転生令嬢ヴィオレッタの農業革命~美食を探究していたら、氷の侯爵様に溺愛されていました?

朝月アサ

第1話 結婚初夜




「つまり、侯爵様はこうおっしゃりたいのですね。わたくしと子をつくるつもりはない、と」


 侯爵領での華やかな結婚式後の、初夜。


 花嫁であるヴィオレッタは、夫の部屋の大きなベッドに腰を掛けて座り、紫色の長い髪を揺らしながら、琥珀色の瞳で夫となったエルネスト・ヴォルフズを見上げる。

 エルネストは寝室のドアの前から動かないまま、ヴィオレッタを見下ろしていた。


 青い瞳はまるで氷のようだ。色も、視線の冷たさも。

 そして、美しい銀髪が冷たさを強調している。「氷の侯爵」と呼ばれているとおり、まるで氷の彫像のようだ。


「そのとおりだ。ふしだらな君を愛することはできない」


 声が重く、固く響く。


 ロマンチストなことだと思いながら、ヴィオレッタは小さなため息をつく。

 政略結婚なんだから割り切ればいいのに、と。


「ですから、三年たてば離縁しましょうと言っているのに、それも嫌」

「…………」

「わたくしの莫大な持参金を返せませんものね?」


 ――この結婚は契約だ。


 ヴィオレッタの父である伯爵は、侯爵家の血筋と名誉が欲しい。血の繋がりを得たい。そしてついでに悪名高い娘を早々に片づけたい。


 そして侯爵家は莫大な持参金が欲しい。


 双方の利害が一致し、この結婚は成立した。


 ヴィオレッタもこの地の窮状は知っている。

 侯爵家らしく領地は広大なれど、干ばつによる不作が長年続いていて税収が乏しい。

 若くして侯爵を継いだ彼が何とか金策をしている状態で、領の収支は借金まみれである。


 だからこそ、若く美しく潔癖な侯爵は、悪名まみれの毒婦であるヴィオレッタを引き取った。莫大な持参金と共に。


 ヴィオレッタはくすりと笑った。


 いっそ毒を呑み込んでしまえばいいのに、この侯爵はそれをしない。

 彼のプライドがそうさせるのか、単なる生理的嫌悪か。女性が嫌いなのか、ヴィオレッタが嫌いなのか。


「随分と虫のいい話ですね。ですが、そちらの事情は少しはわかっているつもりです」


 ヴィオレッタは口元に笑みをたたえたまま、冷たい表情のエルネストを見つめる。


「ですから離縁はしません。ただ、ひとつだけお願いがあります」

「言ってみるといい」

「この地でのわたくしの自由を保障してください。それぐらいよろしいでしょう?」

「構わない。何人でも愛人をつくればいい」

「ありがとうございます、侯爵様。……ああ、いけませんね。もう夫婦なのですから。ねえ、エルネスト様?」


 名前で呼びかけると、嫌悪感をあらわにする。


「明日のご予定は?」

「……早朝、王都に発つ」

「お忙しいですのね。それでは、ゆっくりとお休みください。エルネスト様」


 ヴィオレッタは立ち上がってローブを羽織ると、部屋の奥にある扉を通って寝室を出た。



◆◆◆



 主の寝室の隣には女主人の寝室があり、部屋は扉一枚で繋がっている。

 鍵はどちら側からもかけられ、どちらかが鍵をかければ行き来することはできない。


 女主人の寝室に戻ったヴィオレッタは、扉の鍵をかける。もう二度とこの扉が開くことはないだろうと思いながら。


 誰もいない部屋で、ベッドに座る。


 ――こうなるかもしれない、ということは予想していた。


 ヴィオレッタの名前は、王都で悪い意味で有名だった。

 好色で、男好きで、恋人を何人も抱えていて、とにかく自由で奔放。


 そしてエルネスト・ヴォルフズは、その美しさと高潔さと仕事熱心さで有名だった。

 とにかく生真面目で、そして金がないと。


 だからこそヴィオレッタはこの縁談を受け入れた。もちろん断る自由などなかったが。


(あ~~、助かった!)


 すっかり安心してベッドに寝転ぶ。


 ――夫側から初夜を拒否してくれるなんて、なんて運がいいのだろう。


(男好きの遊び人が処女だなんてバレたら、変に思われるものね。それにやっぱり怖いし。ほぼ初対面の相手と――子どもをつくるだなんて)


 どういうことをするかは知っている。

 知っているからこそ、恥ずかしいし怖い。


(ルシアのせいで色々大変だったけれど、結果的にはよかったわ)


 王都にいる妹を思う。

 可愛らしく清楚な雰囲気で、愛嬌があり誰にでも優しく、恋愛も遊びも大好きな妹ルシア。

 ――ヴィオレッタの名前を使って夜の社交場を楽しんでいたルシア。


 どうしてそんなことをしたのか問い詰めたら、「咄嗟にお姉様の名前が出ちゃったの」と困りながら笑っていたルシア。


 おかげで領地に籠って畑でばかり遊んでいたヴィオレッタに、とんでもない悪名がついてしまったが。


(災い転じて福となす――というものかしら)


 ともかくこれで、ヴィオレッタは自由だ。

 侯爵夫人としての役割も求められないだろうし、跡継ぎをつくることも求められない。


(自由にしていいと言っていただけましたし、旦那様は当分不在。明日からはゆっくり趣味の時間を過ごせそうね。待っていなさい、わたくしの農地!!)


 こんなに広い領地なのだから、ヴィオレッタが自由に使う余地もあるだろう。


(豊かにして豊かにして豊かにして、たっぷりと実らせて差し上げますわ!)


 楽しみすぎてとても眠れる気がしなかったが、結婚式の疲れからかあっという間に寝てしまった。


 ――そうして、結婚初夜は無事終わった。




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