第14話 黄金糖の誕生




 屋敷に戻ったヴィオレッタは、農夫から受け取った甘カブを手に、台所へ向かう。

 そこでは料理人テオが昼食の準備をしてきた。


「お、奥様? 昼食はまだできてませんよ」

「わかっているわよ。いつも美味しい食事をありがとう。ところで、包丁とまな板と、鍋を貸してもらえる? あと、お湯を沸かしておいて」


 ヴィオレッタは甘カブをよく洗って汚れを落とし、皮をむき、小さく四角に切っていく。

 作業中に、みずみずしい質感と、ほんのりとした甘さを感じる。

 しかしやはりどこか土臭い。


「できるだけアクが出ないようにしたいわね……」


 甘カブを煮立たせず、湯を入れて糖分が溶け出すように試みた。

 あたたかい湯でゆっくりと甘味成分を引き出していく。

 甘カブが柔らかくなってきたと感じたら、布でしっかりと包んで汁を絞り出す。


 そうすると、とろりと粘度のある甘い湯が出来上がる。

 ヴィオレッタは次に鍋を火にかけ、煮詰め始めた。

 水分を飛ばすため、木べらで混ぜながらコトコトと煮詰めていく。その間に出来上がった絶品の昼食を食べる。


 時間が経つにつれ、水分量が減り、どんどん粘度が増していく。

 糖分が焦げているのか、少しずつ茶色になっていくが、ヴィオレッタはひたすら煮詰め続けた。


 最後に、煮詰めた液体をパットに広げ、冷ましながら乾燥させる。

 完全に冷めて固まり、飴状になったところで、ヴィオレッタはそれを砕いた。

 砕いて。砕いて。とにかく砕いた。


 なんとなく、米を精米していたときのことを思い出す。


(美食のために砕くべし、砕くべし、砕くべし)


 ガンガンと砕いている間に、やがてさらさらとした砂状になってくる。

 わずかに黄味を帯びた、輝かしい砂に。

 一口舐めてみると、すっきりとした甘さが口の中に広がった。


「味見してみて?」


 料理人にも味見させると、驚きで目を見開いた。


「こ、これは――滅多に口にすることのできない砂糖じゃないですか!」

「やっぱり、料理人の舌で確認しても砂糖なのね」

「奥様、これはいったいなんなんですか!?」

「これを新時代の砂糖――」

「新時代の砂糖?!」

「そうよ。わたくしはこれを、黄金糖と名付るわ!」


 ――砂糖――これからは白砂糖とする――これは国外からの輸入品であり、超高級品だ。

 庶民まではなかなか浸透しない。


 ハチミツもどうしても生産量が限られている。花の蜜に左右され味が安定しない。持ち運びも難しい。


 この黄金糖は、砂糖とハチミツどちらの問題も解消できる可能性がある。


 ヴォルフズ領で黄金糖の大量生産が可能になれば、白砂糖やハチミツよりも安価で、味が安定していて、運搬が楽で、流通が容易な黄金糖が瞬く間に普及していくだろう。


 人々は、この透き通った甘さを一度知れば、もう忘れることができなくなる。


 甘い誘惑に耐えられなくなる。


 ――需要はある。無限大に。

 この甘さで世界を征服できる。


「あんなカブから砂糖……いや黄金糖を作り出すなんて……奥様すげえ! すげえよ!!」

「ふふっ、うふふふ……」


 ――まずは、大量に甘カブを育てていく。

 段階的に量産体制を整え、いずれは工場をつくって、大量生産する。

 工場ができれば人を雇うこともでき、領民たちに仕事を提供できる。


「――さあ、一大プロジェクトの始まりよ! 黄金糖量産プロジェクトの!」

「なんだってぇ! 砂糖が食べ放題、使い放題にぃ!? そ、そんなことになりゃ――革命だ!」

「そう、これこそレボリューションよ!!」


 食の新時代の夜明け。


「奥様あぁ!」

「あら、セバスチャン」


 執事セバスチャンが息を切らせて台所に入ってくる。


「やっと戻ってこられたと思ったら、台所で料理人と大騒ぎ。このセバスチャン、もうそろそろどこから旦那様に報告していいかわからなくなってまいりましたぞ!」

「全部報告すればいいじゃない。好き勝手に買いものばかりしているとか、領民たちを無理やり働かせたとか、供もつけずに遊び回ってばかりとか」


 ヴィオレッタが言うと、セバスチャンはショックを受けたように身体をわななかせた。


「そのような――そのようなことは、事実ですが……奥様がこの領地を思ってくださっての行動だということは、このセバスチャンも理解しております」


 嘆きながらそっと目許をハンカチで拭う。


「ご自分を悪いように言うのはおやめください……」

「そうね。ごめんなさい、セバスチャン。わたくしが悪かったわ」


 ――エルネストがあの調子だったので、てっきり侯爵家の使用人たちもヴィオレッタを「ふしだらな女」と軽蔑しているのだと思っていたのだが、どうやら違うらしい。


 執事のセバスチャンも、メイドも、料理人も、領民たちも。

 皆、ヴィオレッタに親切だ。


「ところでこれを食べてみてくれる?」


 皿に載せた黄金糖を差し出すと、セバスチャンはほんのわずかに指先に取り、舌に載せた。


「……甘いですな」

「でしょう? さあ、出かけるわよ、セバスチャン! 馬車と護衛を用意なさい!」

「話が見えませぬ」

「執事さん! 甘味甘味レボリューションですよ!」


 料理人の大興奮した声が台所に大きく響く。


「話がまったく見えませぬ」

「詳しいことは馬車の中で話すわ。あ、でもその前に、ドレスに着替えておきたいわね。貴婦人だと一目でわかるような」





 ヴィオレッタが地図で説明した場所へ向けて、馬車が走る。


「今度は何をなさるおつもりですか」


 セバスチャンの問いに、ヴィオレッタは自信たっぷりに微笑んで答えた。


「特産品開発よ。やっぱり、その場所にしかない特産品は、ストーリーがつけやすいし売りやすいわよね。競合の心配もないし」

「はあ……」

「先ほどの甘い砂糖――わたくしは黄金糖と名付けたけれど、あれを量産したいの」

「砂糖を――量産?」

「この地でしか育たない作物で、それができそうなのよ。うまくいくかはわからないけれど、とりあえず全力で進めてみるわ」


 これからのことを想像するだけで、わくわくする。

 新しいことを始めるときは、いつも心が躍る。


「……奥様」

「何かしら?」

「奥様は、この地のためにどうしてそこまでしてくださるのですか?」

「…………」

「やはり旦那様への愛なのでしょうか?」

「ロマンチストね、セバスチャン」


 ヴィオレッタは苦笑する。

 あの主にして、この執事あり。


「わたくしは自由に、やりたいようにやりたいだけよ。美味しいものを食べたいし、美味しいものを広めたい。皆が幸せになって、美味しいものが食べられて、お金がたくさん儲かったら……」


 ヴィオレッタは馬車の外の景色――先日海藻肥料を撒いた土地を眺める。


「とても楽しそうだと思わない?」


 二時間かけて、馬車はあの家に到着する。

 家の前では農作業中のあの農夫がいた。貴族の馬車がやってきたこと気づいて、驚き、緊張して直立不動状態になる。


 ヴィオレッタはセバスチャンの手を借りて、馬車から下りた。

 農夫と目が合い、微笑む。


「あっ……あんたはさっきの、カラスに乗ってた変な姉ちゃん――?」

「こちらは侯爵夫人様です」

「侯爵夫人様ぁ?!」


 セバスチャンの言葉に、農夫が後ろにひっくり返る。


「わたくし、ヴィオレッタ・ヴォルフズと申します。あなたのお名前を教えていただけますか?」

「ト……トムでさぁ」

「トムさん。先ほどの甘カブ、わたくしも育ててみたいんです。いずれは領地中で。そのために、種を少し分けていただけないでしょうか?」


 ヴィオレッタはトムに近づき、前にしゃがんで微笑みかける。


「それから、できたらトムさんには甘カブの栽培顧問をお願いしたいんです。わたくしたちに、甘カブの栽培方法を是非伝授していただけないでしょうか?」

「わ、わしが領主様のお役に立てるなら……」

「ありがとうございます!」


 ヴィオレッタは甘カブの礼として、高級な酒を一本トムに贈る。

 その後、簡単に甘カブ栽培の計画を話し合い、帰路についた。





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