スモークス・ピークス物語

崑崙虚 太一

第1話

 おだやかな朝の陽だまりの中、食堂の看板娘が開店準備で店先を掃除している。


 ここは城塞都市ウルクの外縁、下町地区と呼ばれる区画。平民から貧民、中下層の人々が暮らす地区の一角、にぎやかな商店街の中にその食堂「睡蓮亭」はある。

 お昼のランチの時間は近所の労働者が、夜は小金を稼いだ冒険者が集う酒場として人気の店だ。今はお昼の開店前。仕込みや掃除、雑事には事欠かない。


「アンナ!裏通りのゴミ置き場の掃除もお願いね」


 店を切り盛りする女性が、看板娘に声をかける。戦場の指揮官さながらだ。


 睡蓮亭はこれまで、無口な料理人の男性店主と店を仕切る女将の夫婦を中心に回っていたが、その一人娘で去年初等教育を終えた13歳のアンナが今年から店を手伝っている。屈託のない笑顔、器量の良さに快活な性格も相まって大人気の看板娘だ。


 元気よく返事をしたアンナはほうきを片手にゴミ置き場へ周った。


 アンナが昨日の残飯の入った重い木樽の周りを掃除していると、糞尿や吐瀉物、もしくは死臭か、得体のしれない悪臭を放つ、背が低くやせっぽちでみすぼらしい少年が、貧相なロバが牽く大量の汚物を積んだ荷車を引き連れてやってきた。


「アンナ、おはよう!今日はこれだけ?」


 木樽を見ながら少年が元気な声でアンナに声をかける。


「おはよう!ウトゥ、そうだね!あと、今日も…ちょっぴり臭うね…」


 苦笑しつつもアンナは努めて明るく少年に答えた。


「あとこれ、いつもの。お父ちゃんから」


 アンナが差し出したかごには昨日の客の食べ残したパンや肉や果物、食べられそうな残飯に、家族の朝食で多めに作った搾りたてのりんごジュースが入っている。


「いつも本当にありがとう。叔父さんにもよろしくね」


 少年は木樽を荷車に積むとニッコリ笑って痩せたロバを牽きつつ立ち去った。

 アンナは薄汚れた少年の小さな後姿を、その影が消えるまで見つめていた。


 少年の名はウトゥ。アンナとは同い年で血の繋がらない、いとこの関係にある。


 ウトゥの父親はチンピラだった。そこそこ整った顔立ちで常に派手な女を従え、女衒の真似事もしていたので、周囲の人間にはよく思われていなかった。

 睡蓮亭の先代主人は跡取りとして実子であるウトゥの父親に期待していたが、いつまでたっても落ち着かない息子に業を煮やし、当時下働きで真面目さだけが取り柄の現在の主人、アンナの父親を養子に迎え、鍛え上げて睡蓮亭を相続させた。

 それを見たウトゥの父親は、当時の情婦と駆け落ちし一旦城塞都市ウルクを離れたが、生活はすぐに行き詰まる。情婦は妊娠し、ウトゥを産み落としたはいいものの稼ぎの少ない夫と子供を見限ってすぐにふたりの元から消えた。

 行き場を無くした父親はウトゥを連れてウルクに戻った。しかし、迎え入れてくれる者は無く、流れ着いたのは城塞都市ウルクの一番外れにある都市最大のゴミ集積地、「スモークス・ピークス」そばのバラック小屋であった。

 そこで父親はどうにか職を見つけ働いたが、不慣れな肉体労働に体が追い付かず、数年で病に倒れ、幼いウトゥを残したまま死んでしまった。死体は誰に弔われることもなくそのままゴミ山に打ち捨てられた。

 ウトゥはその後も一人バラック小屋で汚物にまみれながら、必死に生きてきた。


 スモークス・ピークスは今日も人間が生きた証として、そこかしこから燻った煙を吐き出しつつ、異様なオーラを放ちながら、ただそこに存在し続けている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る