる。

 肘を折り畳みプラチナソードを顔の前で、横一文字に構えた。

 防ぎきれるか⁉ ──その刹那、急迫した根の牙が、俺の身体寸分の所でピタリと動きを止め、突然、しゅるしゅると湖の中へ戻って行ったのだった。


 えっ⁉︎ なんで⁉︎

 何が起こったのか理解が出来なかった。

 ぽかんとして、その場に立ち尽くす。


 ──花が咲いた。

 薄紅色の小さな花。

 ぽつり、ぽつりと柔らかな薄紅色の花が、泡のように湧き、巨樹を彩った。

 やがてそれは、巨樹だけではなく、森一面に広がり、いつのまにか辺りは、満開の薄紅色の花に覆い尽くされていた。

 ほのかに鼻腔をくすぐる優美な甘い香りが、風に漂う。


「……魔女の森に咲く花。噂には聞いたことがあります。何百年に一度開花する。噂は本当だったんですね……。初めて見ました……」


 ゆっくりと歩み寄ってきたバロウさんが静かに呟き、フェイルの頭に手をおいた。


「き、きれいっ! こんなきれいな花、あたし初めてみたぁ〜!」

 幼女の姿に戻ったフェイルは目を爛々らんらんと輝かせ、咲き誇る花に見惚れていた。

「あたし持って帰ってお部屋に飾りたいっ〜〜!」

 バロウさんの袖をぷらぷら揺らしている。バロウさんは小さく首を横に振ってさとすように微笑んだ。


 俺は何も言えず、薄紅色に彩る巨樹を、茫然と眺めるだけだった。

 すぐそこまで出かけている言葉は、喉の辺りで詰まり、なかなか出てこない。


 その花の名前を、──俺は知っていた。

 ──その花は、サクラだった。

 

 日本では、春になると咲く花。日本の国花でもあった。

 この世界の花は、赤や青や黄色。その色はあでやかで濃い。美しくはあるが強い。サクラのような花は存在しなかった。


 目の前に咲く、薄紅色の柔らかな光。暖かくて、優しくて、それでいて、燃えさかるように可憐で、美しい。それはまるで、理想の女性のようだ。

 花びらが舞って、湖の水面を彩った。

 サクラは春の訪れ、始まりを告げる花。

 俺はふと、前世を思い出し懐かしくなった。

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