第203話 気になるあの子

 狛はとても不満だった。確かに、本格的にデートを申し込んだわけではないし、京介から見れば自分はまだ子どもの範疇に入るであろう事も、薄々は感じていた。けれど、まさか女性と二人で出かける服装が、仕事のついでのような恰好とは、あまりにも舐められ過ぎている。


(そりゃあ、浮かれ過ぎてた私も悪いんだけど…でも、でもちょっとくらいは…)


 これが経験豊富な女性であれば、或いは京介のだらしなさやダメな所もカワイイと思えたかもしれない。しかし、狛の想いはこれが初めて、人によっては多少遅いくらいの初恋なのである。まさに恋に恋する年頃というやつなので、女として見て欲しいという直接的な表現は狛の頭の中には無い。ただ、初手から袖にされるのは酷過ぎる…そう思ってむくれる所が、狛がまだ経験の浅い証拠だろう。


「参ったな……大丈夫?何か飲む物でも買ってこようか?どこかにベンチでもあればいいんだけどな」


 黙って下を向いてしまった狛を前に、京介はどうしていいか解らずにひたすら体調を慮っていた。実を言えば、経験の無さという意味では、京介もあまり変わらない。彼は若い頃のトラウマで、女性と付き合った事がない。異性を意識すると、過去の記憶が蘇り途端に拒否反応が出てしまうからだ。猫田の5倍は生きている癖に、そのほとんどを戦いに明け暮れて生きて来たこともあって、恋愛経験はほぼゼロなのである。


 

「な、なんなんだ!あの男は!?せっかく狛があんなにお洒落をしてきているというのに、似合ってるよとか、綺麗だとか、愛してるよとか、今夜ホテルで部屋をとってあるんだ…とか何故言わない!?許さんっ!!」


「お、落ち着け!なんだコイツは!?前に会った時と全然違うぞ!…ってーか、お前らも止めるの手伝えよ!なんで俺が抑え役なんだっ!?」


 怒りに任せて狛達の元へ突撃しようとする神奈を猫田が羽交い絞めにして止めている。かなり離れた所で見ているので、狛に気付かれてはいないようだが、周囲には既に何人か、好奇の目で二人を見ている人間が現れ始めていた。その横で、三人娘達は二人を無視して狛と京介の様子を眺めている。


「なんだいアイツ、顔はいいけどパッとしないね。狛ちゃんはあんなのがいいのか」


「あらあら、ああいう女の子に慣れてない感じの人間ヒト、私は好きだわぁ。私に溺れさせたら、グズグズに溶けてしまいそう…フフ。カイリはどう思う?」


「ふむ。…確かに女性に対する扱い方は不十分だが、敵に回したくはないな。見た所、戦いに関してはかなりの実力者だ」


「ええ?そう?そんな風には見えないけどね」


「いや、彼はかなり強いぞ。全力でやっても私は一対一では勝てる気がしないな……仮に私達三人が本気で、一斉にかかっても仕留められるかどうか…」


 三者三様、それぞれに京介の評価は違うようだが、三人の中できっての武闘派であるカイリが額から汗を一つこぼしつつ、そう呟いた。そうなると、途端に残り二人の眼の色が変わる。さすがはくりぃちゃあが誇る武闘派三人娘、それほど強い相手となれば試してみたくもなるという所なのだろう。

 しかし、さすがにそんな事で狛のデートを台無しにするわけにもいかず、三人は思い思いに、京介の力を測る手立てを模索し始めた。横で騒いでいる猫田と神奈の事など、眼中にない様子である。


 一方その頃、心から自分の心配をして甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる京介の姿を見て、狛は段々と留飲を下げていた。確かに期待を裏切られはしたが、この対応からして京介が女慣れしていないのは間違いなく、それは逆に好都合でもある。

 そもそも狛が京介に惹かれたのはその優しさと包容力だ。守ってくれる存在というだけなら猫田でもいいはずだが、狛にとっての猫田は兄か父に存在である。何より狛本人は気付いていないが、本当に京介の匂いも狛の心の琴線に触れるものであった。あの借りた法衣から漂った脳が痺れるほどの感覚…それは狛の感情に大きな影響を与えていた事は言うまでもない。


「あの、もう大丈夫です。ごめんなさい、ちょっとビックリしちゃっただけで…」


「ああ、良かった。どうしようかと思ったよ。…せっかくだからどれか飲む?色々買ってきたんだけど、好みが解らなくてね」


 苦笑する京介の両手一杯に、様々なジュースの入った袋が鎮座していた。大食漢な狛は飲む方もかなりイケる。未成年なのでお酒は飲めないが、ジュースもお茶も大好きである。気分を落ち着ける為、冷たい炭酸飲料を受け取って、一気に飲み干した。


「はぁっ…美味しい」


「顔色も戻ってきたね、いつものだ。少し休んだら、行こうか」


「えっ!?き、綺麗、ですか?そんなぁ…!えへへへへへ…」


 多少意味合いが違う気もするが、綺麗と言われてすっかり狛はデレデレのご満悦である。それで機嫌が直る辺りはなんのかんの言っても惚れた弱みだろう、もしくは、狛がチョロいだけ、という可能性も十分にあるのだが。


「くぅっ!今度はあんな歯の浮くような台詞で、狛に色目を使ってぇ…!なんて男だ、羨ましい…いや、許せない!」


「さっきと言ってる事が違うじゃねーか!しかも馬鹿力が更に強くっ!?そういやコイツ鬼の末裔なんだったか…あーもう!いい加減にしろっ!」


 猫田も堪忍袋の緒が切れたのか、羽交い絞めにしたまま、神奈の頭に固めた尻尾を落として気絶させた。傍で見ていた人間達には猫田の尻尾が見えないので、急に神奈が意識を失ったように見えただろう。ざわざわと人だかりができつつあったが、ちょうどその時狛達が移動を始めたので、猫田達はそそくさとその場を離れて、狛達を追いかけていった。


「京介さん、今日はこの後お仕事なんですか?」


 目的の携帯ショップまでは歩いて五分ほどかかるので、並んで歩きながら狛は思い切って気になっていた事を聞いてみた。服装からして仕事があるのなら、あまり時間的に猶予はないかもしれない。今日はどのくらい一緒にいられるのかを確認したいという、少女らしい計算だ。

 

「いや、今日は特に何も予定はないよ。厄介な仕事は終わらせてきたばかりだからね…おかげでちょっと寝不足なんだ」


「へぇ、どんなお仕事だったんです?妖怪退治とか?」


「はは、昨夜のはただの除霊だね。墓場に幽霊が出るって言うんで、三日三晩張り込みさ。墓場なんだから霊の一つや二つ出ても別にいいと思うんだけど、子ども達が怖がるって言われちゃうとね…幸い、悪霊ってわけじゃなかったから三日間じっくり話し込んで説得したら成仏してくれたよ。あれは、ただ寂しかっただけだったのかもしれないな」

 

 そう言って、日差しを眩しそうに手で遮る京介の横顔には、優し気な微笑みが満ちていた。本来、妖怪や霊だからと言っても、力で片付ける事を内心では快く思っていないのだろう。誰も傷つけることなく終わった仕事は、気分がいいに違いない、その笑みからはそんな爽やかさが滲み出ていた。


(やっぱり、格好いいなぁ……)


 同じように退魔士としての道を歩む狛には、京介の気持ちが誰よりもよく解る。ともすればインチキで、詐欺師のような悪徳術師も多い世界だ、狛自身、この仕事に誇りを持てというのは難しいと時折思う。しかし、兄である拍や父の真、それにナツ婆に、亡くなってしまったハル爺のような犬神家の家族達はそこに微塵の迷いもなく自らの仕事を誇っている。そして家族以外で、そんな風に思える相手というだけでも、狛の眼には京介が魅力的で素晴らしく見えるようだ。


 そんな話をしながら歩いていると、視界の隅に黒い影が横切った。狛が慌ててそちらを向くと、そこにいたのは母親に連れられた幼い少年である。影の主はその少年の傍にピタリと立って、決して離れないようについて歩いているようだ。

 ボロボロの黒いローブで全身を覆い、顔は陰になっていて見えないが、目があるであろう部分は異常なほど怪しく光っている。何よりも異常なのは、その手に持った人の背丈よりも巨大な鎌と、その手がであることだ。


「あ、あれって…」


「死神だね、どうやらあの子に憑りついているらしい」

 

 京介はそう言って、狛にあまり直視しないよう言い含めた。あんな子どもに死神なんて一体何の用なのか、狛が気にしていると、京介は静かに囁く。


「死神が憑りついていると言う事は、あの子の寿命が近いと言う事だよ。幼い子がそうなるのは、あまり気分のいい話じゃないが、死神は誰彼構わず無差別に人を殺す殺し屋じゃないんだ。逆に言えば、死んでもあの子の魂は、死神の手で決して迷う事なく神の許に送られる…残念だけど、俺達に出来る事はないよ」

 

「そんな……」


 神父のような恰好をしているだけあって、京介は死神の存在に詳しいようだ。彼らは元々、カトリックの教えに登場する神のしもべである。京介の言う通り、死神が目をつけた人間は近い内に寿命を迎えるだろう、まだ幼い子どもの魂は彷徨いやすいものだが、死神が憑いているならその心配はない。京介の言う通り、狛達があの少年にしてやれることはないのだ。

 

 そして、せっかくのデートに水を差されたなどと、狭量な事を感じる狛ではない。ただ、すれ違った子どもが近く死を迎えるという事実を知ってしまって、多分にやりきれない気持ちを持ったまま重い足取りで携帯ショップへ向かうのだった。

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