第8話 犬神家の人々

 ――数時間後、犬神家本家屋敷。


 犬神家本家の屋敷は、いわゆる数寄屋造りをした和風の住宅である。現在では珍しい武家屋敷のような佇まいで、過去には何度か、有形文化財として登録したいと文化庁から打診があったらしい。また建物だけでなく敷地もかなりの広さで、大きな池のある庭は、夏場でも涼しく過ごしやすい。


「はぁー…やっと帰ってきたぁ。ただいまー!」


 狛は猫田を連れ、玄関に入ると大きな声で叫んだ。

 返事も出迎えもないようだが、狛は特に気にする様子はない。一方の猫田は、なにやら居心地が悪そうにしている、文字通り、借りてきた猫のようだ。そんな猫田を見て、狛は不思議そうに声をかけた。


「猫田さん、どうしたの?」


「いや、なんつーか、落ち着かねーんだ。…昔っから、初めての場所はな」


 そういえば『猫は家に付く』という言葉を聞いたことはあるが、猫又もそうなんだと、狛は妙な納得をした。そわそわしながら、何かを確認している姿がちょっとかわいい。

 靴を脱いで玄関に上がると、何やら家の奥から、ダダダダ!と走る音がする。猫田は表情にこそ出さないものの、少し驚いたのか、普段隠している猫耳を立てて、様子を伺っているようだ。


「あー…猫田さん、お兄ちゃんに会った?」


「いや?病院で話したのは、婆さんだったが」


「そっか…あのね、私のお兄ちゃん、ちょっとアレだけど…あんまり気にしないでね」


「アレ?」


 奥歯にものが挟まったような表現に、猫田は理解できず首を傾げている。その間にも、足音がどんどん強く近づいてきて、屏風の奥にある襖が、勢いよく開いた。


「帰ったか、狛ああああああああああああああああああ!!」


「ぎゃあああああああああ!お兄ちゃん痛い!痛いって!猫田さん助けてーっ!」


 言うや否や、狛に思い切り抱き着き、締め上げる拍。これはもはや鯖折りかベアハッグに近い、愛情表現というにはかなり激しめだ。

 ぶくぶくと泡を吹いて気絶寸前まで追い詰められた所で、ようやく狛は解放された。そう、何を隠そうこの拍はかなりのシスコンなのであった。


「貴様が、件の猫又か?」


「あ、ああ…」


 ギロリと猫田を睨みつけてから、値踏みするような視線で全身を観察している。狛が猫田に助けを呼んだのが気に食わないのか、些か不穏な気配を漂わせているが、当の猫田は、その言動に少々面食らったものの、拍の容姿にとても懐かしいものを感じていた。


(狛もそうだが、兄貴の方も宗吾さんにそっくりだな…)


 実の所、この兄妹は顔つきがとてもよく似ている。それはつまり、かつての同僚である宗吾にも似ているということだ。違うのは髪の色と、拍の方は眼鏡をかけている事くらいで、同じ男性ということもあり、背格好は猫田の記憶の中の宗吾と瓜二つであった。

 ちなみに、宗吾はかなり濃い藍色の髪をしていたので、特に暗がりでは狛の方がよく似ているようだ。


 しばらくの間、二人が向かい合っていると、奥の部屋からツルツル頭の一人の老人が顔を出した。


「拍様、お電話が…」


「ああ、解った。狛、猫又…話は後で聞く。まずは一休みしてから奥座敷へ来るといい。ハル爺、後は頼む。」


 そう言い残して、拍は足早にその場を去っていった。ハル爺と呼ばれた老人は、その背に小さく会釈をして、二人を連れ別室へと歩き出した。長い廊下を歩いていると、ハル爺が「そうそう」と思い出したように話し始めた。


「猫田殿、先日はうちのが失礼しましたなぁ。あれはあまり妖怪にいい印象を持っておらんから、感じが悪かったじゃろう」


 そう言われても、猫田は何のことだかいまいち解らなかったので、隣を歩く狛に視線で助けを求める。そんな猫田の困り顔に苦笑しながら狛が聞いた。


「うちのって、ナツ婆ちゃんがなにかしたの?」


「狛が眠っとる間に、猫田殿から事情を聴いたのがナツだったんじゃよ。狛も佐那も助けて貰ったのは間違いないんじゃから、無礼はするなよと言うとったんじゃが…」


 ハル爺は頭を掻きながら、申し訳なさそうに話を続けた。


「話を聞いてみれば猫田殿を化け猫呼ばわりして、ずいぶんと突っかかったというではないか。どうしてああ短気なのか…もういい歳なんじゃから、ちっとは落ち着いて欲しいんじゃがなぁ…」


「ああ、あれか…」


 そこまで聞いて、猫田はようやくその時の事を思い出した。


 

 六日前、狛達が入院した翌日。


 猫田は狛の病室には行かず、病院近くの公園で一人時間を潰していた。普段は人に化けて生活する妖怪であるものの、元来猫である猫田は、陽の当たる場所が好きだった。

 その日は天気も良かったので、ベンチに座ってのんびりするには最適な陽気だ。子供達が遊び騒ぐ声も、こんな日なら心地良い。傍目には、真昼間から公園のベンチでボーっとしているホスト風の若い男なので、あまり人も近寄らず、遠巻きに見ている親たちの視線は冷たいものだったが猫田はそんなことなど気にも留めない。


 そんな猫田の元に、一人の老婆が近づいてきた。


「おい」


「…ふあぁ?なんだ婆さん、なんか用か?」


 やや棘のある声音で声をかけられ、猫田は欠伸をしながら怠そうに返事をする。


「佐那の言っとった化け猫ってのはお前か?」


「佐那…?ああ、あの女か。何だアンタ、狛の知り合いか?あいつは大丈夫かよ」


 狛の知り合いだと判断してよく見てみれば、余り背は高くないが、身なりの良い老婆が、眉間にしわを寄せて、猫田を睨みつけていた。

 右手には似つかわしくない錫杖を持っていて、今にも猫田に襲い掛かってきそうな雰囲気である。何か誤解されているのだろうか?とはいえ、妖怪である猫田にとって、人からよく思われないのは日常茶飯事である。特に気にする事も無く、老婆の様子を見る事にした。


「…佐那と狛が世話になったようじゃが、鬼とそれを使役する輩がおったというんは本当か?」


「そりゃ間違いねーが…何が言いたいんだ?」


「儂は妖怪の言う事なぞ、簡単には信用せん。…本当は、お前が全部仕組んだ罠と違うんか?」


 単刀直入に、堂々と疑いの目を向ける老婆。その目には、噓でも吐こうものならば即座に切り捨ててやる、そう言わんばかりの圧が込められている。逆に猫田は老婆のその堂々とした態度が心地よく思えた。


「婆さんには悪いが、俺は人間の娘なんぞ騙しても何の得も無い。そもそも騙すつもりなら、生かして返さねーだろ」


 猫田は半笑いで、少しからかうように言い返す。人間にここまで攻撃的な目を向けられるのは久しぶりで、なんだか少し楽しくもあった。

 そんな挑発的な猫田の返しを受けても、老婆はじっと猫田の目を見返すばかりで、特に反応は返さない。いい加減、何か言う事はないのか?と思った所で、老婆は腰に下げた巾着袋から何かを取り出し、猫田に投げて寄越した。


「なんだ?」


「…礼じゃ、受け取れ。狛の事なら心配は要らん、数日で出てきよるじゃろ。詳しい話は別に聞かせてもらうわ」


 そう言うと、猫田に背を向けて「じゃあな」と言い残し、老婆は去っていった。


「なんだったんだ?あの婆さんは…げっ!?これマタタビじゃねーか!」


 老婆の残したいい匂いのする袋を開けると、中からはマタタビの枝が出て来て、猫田はそれを持ったまま、慌ててその場を後にした。


 「へぇー、そんなことがあったんだ」


 目的の部屋に着いたので、ハル爺と狛、猫田の三人は座ってお茶を飲みながら話をしていた。部屋には茶菓子に加えて漬物も用意してあって、さながら田舎の寄り合いのような光景である。

 沢庵に胡瓜の浅漬け、小茄子のぬか漬けなど、どれも狛の大好きなものばかりだ。ポリポリと小気味良い音を立てながら、漬物を摘まんでお茶を飲む。華の女子高生とは思えない姿をみせながら、狛は猫田の話を興味深そうに聞いていた。


「まったく…あれ程失礼をするなと言っておいたのに…困った奴じゃわい」


 ハル爺は頭を抱えて、妻の無礼を嘆いている。そんなハル爺を見てあははと笑いながら、狛は小さい声で猫田に囁いた。


「…あんなこと言ってるけど、昔はハル爺の方が気性が荒かったんだって。夫婦で退魔士をやってて、結構有名だったみたい」


「なるほどな。まぁ、解らんでもねーが」


 先程からいかにも好々爺という雰囲気をみせているが、猫田は時折、ハル爺が鋭い視線でこちらを伺っている事に気付いていた。ナツというあの老婆はそれを隠さずに向けてきたが、ハル爺は全くの逆である。正直、あまり腹芸の得意ではない猫田にしてみれば、ハル爺の方がよほどやりにくい相手であった。

 恐らく、こうやって一緒に机を囲んで話をしているのも、猫田を警戒しての事だろう。妖怪退治を生業にする者たちが、簡単に妖怪を信じる訳がない。猫田はそれをよく理解しているから、あえて気にしないことにした。

 それはそれとして、茶を啜りながら、どこか懐かしい匂いのする屋敷の空気を楽しんでいると、狛は少しニヤニヤしながら今の話で気になっていたことを聞いてみた。


「で、そのマタタビはどうしたの?」


「…」


 そう、狛が病院を出た時から、猫田はなにも持っていなかった。思い返してみれば、昨日狛の病室に来た時も手ぶらだったと記憶している。

 なんだかとても面白そうな予感がするので、突っついてみる事にしたらしい。猫田はまさに痛い所を突かれたようで、渋面をして黙っていた。


「もしかして、猫田さん普通の猫みたいに酔っぱらっちゃったりして~?」


「バカ言え。猫又がマタタビ程度で前後不覚になるほど酔っぱらって堪るか。…人に化けてられなくなるから、ちょっと茂みに隠れてただけだ」


 これは半分本当で、半分嘘である。

 猫田ほどの猫又と言えど、マタタビはそれなりに効く。恨みや情念で存在している、理性の無い怪物である化け猫の類いであればまた話は別だが、猫田のように理知を取り戻し、より本来の生物である猫に近い形の猫又はマタタビに酔うこともしばしばだ。

 ちなみに猫田の場合、人への変化が保てなくなり、腰が抜けてしまうくらいにはマタタビで酔うのだが、それを教えるのは弱点を教えるのに等しいことだし、なにより情けないので言いたくないというのが本音だった。「ホントかな~?」とニヤけ顔で猫田の頬をつっついてじゃれる狛を眺めつつ、ハル爺が先程までとは打って変わって、真剣な表情で猫田に話を切り出す。


「それはそうと、猫田殿。先日狛から聞いたんじゃが…お主、あの犬神宗吾と知己であったというのは本当ですかな?」


 どうやら、本当に話したいことはこれか?と、じゃれつく狛を引き剝がしながら猫田は思うのだった。


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